2022年1月31日

どんな親友が望ましいか

ゲンロン一派ってのがいる。私はこの人達、なんか全然好きになれないから絶対ちかづかないつもりではいるが、同時代にほぼ隣というか東京圏にいるひとらなのでツイッターなどで観察はしている。観察ってより監視かもしれない。
 なにせ原発マージャンとかいいながらいわきまで出入りしてた時期もあったひとらで、僕の高校の同級生らしい開沼博氏に地元人の気持ち考えてるの? みたいにいわれるまで福島原発を闇旅行の観光地化しようとしていた一派なので。というかいわき圏でゲンロン派だったころのカオスラ一味が展覧会やってもいたので。まぁまぁみてたわけである。僕の住んでる北茨城は、いわき~東京間のとおりみちなのである。

 で、最近。ご存知のとおり。知らないか。しっててもどっちでもいいですが、 某カオスラ大炎上案件とかゲンロン界隈にはあり。ま、正確にいうとゲンロン界隈ってか東浩紀氏界隈というべきなのかもしれないのだが、なにせ黒瀬陽平氏というひとが起こした某事件で、カオスラというアートグループがきえた。それを消したのが、みてたかぎり、東浩紀氏だったのである。再起すら妨害している感じで。
 こんなの美術史ではみたことがない。まじで。初の案件なのは確かである。
 なんでそんなのが起きたの? というレベルですさまじい事件であり、現在進行形なので無論興味深くはあるものの、どっちかといえばいまのところ負の訴訟合戦スパイラルっぽくなっており、そこもそこでめずらしい。美術家らでそういうのあんまりいないというか見たことがない。美術史上、訴訟合戦といってもあったのは著作権と公平利用のあいだで、一部のポップアーティストらがやってたやつくらいしかみた事ない。しかもそれって必然に生じてるもので、要は流用はどこからどこまで二次創作として権利が認められるの? という複製品に関する議論で、まじめなものだった。つまりは平和な業界だったのである。いまにしておもうと。
 そんな業界をおもいっきりぶちこわしにきて、現にぶっこわしているのがゲンロン一派という異常事態なのである。それはもう日本美術史上しょうがないことなのではないか。訴訟連打してくるから、つまりはスラップされたら一撃でしぬような資力しか大抵のアーティスト・批評家らにない以上、自己について判断力のあるだれも触れられなくなっているだけで、どうせ後世から冷厳に評されるだろうことは認めるべきではないか。

 ちなみにもうこのブログから消してるけど、わたしは、わだすは、つだだいすけと申すおかたについてぇ、一言書いてたんですね、最初。それはただのいちアーティストだからだ。僕が。アイトリ2019のコンセプトが出た時点でだ。
 あのコンセプトはまぁまぁやばかった。それは美術業界をひとくくりに喧嘩うっており、僕はその業界に属してそうで直接属してはないので、どこでも個展とかやったことないし、孤立した作家なので、直接ダメージはないものの、おそらくこれは攻撃されたもしくはそうと感じた側がきれんのかもだろうなぁと予想された。なんでかというと。僕はその業界の内部はかなりの深度と洞察力で、かなりずーっとみてきている。その実態からして、ま、くまなく見れてるわけではないが、大体において津田さんは勘違いしてるふしがあった。美術業界って別に女性蔑視とかしてねぇとおもう。むしろ女性がひいきされてるくらいのもんではないかとおもう。なんでかというと。多数派が女性だからだ。美大とか。僕の姉もだし。そういう場って、一般には女性に奉仕する様なかたちになってるんであって、だってほとんど女性なんですよ? ミューズの神殿じゃねぇが、男性なんて別に威張ってなかったゾ、とおもったのだ。それどころか僕のしりあいの男性の美術家らって、ちょっとひとりの例外もなく優しい感じの男性らで。いわゆる女性ポイ性差なのである。まじで。喧嘩うってくるやつなんていもしねぇ。そのあたりとかをちょこっと書いてみたのである。そしたっけね。津田さんがエゴサ好きらしく、ツイッターにリンク自動で流れていった分のわがブログ記事(もう消してある、かな?)を読んだらしく、絡んできたのね僕に。
 これでもうなんかしばらく絡まれて、というか僕から絡んでいってないからそういっていいとおもうんだけれども。かなり津田氏側の認識が僕にもわかった。
 それで僕はおもったのだ。これは炎上するかは当時まだわからんかったが、コンセプト自体がやばいと。そのやばさは起爆力がやばいのだった。

