食は民の天たり、農は国の本なりを現役でふみあやまっている東京圏一帯のマスコミ各社や人々、もしくは、それに少なからず同調する日本国民ら全般は、飢餓によって滅び去る。
彼らは農業県あるいは営農活動とその従事者らを完全な悪意からきた差別的偏見で日々致命的に侮辱しつづけてきている。さらに農地へ「なにもない」「田舎い」「田舎臭い」「魅力が最低」などと、その一次生産に日々の食事を支えられながら悪質な虚偽をいい、自らが遊びほうけ汚して帰るつもりの観光先としかみなかったので、遂には自分達がばらまくコロナ禍で大量死していっている。がそれだけでは業の清算が足りず、世界食糧危機に際し、彼らこそ真っ先にこの世を去る事になるだろう。
この世で最も非文化的な態度とは、食料を他者あるいは他生物に依拠しながら、その感謝を忘れる事だ。烈公が農人形を作った事、偕楽園と弘道館に梅を植えた事は実に、象徴的な意味がある。そしてこの意味で、茨城県と違って、東京圏全般は無論、日本国は世界一非文化的な国柄である。それは人口増加の傾向にある世界の反面教師に値する。先進国界隈で最初に日本だけ少子化・財政破綻・性的退廃・衆愚政治などで最も先に滅亡しつつあるのは、彼ら日本人一般の持っている決定的悪徳という全くの必然があるのだ。