国際分業なる理念が知的労働の流通特化順に並ぶ「国際階級の順列」理論ではない、
という証拠を提出せよ。
「経済界の利権における」[大衆世間においてではなく]国際競争の目標物は
今日、既に最先端の成長産業へ如何に適応するか、という「創発関係」でしかない。
つまり知的多数権をどうやって獲得するか、が経済界における分業の内情なのである。
金融市場が大衆化された先においてすら、この課題は不変である。
謂わば資本投機の国威こそ「国際覇権(hegemonie)」に他ならない。
国家外交の力関係は只単に
『投資家国民の知的水準』に依存すると知るべきだ。
以上に誤りがなければ、従ってこう推論できる。
現代、政治の指揮を実態で握っているのは誰でもない、資本の運命なのである。
我々は実質上、民主政治をcontrolできない。
それは結局、資本(capital)の歴史的運動なのである。
我々はそれを『文明の狡智』と呼ぶ。