 したっけね。実際起爆してしまいましたとさ。ね。

 すごかったね。燃え方が。僕のせいじゃないよ。僕は止めていたの。つださんに。軽くね。かるくだよ、津田氏の自由だから。コンセプト企画も。 芸術監督さんとして。でもやべぇだろうなと予想していた感じに、やっぱり結構ちかくなっていったのだった。
 なにしろ通るわけもない理屈を押し通す感じになっていたのだ。尤もそれを津田氏につたえることは著しく困難そうだったし、すでに展覧会は迫っていたのでコンセプト発表後、その修正なんざきっとできなかったのであろう。けど問題を認知した時点で過失を避けるべくできることはあったはずなのだが、津田氏はその様な行動はせず、いわば誤った目的の戦争中にそれを止める行動をせず、自分のつくった機構がもううごいちゃってるからごり押しで行こうとしてやっぱり愛知県界隈の関係者ごとズタボロに叩かれまくる結果になったのだった。僕は叩いてないけどね。そうなる事が見えてる感じだっただけで。

 色々やばさはあるがそれに一個ずつ触れるとまたも津田さん界隈で今起きている訴訟合戦火に油そそぐ形になりかねんので、後世になってから発表しないといけない、のかもしれない。いまの時点で下手にそこに批評くわえていくと、普通につだっちのお師匠が訴訟合戦に遭ったみたいになっていくであろうからね。あれもすごい案件だ。僕はそれもかなりよく観察していた。多分、詳細しってる人は、というか津田さんのお師匠さんが津田氏に提訴されて民事だろうしどこまで過程が公開されるかはしらんけど、それも、ひとつあいとり史の顛末に残ることはのこるのではないか。

