皇族連続強姦と児童誘拐・性暴行で被害者自殺未遂後泣き寝入り物とか、『源氏物語』が世界史上最悪の退廃小説なのは公然たる文学史実。それを民衆の犠牲の上に自称天皇の悪徳僭主一派に諂って書く藤原一族の紫式部も信じ難い陸でなしなら、散々賛美した本居宣長もとんでもない大悪党だ。茂木健一郎は小林秀雄経由で本居の不良学説だの英語圏の東洋主義に諂ってるんだろうが、人権侵害誠に見苦しい。
茂木健一郎は天皇一派や紫式部にだけでなく、崇拝する小林秀雄経由で本居の不良学説だの、英語圏の東洋主義偏見へ二重三重に諂ってるんだろうが、人権侵害の正当化、誠に見苦しい限り。当の性加害を一夫多妻と言い繕ってきた自称天皇一味や大河ドラマで散々美化しているNHKごと、天罰が下るに違いない。
本居は『源氏物語玉の小櫛』で決して道徳を否定などしていない。茂木は自分で吐露した通り、最悪小説の『源氏物語』本文すらまた読まずに知ったかぶり批評してるので、両原文の論旨を取り違え偉そうに致命的誤りを語ってる。恥を知らないらしい。
本居が言ったのは道徳は道徳で存在するという事だ。
本居はなぜ平安期の文学は不道徳な描写だらけなのかを解釈する際――それは現実にはまだ新造都市だった山城国での渡来系桓武一派による天皇僭主政治の風紀の乱れや金権主義で腐敗した受領政治の悪影響が明らかにあったが――藤原一族だった紫式部が平安京の自堕落さを現実主義で筆写したと言っているだけだ。本居は当該文で天皇一族や藤原一族が悪徳の因果応報によって落ちぶれていくありさまをただ冷徹に描写していく、両家の親族な紫式部の活写の出来をほめている。それは悪因悪果を否定した訳では全然ない。実際同物語でも主人公は落ちぶれ須磨に流浪の果て死ぬ。浮気相手の女房らは全員不幸になって終わる。それどころか本居は、当該文で儒学者や仏教徒ら倫理学者の存在意義を完全に認めている。そして全てが人道の必然として道徳秩序に落ち着く事も予見している。徳に欠けているのに天子一族を気取る、愚かな自称皇帝のありさまとして、皇家周囲の邪悪さを婉曲表現している点で、記念碑的な作品といえるのだ。
自称天皇家は中華皇帝をまね世襲制度をとろうとして飛鳥時代に出現した。それから平安京に移ってすぐに書かれた当物語は不安な政情を反映しながら、皇族が乱倫に沈む退廃的様子がひたすら連続して書かれる。
それは真の正義を司る中央政府たる鎌倉幕府の登場を予期させている。一種の内部通報だった。
茂木は自分で文学を読むつもりもないのになんで知ったかぶるのか。全体で何が書かれているかもさっぱり何もわからない、直接読むつもりもないなら黙っておけばいいと思う。無論、批評する権利なんてない様なものだ。中身が分からないのに通ぶってインチキ批評屋の謬説を鵜呑みに恥さらすのは国風冒涜だ。
国風文化とは、今挙げた様な明らかに当時の周辺諸国の道徳秩序とは違う、退廃的要素をはっきりと含むもので、茂木が散々叩いていた江戸社会の化政文化とその構造は同じではないか。平安京の国風文化は徳の欠けた天皇一派が主体として乱倫をし、江戸では一般町人がそうしていたという違いがあるくらいだ。
米英両国及びGHQと国連が天皇を駒として使ってきたのは信者を操れるからにすぎない。まさに茂木の様な単純思考の愚民が多いからこそ、天皇一族の乱倫小説を長文だから読めも理解できもしないで崇め奉り、皇族犯罪を正当化しているのだ。昭和天皇の戦争責任を問えない民族的落ち度とも帰一の大醜態だ。
サイコパス達を世の中に送り出し、炎上商法で世を乱してるのが高橋弘樹その人だという事はこの動画で完璧に把握した(『【日本のお笑いはなぜオワコン?】茂木×高橋弘樹〈ReHacQ〉が自分で考え・自分で決める!批評性の必要性を考察3/8_101』)。孔子は俑を作った者は殉死の陋習を生み出したので子孫が絶えるだろうといったが、自分は高橋にその言葉を贈りたい。茂木も又同じである。天皇一族の悪行に媚びる者はその被害者になる。
さりとて、かの類ひの不義をよしとするにはあらず。そのあしきことは今さら言はでもしるく、さる類ひの罪を論ずることは、おのづからその方の書どもの世にここらあれば、もの遠き物語をまつべきにあらず。
物語は、儒仏などのしたたかなる道のやうに、迷ひをはなれて悟りに入るべき法にもあらず、また国をも家をも身をも治むべき教へにもあらず。ただ世の中の物語なるがゆゑに、さる筋の善悪の論はしばらくさしおきて、さしもかかはらず、ただもののあはれを知れる方のよきを、とりたててよしとはしたるなり。
――本居宣長
『源氏物語玉の小櫛』