2023年6月27日

姦淫と純潔

姦淫、すなわち不道徳な性行為を好む者を、ともがらとするな。その迷惑は当人のみならず、周りにも及ぶ。

 たとえ世間がどれほど自堕落でも、自分ひとり必ずや純潔を保て。
 純潔とは、道徳にかなわぬ性行為を決しておこなわず、婚前、婚外交渉(結婚前あるいは、結婚相手以外との性行為)をしない事だ。またここでいう性行為は当時の法的な定義によるものばかりでなく、程度として心移りその他、精神的浮気までも含む。
 自堕落な俗人はつねづね姦淫の悪徳に近づくほど、「童貞」「処女」などの純潔を示す徳目を貶している。東京や京都、イギリスなど性的に退廃した地域集団にその種の悪人が多いとすれば、彼らの身持ちの悪さから、安らかな家庭を築く能力を欠き、自らの悪質ぶりに恥を失い、群れて、開き直っているからにすぎない。親の因果は子に祟るもので、悪徳の保護者は被保護者にも同質の悪徳を移し、結果、家の中を荒れさせてしまう。荒れた家の子はそこで育まれるべき諸々の美徳を欠きがちになり、殊に性道徳の欠如は、救いようがなく不幸な家柄を連鎖させ易い。

 姦淫の悪徳をもつ仲間がいれば、遠慮なくその者とは縁を切れ。たとえその者にどれほど親しみがあっても、その者の悪性は自他に害をなすからだ。またたとえその者が唯一の仲間だったとしても、その者の悪徳によって自他が災いをくりかえし受けるより、一人で生きる方がずっとよい。
 天涯孤独である方が、姦淫の悪徳をもつ者と連れ合いである事よりも遥か優れている。悪男悪女は警察沙汰を絶えず引き起こし、世人に迷惑をかけ何とも思わないまま、何度も醜悪な淫行を求める。だが悪男悪女を退けておきさえすれば、それらのつみとがは自らの周りへまず及ばない。