自分はよいことのみをし、わるいことを徹底的に避けるよう生きてきたが、代わりに周りの人々はそうせず、どんどん迷惑をかけてくるという「他人の有害さ問題」は何も解決しなかった。悪徳まみれの、愚かな人々は単に生きているだけで害他行動をするものだからだ。
この問題はガウタマが一つの典型的解決をみいだしていた。それは人を避けることだ。彼は普段郊外の林で瞑想していることにし、その外に出るのは托鉢など機会がある時にしていたと思われる。つまり一般の向社会性を否定していたのだ。
この方法では、確かに大部分の他者の有害さは避けられるものの、一部の他者はそこをすりぬけてきてしまうし、また根本的に人間の邪悪さそのものは解決できない。さらに人は社会的動物(ポリス的動物)とアリストテレスが『政治学』でいうよう、そもそも対人関係を伴わない生き方は人の社交性全般を不全にしかねない。十分な社交性をもっている人とそうでない人、一般論としてどちらがより人徳として望ましいか。もし性格が内向的であっても、後天的修正がとても困難ななんらかの遺伝的苦手さのもとになければ、文明にあって社交性自体はおそらく一般に中庸ほどには身に着けるべきものと考えうるだろう。さもなければ人同士に必要があっても互いにやりとりするのが難しくなり、社会の発達自体が遅れてしまうことだろう。
他方で啓蒙主義によって一般社会へ積極的に影響をおよぼし、人々に説教をくりかえしつつ、少しなりとも個々の人固有の悪徳を改鋳していこうとする考え方がある。どちらかなら欧米文明がとってきたのはこの道筋だろう。それがいきすぎ、「明白な運命(Manifest destiny)」と称する欧米列強やその影響を受けた日本は「八紘一宇」などと称した植民地主義の形をとった。
日本にこの啓蒙主義がもちこまれ、はじめの紹介者の一人が福沢諭吉になって以来、国内一定層の知識人は、欧米文明に自文化、あるいは日本列島全体の単位を同期するのが一つの目的と考える様になってきた。そしてここからの同期の遅れとして後進性を無理にでも定義し――それはもともと多文化論を否定している驕っていて、誤った考えだろうが――人々へ東洋風生活は恥ずべき様子だといつわってきている。すなわち、彼らは殆どは単なる文化差としてしか責めるべき実態がありもしないばかりか、却って、希少価値を伴う本来保護されるべき貴重な自文化をも自己破壊するよう日本人一般におどしをかけ、輸入品としてのありふれた欧米文明を押し売りに回るのだ。無論この営為は単なる事情通の悪意でおこなわれており、かねてから薩長土肥京芸と天皇一味ら、幕末西軍がおもとして捏造してきた文化盗用業にすぎず、西洋中心主義や米国主義にへつらうなかで、文化輸入業者としての彼ら自身の営利や、対アジア馬乗りを正当化するものだった。文化植民地主義というべきこのありさまはいまだに彼らの植民地たる東京辺からマスコミ・SNSなどの第四・第五権力、あるいはしばしば皇室の権威を借り、大いに威張りながら拡散されており、「明白な運命」「八紘一宇」づらでのアジア文明への不当な蔑視、かつ欧米人気にのっかり逆輸入づらで自論を無理にくみかえておこなう国内漫画・アニメなど副文化への、その内容の品位を問わない妄信的礼賛ぶりなども、目に余る。
平成・令和期でこのたぐいの立場を少なからずとる論客として東浩紀や茂木健一郎などのゲンロン一派、あるいは村上隆ら超平面論者がいた。こういった悪趣味や低俗さを伴う文化的自堕落ぶりを容認する態度の欠点は、純粋芸術に中間・大衆芸術をまきこむことで品位としての貴族道徳を根本から傷つけてしまうことだ。
では我々はこのまともな向社会性、すなわち立派な私徳・公徳に向かう気勢の失われた場で、一体なにができ、またすべきだろう?
ここにみられるのは東洋文明と西洋文明の、ある島国のなかでの衝突だろう。ガウタマと福沢は全く対極の精神論を説いている。
ガウタマは『ダンパマダ』で愚者を避けよという。福沢は『文明論之概略』で知徳の平均値としての文明度の向上が人間社会の目的だという。ガウタマは反社会的思想家、福沢は向社会的なそれで、この二者はやはり愚者の害他性、悪徳を扱っていながら、それへの対処法がおよそ全く別になっている。
けれども反社会的孤立論者とおぼわしきガウタマも、他者へ説教せよといっていた。
(他人を)訓戒せよ、教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛せられ、悪人からは疎まれる。ここにあるのは道徳についての啓蒙的態度だが、同時に、ガウタマはその限界に悟っている。愚者が賢者になる事もあるが、それは愚者自身(自分自身)が愚かだと気づいた時だという。
――ガウタマ・シッダールタ
『ダンマパダ』6章 賢い人、77
(中村元・訳『真理のことば・感興のことば』岩波文庫、1978年)
もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。
愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。匙が汁の味を知ることができないように。
聡明な人は瞬時のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。――舌が汁の味をただちに知るように。
――ガウタマ・シッダールタ
『ダンマパダ』5章 愚かな人、63-65
(前掲書)
ここでいわれているのは、孔子が『論語』で「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす、これが知るなり」(為政第二、十七)、「小子つつみをならしてこれをせめて可なり」(先進第十一、十七)といい、プラトンにえがかれるソクラテスが不知の自覚(無知の知)あるいは助産術といわれる態度をもつのとほぼ同一の件で、すなわち知的謙虚さの指摘だろう。
人がもつべきものは知的謙虚さで、自分は既に十分すぎるほど学んだと死ぬまで思い込まない必要があるのだろう。
しかし仮に自分がそうしたところで知的傲慢さをもった他者らは無限にわいてくる。彼らは人を虐げ続ける。その人々に対処するのに、一つ有効なしかたと聖人らが考えていたのは、説教だったのだ。