 大体このあたりの泥沼試合。とんでもない状態なのである。さっきも書いたよう、われわれの世界はいまにしておもうと平和だったのだ。美術業界って多分。しかしそこに女性主義をおもいっきりもちこんで、社会科学的な反証主義のまなざしからはほとんど偏見であろうと、女性教授の少なさ(日本人女性一般が教授になりたがらないのは美大にかぎらない)とか、性的嫌がらせ系確証バイアス(他業界にも存在するので特異な現象といえない)とかをあつめ、例外の余地やひとりも逃げ場なくアーティスツ・アート関係者どもまず全員ぶった斬ろうとするつだっちの蛮勇はすさまじいものであったが、それだけに反動もすさまじいものがあった。雑なコンセプトで現代アートねじれ宇宙決戦百戦錬磨の連中たたききれんの? 村上隆とクーンズ級でもグザヴィエ・ヴェイヤンの前座あつかいされるだけで大して勝てねー戦いが国際美術展なのにとおもっていた自分を除く国内美術業界人一般は、相当まちがってなければ、それなりに反発を感じたひとがいたのではないのか。だってさ、たしかに僕が見てきても彼らって女性だのなんだのに優しいんだな、一般には、みたことねーが特殊なひとのぞいてそうじゃないっすか。というかその種の特殊な人を、僕はまじでまだみたことがない。正確にいうと美術関係者って誰に対してもやさしくねーっすか? なんかあっても某画伯がヌードモデルを生徒に断られた? らしくて、それが僕の親友(小野さん)の(当時)彼女だったらしく小野氏ぶちぎれだった案件くらいしかきいたことがない。それも僕は直接みてない。もう僕はそのころ都内にもドバタ(すいどーばた美術学院)にもいなかったんで、全く別世界。ま、自分はそっちに深入りしてないからね。日本の美術アカデミズム界。よくしらんけど内部ではいろいろあるのかもしれないから断定的にはなんともいえないのであるが、なにしろ芸大位階制、本気で腐ってるなーとおもって僕は1年でさっさと外にでたので。18の時。
 かかわらなくて正解だったといえるのではないか。美大藝大。
 津田氏がジェダイなのか、美術業界がジェダイなのか。そこは私には判断つかぬ。しかし。津田氏が仮想敵ことごとくぶったぎる為には、女性主義の肯定行動一本槍、もしくは裏技でも、東浩紀の後ろ盾で天皇踏み絵の飛び技くらいでは基本準備不足だったらしかった。あまりに国内美術業界と右翼を同時に敵に回しまくった結果、周りをつぎつぎ敵に囲まれていき、ついには大炎上したのはみた。あれはおそろしい。
 しかも津田氏がむかしひと悶着おこしたお師匠や、同士のような黒瀬陽平氏もアイトリ2019を凡庸な展覧会あつかい――僕は直接展覧会みてないからなんともいえないが、だって君子危うきに近寄らず、ではないか。だが炎上コンセプト以外では、普通に展覧会がつつがなく終わっていたはずで。黒瀬氏がそこでいうのは生でみたら正論だったのかもしれないのだが――はたまた、つだしと友人だったろうモギケンまでオリジナル喜劇動画で正論ごんたとかいう謎キャラによりあいとり2019表現の不自由系展示かを「悪趣味」と論評、後ろから切りつけてくるみたいなふるまいをしていた。さらに追いつめられる津田氏は盟友だったろう東氏からも向こうから別れを切り出される様な状態になっていったのだった。
 けどね、これは嘘抜きで、なぜか僕に喧嘩売るみたいなことした人が自動でそうなる様な場面って、本気で結構ある。神の御加護か? 偶然というにしたって、あまりに急じゃなかろうか。
 しかも場外乱闘で黒瀬氏vs安西彩乃氏、東・上田洋子氏らゲンロン派vs黒瀬氏らカオスラ派、東氏vs彦坂尚喜氏、などなど連鎖的訴訟合戦にその界隈は入っていっていたのだった。去年。さすがにそこまで行く前に、雰囲気みて、普通に考えて君子どころか常識人が危うきに近寄れない案件でしょそりゃあ。美術界でみたことないレベルに業界内外まきこみ戦になっておるではないか。

 この一連の動きをこわごわみていたんだが、はっきりいってまじで恐ろしい展開である。そして僕はその序盤に、そこまでいくまではわからんかったが、結構やばさだけは感じとっていたのだった。
 やっぱ、自分は直感が鋭いんで感じる時は感じるもんだ。津田さんにツイッターで展覧会きてね! っていわれたけど、ある種の勇気でちゃんと理由述べて断ったもん。僕。無理じゃん。こわくて。ま、どんな展覧会でも自分まず行きませんけどね。面倒くさいから。かなり目が肥えてしまっているせいなのかしらんけど。昔は行ってたんだけど。
 だから序盤で津田氏がエゴサでからんできたとき、冷静にあいとりコンセプト最大の社会学的問題点とおもわれた「肯定行動は必ずしも性差自由と一致するとはかぎらない」論をしていた僕をつだしが向こうからブロックしてくれたのは、かなり結果としてはよかったのではないか。自分は、神に守られた。無神論者からしたらありえないが、たまにそういう事が起きる気がするものの、多分あるとしても信仰という偏見だろうけど。

