生物は凡そ生存を目的に創造された自然の産物ではある。しかし、自然の底で世界を支配する法則は誰の手になるのか。「法則の定義は彼らの知能にのみある」という独我論では説明不可能な驚異だ。精神作用ですら、その様な物理化学的法則として理解できうる現象に過ぎないのだから。
ユダヤ教をはじめとする各地の民族信仰でかつて自然的なものはあまりに異常で不可解に違いなかったので、超自然的な権威を思想において創出して、あらゆる説明不可能な事象をそこに帰して知能の慰みと供するしかなかった。だが近代社会では科学的な認識がすべてを明らかにして行こうとする。勿論ながら、造物主なしに法則づけられた宇宙に関する認識もまた、批判される時を待たない。
法則はなぜ見つけられるのか。それを知らなければならない。