2006年7月19日

建築論

建築空間が先ず何より人間の巣をつくる使命にあるのは確かだ。それは近代建築の原理に則れば諸々の物質を利用して空調や光量など、環境的諸要素を人工的に操作した均質空間を確保することである。これは普遍空間を意味しない。何故なら無柱の大空間である必然はないから。たとえばファーンズ・ワース邸における外部環境との密接な関係は意図されていないとしても未来の理念なのではある。ミースが外壁を可能な限りガラスにしたのは必ずしも環境建築における自然空間を指向したのではなかったとしても恐らくはかなりの程度、西洋構造主義の文脈からの新しい鉄骨・軸組み構造に対する興味からもたらされた副産物ではあろうが、同様の結果をもたらすに必要なものを提案している。それは閉じられたコンクリートの箱ではなく、開かれた場所なのだ。
 先ず我々にとって空間の心地よさが何から生じるかを考えなければならない。即ちそれは必ずや普遍性と、個別性とを伴っているだろう。場所の特異性を産むものが何より、それの属する環境であるのは疑えない。もし空間が空中を移動するような可変的なものであったとしても、同様に。地球の建築においては、普遍的空間の個別的質が問われるべきである以上、自然空間は人道的概念でありうる。