2024年4月19日

京都市上京区からの全国差別文化を完全になくす国事の提案

関西地方の人々は白村江の戦いに敗れ、百済や任那から島流しされてくると、天皇と称する不徳な偽天子を頂点とし、全日本人を下におく様な浅ましい差別文化しか結局作れなかった。関西地方はこの意味で、元々人権未満の悪質で野蛮な社会であり、元々差別のない先住日本人の社会より現に遥かに劣っている。
 主に古代の百済任那系の亡命移民だった関西人一般は先住日本人一般に比べ、他者と共生をはかる思いやりの能力がずっと劣っていたのだろう。この事は侵略帝国主義をとり、平和に暮らす人々をいきなり行って暴行し陥れ、民族差別し虐殺や略奪をはかっていた関西人の生き様の古代文献に幾らでも確認できる。だからこそ遣隋使以来、関西地方の人々は中国の皇帝制をすぐにまね、とりいれた生得的差別主義の卑しい社会をさも世界の中心かの如く、さも最高の文明の如く、さも最美の文化かの如く、千年以上はなはだおごりたかぶってうそぶいてきている。
 だがその実態はただの虚しい驕りで悪徳偽装の張りぼてだ。

 根っから性悪な上、思いやりの知能が低い関西地方社会一般は差別のない状態が文化的にも生活実感としても本能的に理解できないので、どこへ行っても無理やり差別をつくりだそうとする。これがどうして関西人一般が、九州や沖縄、東日本など関西地方の外の人々を差別しだすかのおよそ全ての理由である。それだけではなく関西地方の人々は当の関西地方の中でも、たえず差別を細分化してつくりあげようとする。
 なぜ山所(奈良)地方の人がわざわざ山後(京都)地方で差別主義の悪意から被差別地域化していたウトロ地区へ放火に行ったのか。それは関西地方の人々の大部分は、性悪説にピッタリの性格だからだ。
 天皇の制度は中華皇帝の模擬に始まる。だがこの制度は関西地方の卑しい風習の名残にほかならない。その根底にあるのは、百済や任那からの亡命者が、ほかの全日本人ら含む、関西地方の外の人間を、うぬぼれた自称天皇一味の暴力の押し売りで民族・人種差別対象にしようとはかった、汚い策略だったのだ。

 先住系の多い関東人は早くこの百済と任那から関西地方への亡命者一派、具体的には平安京を長安をまねつくった渡来系桓武天皇による全国民奴隷化の策略に気づき、平将門を筆頭にして関東独立を宣言した。その後につづく歴代幕府も、性悪な陋習を広める関西地方からの差別主義を覆す大義は同じだったのだ。

 今や差別主義の塊である関西地方の趨勢はどこも下向いていて、千年をこえる差別主義者どもとの戦いを終焉させる絶好の機会である。全国勢は関西の差別主義教祖である天皇一派を完全に完膚なきまでに滅び絶えさせ、関西地方の差別文化が2度と復活しないよう、将門以来の天下平定を成し遂げねばならない。
 京都市の文化首都と称する自民族中心主義は、ただの形をかえた全国民への人種差別の婉曲表現にほかならない。関西地方ではその種の差別の悪習しか嘗ても今も一度も作れなかったし、人権規定と反省なき京都人大多数のイケズは根底から矛盾する。京都文化庁は即廃止して京都府は完全解体せねばならない。