2024年3月18日

驕りと謙虚

驕りの故に破滅する。自称京都が端から山背県山背市と正名し、現実通りイケズ奇習のはびこる井中だと自己認識していた時、あれほど致命的失政を重ねていたろうか。天皇と称する傲慢な世襲やくざ一味は確実に世界一惨めな終わりを迎えるだろう。全国を偏見と差別で蔑視していた東京は退廃の極みに沈んだ。
 ある山背系大阪人は言った。市民のプライドは必要だと。自分は殆ど全くそうは思わなかった。それは驕れる人々の破滅の様子をみてきたからだ。恐らく彼は誇りと驕りの多義語なプライドという外来語を両義的に使っている落ち度に、ガサつさの余り気づかなかった。それで益々自己反省の余地を減らしていた。

 Xで10年近く茂木健一郎を観察して理解できたのは、俗物根性の持ち主は何をしても全てが俗悪になってしまうという恐るべき事実だった。彼の周囲の人物もその種の色彩に似通っており、類は友を呼ぶとは真実だと気づかされる。サイコパス影響者は互いに磁石のよう引き寄せ合う。自分が反発したのも当然だ。彼は端からメディアの寵児など目指すべきではなかった。しかし彼の俗物根性がそうさせた。成田悠輔、三浦瑠麗、古市憲寿、落合陽一、若新雄純、斎藤幸平、東浩紀など、研究の本業に専心せず媒体で金儲けする自称学者は一般論として不良学者というべきであり、俗評に応じた明らかな驕りが一様にみられる。

 我々は或いは単に私は、傲慢に陥る危険を避け、謙虚さを保つ為の工夫をする必要がある。特に地位と名声、金はその種の驕りを持ってき易い。日本人ノーベル賞受賞者一般の何でも上がった様な様子はまさにそれだ。又天皇一味やその親族や縁戚とは一切縁を切るに限る。彼らの驕りの悪風に触れない為だ。
 釈迦が原始仏典で言った様に、地位や名声、金の様な俗世の価値に少しもかまけてはならない。それらは本来不必要なばかりか、客観的で正しい自己認識を曇らせる原因になる。また符号の学歴や経歴も本来無用で、重要なのは自らの美徳だけである。唯の知識自慢の俗物根性は、無知より時に邪悪な人格を作る。

 高度な美徳をもたらすのは哲学だけで、しかも自らが悟る事でしか究極できない。謙虚に終生学びかつ考え続ける必要がある。
 アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で言った様に、生涯のなるだけ長い時をこの哲学に費やした人が最も幸福だとする彼の説は一理も二理もある。美徳は知恵の副産物だからだ。