2023年2月1日

作り話を信じる人々

恐らく今の西日本人一般は、本気で百田尚樹や竹田恒泰による作り話入り「皇国史観もどき」で脳内がのっとられていて、その外に真の歴史があると気づかないまま世を去るのだろう。かつて本気で彼らが神道に脳を乗っ取られていた様に。
 自己都合な無知の強化を煽る茂木健一郎は、罪深い誤導をしたものだ。
「歴史否定論」とは茂木がいいだした主観と客観の誤解にすぎないが――恐らく意識が無意識から一部情報を抽出して成立している、との神経科学上の証拠に基づく信念だろうが、彼にはこの証拠が客観的事実を否定しない、とまで考えられなかったのだ。現実の全事象が脳内で起きている筈もないのだが。
 模擬現実仮説を「歴史否定論」は内包してしまっている。だが前者は仮説に他ならない。今なお哲学的には懐疑対象の作り話にすぎない。脆い地盤に立って全ては虚構との極論に行きついた茂木は、諸法無我を語った悟った人と同じ地平に立った様に見えるが、なぜか「肉体」を根拠に意識の実在は認めている。素朴肉体実在論――それはデカルト式の懐疑精神で、茂木はお腹がすくので肉体感覚は疑えないと考えた結果にみえるが、もし全てが虚構なら肉体やその感覚もそうでなければならない筈だ。つまり理論的整合性がない。
 茂木の模擬現実仮説、別の言い方にすれば肉体意識至上主義には、カントの「物自体」概念と少し似た面もある――カントはコペルニクス的転回の際、物自体を知りえないとした。だが茂木の場合、認知のうち質感なる実在がまだ疑わしい脳内現象だけは記念碑的思い入れで保護したいらしく、知りえる事にする。
 もし意識が幻なら質感もそうだろう。ここにも理論的整合性がない。

 茂木の諸説のうち、歴史否定論、素朴肉体実在論、模擬現実仮説、肉体至上主義、これらは互いに理論的整合性が不十分なので、彼は哲学的には十分無能というしかない。また質感も科学的実証が不全で信じるに足る実在性とも思えない。

 こういった破綻した理論によって庇われる小説家らは、いわばダメな騎兵隊から前線へ押される憐れな将軍と似ている。敗戦必須。一体どこで敗走するか、そのときうまく理論武装したつもりでいる西軍神道の守護者で、騎兵隊長・茂木は天皇一味と共にどうするか。明らかな破滅の光景だがその時は必ずくる。