 まーとにかくだ。ゲンロン一派はこの後、モギケンを編入する方針にしたらしい。モギケンとはご存知茂木健一郎氏。なんかモギケンカフェとかいう対談シリーズを始めて、シラスとかいう新しい動画プラットフォームにチャンネル開設を直近あおってるぽかった。数日前くらい。このシラスなる有料課金サイトみたいなのも、上記の事態がすすんでいく中で発表されてある種いわくつきといおうか、できた最初、東浩紀がこんなこといってたのだ。
「ガースーとかどうでもいい。シラスなら炎上しませんよ、スガさんおいでなさい」
とかって。ツイート掘れば正確な文言でてくるとおもうけど。
 当時あづまというひとは自分は右派になったとかいいだしており、そんな感じであいとりアドバイザーも途中で降りちゃったり、当人物、まえから立場はわりところころかわるんではあるが、今度は自由派から右派になりました~的な言説をし、黒瀬深とかいうだいぶいかれてる極右アカウントみたいなのに挨拶したり。色々歯車が狂いだしている感じであった。その後深氏(黒瀬氏だと陽平氏とかぶるので)は、さきの新潟県知事だった米山隆一氏に喧嘩うって訴訟され、個人情報とられたらしく焦って逃げたみたいな呆気ない幕ぎれ感、大負け戦なのであった。大阪かなんかの青年だったらしいすね? よくわかんないけど。興味ないので追ってない。ちなみにいろいろ口先だけでプロフィールについて嘘つきまくって安倍ナチ政権を礼賛しまくってきたやつだったのであるが、モギケンも当時、深氏にいつもご活躍は拝見してますとか挨拶ツイートしだしてプチ炎上してた。シールズに絡んだ時もあったけど、今度は極右アカウントにそうする。過去のもぎしの言動から推測するに安直な行動だろうしにぇ、きっと。
 で、あづま一味は今度はモギケンを客寄せ? にしようとしている様にみえる。津田切りというすさまじい行動のつぎにだ。すごいね。つだぎりにはびっくりした。
 あづま氏はこの意味だと、まじでいわゆるサイコパス度が高い経営者の行動みたいに一連のばたつきがみえかねないとおもわれ、つだしが同時期に好敵手となるポリタスTVとかいう動画サイトをたちあげてたからなのかはしりませんけど、津田・あづま両氏ってひとむかしまえ親友みたいだったのだ。かれらってなんかモギケンらと鼎談とかやってたよ。いろいろ。ニコ生だかの動画で。それがあづまときたら急に津田さんを罵りだしたもんだからこわかった。あれ、ほかのみてた人らもこわかったんではないか。僕はこわかった。だっていかれてますでしょ? あいとりで一緒に炎上したからって、その火の粉をなんとか払ったら助け合うどころかあづまがわから友情をいきなり切りはじめ、なんでかとおもったら、なんか性格の不一致っぽいんだが、かなり陰険ないいあいみたいになっているのであった。

 まぁたしかに人間にはいきなり友情をきりはじめるやつはいる。それはそれ。だがその展開自体を詳しくみて、そこに道理、あるいは義理人情があるかどうかが大事とおもわれる。
 津田・あづま間のそれは僕が眺めてた感じ、要はビジネス的な関係で一緒にやっていくのが困難になったっぽい雰囲気もあった。すなわちあづま氏は、つだ氏が時がたっても延々対右派戦で炎上しつづけているので、それだとあづま氏的にはもう商売にならないからきりすてる選択をしたかのようであった。動画サイトの方針か? つだ氏はその不義理・不人情に疑念を感じつつ、いろいろ彼っぽい左派っぽい、なんかねぇセクトっぽい言い方であづま氏の変節をおおかれすくなかれ非難しだしたみたいだったのだが。それにあづま氏の側がことさら腹を立てだし。ついにこと切れたのであった。

 モギケンが呼ばれたのは大体このあとくらいの感じであったように思うが、すなわち、あづま氏がつだぎり後の客寄せ役きてください、ここに茂木さんがいる、ちょうどよかったありがとうっぽくみえたしぐさだったのである。僕が第三者としてツイッターみててだよ。実態はしらん。ただ、モギケンはある種単純な人間におもうので、へーい行きますよ~みたく、普通にゲンロン最高! 対談中にでてくる寿司ウマみたいなことをいっていた。あれどこのすし? とかきいて、すべてのすしで最高にうまいとか動画だったかラジオだったかでいっていたが、「近くの銀のさらのみたいですよ」(銀のさらは宅配ずしのチェーン店)ってあるコメンターに教えてもらったら、高級すしと見分けのつかない味覚に自分でびっくりしていたみたいでもあった。プライミング効果というやつで簡単に味がかわる。その意味ではモギケンって真正グルメではないのだろう。アヅマンとの友情最高みたいな。これはこれでこわい。つだっちの気持ちが全然わからないらしいのだ。

