2022年1月31日

文語はそれ固有の世界

最近、自分はユーチューブでラジオを作ってみて、講義シリーズをとっていたのだが、口語で表現することは文語のそれとまるで違う面があると色々発見した。この点でやってみたのは正解だったと思う。

 口語であらわすときに容易にできる様な微差の表現は、文語では容易にできない。その意味で文語はあとからできたものなのが明らかだと具体的実感でわかった。
 自分はもともと人間が一般に邪悪なものと感じ、あまり親しみたくないので、極力避けて生きてきているけど、その結果もあって文語を極めようとしてきていた。文の読み書きは大得意、というか大変好きで、子供のころ、その猛烈なペースが固まった時点からなら高2くらいからずっと休みなくやってきているのである。孔子は『論語』でこれを楽しむものに如かずといっているがまさに自分のことである。つねにおもしろい文章を探しているのである。
 しかしだ。自分が実際に口語表現を試してみた結果、これは話術の範囲に入ると思われるが、文語とはまるで違う能力が入っているのを発見したのである。

 この後も色々実験している。いわゆる文字起こしならどうかとか。しかし、究極のところ文語ってそれ固有の世界なのが確かだ。これが真理だろう。

 自分はこの意味で新たな局面に達したと思っている! きのうまでの自分は今日と違う。それはそうだが、文語に於いてその様な革新を起こした人って、今まで人類史上にいたのか謎だ。だが自分はその革新の根っこにあるものをもうつかんだのである。そしておそらく今後、私の文章には必然にその様な革新の成果が表れてくると思う。私がつかんだものは確かな規則なので、後世の人が自分を文筆家として評価したとき、まちがいなくその部分を感知できると思うわけである。

 自分はもともと文語の世界が好きなんだな、と感じる。この世界はそれ固有の秩序があって、ほかでかえられない。そしてこの世界にだけできる表現の可能性がある。自分はその固有さを今までも検知していたのだが、今ほどはっきりとその中心部をクリティカルに捉える事はできていなかったのである。