茂木健一郎氏は、日本のいなかをダサい、いなか臭いなどと散々馬鹿にして、ニュースが花の咲いた話であるといった平和さ(現にNHK水戸では普段からそうなのだが)を見下し絶えず中傷しながら、欧米の野卑な騒擾事件の論争を物見遊山で攻撃的にからかう英米風習大衆喜劇をひたすら称揚してきた。
所が今度は英語のXでは、主語を「日本」にしながらさも自分の手柄かの様に、桜のニュースをたねに日本凄い論をさもわが事の様に自慢している。
この種の多言語圏間で一貫しない両集団だましの不誠実さを示す人々は、多重基準の自己矛盾がばれたら一気に信用を失い、その場限りで他者にうけのいい言葉を吐いているだけと必ず悟られる事だろう。商業的あるいは売名的意図だった時この詐欺性は決定的ともいえる。異言語は大概の点が翻訳可能だからだ。
国内的には名誉白人ごっこで日本固有文化やいなかのよさ弾圧、国外的には同じ対象を自分の手柄かの様に主語をすりかえて自慢する仕草は、東京勢あるいは近畿と称する関西勢が古代から「地方・いなか」と「日本・山所(大和、倭)」の主語すりかえでやっている犯罪だ。実に卑賤な壟断というべきだろう。
外国語圏の文化盗用や異文化の輸出業商売で人々を少しもだまそうとせず、至誠一貫の言動で万古不易な手堅い信用を勝ち取れ。どの言葉でも真理が説かれればそれが世界中の人々の規範となるのだ。