2023年1月23日

東浩紀らによる時間効率と不即不離に結んだ反出生主義的見解の批判

    落合陽一「タイパはやばい言葉ですよ」
    東浩紀「ほんとやばいわけだけど。タイパとか追求するんだったら、まぁいうまでもないけど最初から生きてない方がいいわけじゃない?」
    落合「はい」 
    東「生きてること自体がタイパが悪いからね」
    落合「(生は)タイパがわるいです」
――『【落合陽一】ついに東浩紀と初対談! あの『夢想的で危険』批判を経て、2人は“喜び”を共有できるのか? 「タイパ追求するなら生きていない方がいい」 テクノロジーと人間の未来を考える。』13分33秒から、2023年1月19日、ニューズピックス、YouTube
上記東の発言中、A「時間効率追求」とB「最初から生きていない方がいい」事になんの論理的因果性があるのか、それらを順接(AならばB)で結ぶ事に何が言うまでもないのかは全く何一つ不明にせよ、恐らく、「何らかの目的論の元での人生一般の時間非効率性」を彼は無条件肯定しているのだろうとは推測できる。哲学的に、目的論は複数の立場があるので、彼が落合や視聴者と共有できると措定した何らかのその目的論に或る他者が合意しない場合、それが「言うまでもない」事でないのは自明である。よって人生一般の時間効率性が自明に反出生主義的見解(最初から生きていない方がいい)と結びつくとは限らない。
 例えば、或る人が「愛」を人生の目的としたとする。彼らが愛の実現の為、或る最愛の遠距離恋愛者と過ごす時間をなるだけ多く取りたいので、時間効率を考え、料金は高めだがより早く目的地に着くだろう夜行バスに乗ったとする――彼らの時間効率行動は反出生主義的見解と自明に関連していないのは明らかだ。