 僕はああいう人らあんまり現実でみたことがない。不人情の空間だ。
 自分としては上記経緯ではなはだ強く、一切ゲンロン派界隈にかかわらないべきだと判断している。無論それは私個人であって、モギケンみたいな他人がその界隈で楽しくやる自由を妨害するつもりは皆無。当然自分の責任の範囲を超えている。もともと僕とは性格から哲学の向きから、美術の好みから、なにからなにまであづま一味と違いすぎるので、同年代くらいなのだろう黒瀬陽平氏らカオスラ連とちがってそこに縁がないが、それでよい。

 ひとはひとに義理人情を欠かさぬべきものとしつけられその通りに生きてきたと渋沢栄一が『徳川慶喜公伝』の自序に書いていたが、基本的倫理観がぶっこわれてる系の人って、義理人情の観念はさほどもってなさそうである。違うんだろうか。もしそうなら、自分が不義理働いておいて、お世話になったお師匠さんを訴訟ってするもんだろうか。あるいは親友をただの損得勘定っぽくうらぎって、同時に別の友人とその親友へ公然とみせつけるようひっついたりするだろうか?

 ともかく。そうしてゲンロン一味というのは、少なくともその動画サイトに於いて有料制に閉じた系をつくっている。サロン商売なんだろうけど。これ、哲学あるいは政治に関したことについては、とってもまずいと僕は直感している。なんでかというと宗教集団って、宗派って、閉じると先鋭化しますでしょ。まさにその状態だからだ。もちろん一般に学派って外の系と出入りする人がいる半開くらいだろうし、ゲンロンもいちおうBANされてなかったら金払えば誰でも見れるはすんだろうけど、この場合にかぎって、ダークサイド・アヅマヒロキが教祖状態で暴走したらどうなるか。
 前回は、というか、過去最低3回は実例ある。1度、原発麻雀。2度、あいとり炎上。3度、黒瀬事件。2度あることは3度あるどころかもう3度あったんだから、4度目がない可能性がほとんどないほど某氏が教祖として暴走しがちなのが、経験的にはよくわかるであろう。科学的にそうとまではいわないが。希な事例がたまたまその期間に集中してただけの可能性も残ってはいますがね、確率論なら。

 僕は思う。批判に閉じた系は大抵くるっていく。なにせ会社ですらそんな経験値から外部監査役を重役に入れる慣習があるのだ。それがない状態ではたやすくおかしなことをしても、だれも修正できない。悪魔の代弁者が必ず一人以上いないことには、そして必ずなされるかの反論自体がかたちだけになっておらず、批判的有効打撃を伴いうるのでないかぎり、教皇ですら道を踏み誤るかもしれなさがありまくるのである。だったらそこらの会社社長なんざパートナーだか外部監査だかがつねに冷静でなければ即座に、変な判断をしてもおかしくないであろう。そこをお仲間でうずめる瞬間に終わる。組織はそうなっているというべきだ。
 そしてその実例を示しているのが現に、この国ではなかろうか。政局的に弱小政党の日本共産党は、一般論として、悪魔の代弁者の役割にいたのである。だが共産党が皇室にへつらった結果、退位法をビデオメッセージで国民に広く求めるとかいう憲法4条1項「国政の権能をもたない」はず天皇に、憲法違反の大蛮行をさせてしまったのである。ふざけんな、ふざけんなといい、国会で日共だけ退位法に反対票を投じていたら、すくなくともまたも天皇全体主義で国がおわることもなかったであろう。象徴が違憲なんだからおわったに等しい。憲法5条と皇室典範16条2項に、天皇が心身重患なら摂政を置くと書いてある。
 本来、親友というものは、自分の為にどんなに厳しい忠告も真正直にしてくれる人にすべきなのはこのためである。