西日本の人達は、薩長土肥京芸(鹿児島県、山口県、高知県、佐賀県、京都府、広島県)ら西軍の府県をはじめ一般に自分達が東日本・新潟や沖縄へ侵略した事を歴史的に是認し、美化している。そこに罪悪感の様なものは存在しない。彼らが頼りにしているのは反徳川こと倒幕の国討ち思想、つまり徳川家とその配下への裏切り・侵略・虐殺行為を正当化する為の諸々の郷土史であり、その文脈の中では西軍による東日本・新潟や沖縄への侵略罪について少しも反省する文脈で語られる事はない。
その上で、彼ら西軍は藩閥・軍閥となり、明治寡頭政治の中でなだれ込む様に朝鮮、ロシア、台湾、東南アジア、中国、インド、ハワイへと侵略罪をくりかえしていった。彼らは山口県(旧長門国)の吉田松陰が『幽囚録』で唱えた侵略・植民地主義を金科玉条の絶対教義と信じきってきているからである。
米軍による原爆投下は、彼ら大部分の西日本人にとって自分達がおこなってきた侵略罪に対する当然の仕打ちだとは受け取られなかった。しかし米軍による原爆投下は、一般的世界史では日帝による真珠湾攻撃ならびに植民地侵略への連合国からの報復措置であると、そう受け取るし、実際、その様な文脈で投下された。したがって西日本のうち、特に薩長土肥京芸で一般的な歴史観はいまだに、その外の世界に比べ、世界史的視野に欠けており、非常に歪んでいるといえるだろう。しかもその歪み方は著しい危険を伴っている。なぜなら彼らは侵略罪が失敗した事を悔いてはいても、本質的に、侵略罪自体を反省したわけではないからだ。その証拠が、彼らの幕末史について国内外へ侵略罪をおこなった西軍と薩長藩閥の元勲らをひたすら美化する、いつもの西日本仕草なのである。こうして西日本人一般は、そのうち右派や極右にあたるネットナチスを中心に――ただし倭人のネトナチというものは明治政府以後の右派論壇から完全に洗脳されており、彼ら西日本のネトナチとまったく同様の論点である西軍美化論・侵略正義論・原爆被害者論をとるのが典型的だが、西日本だけに偏在しているとはかぎらない――いまだに米軍を不当な民族虐殺をおこなった野蛮な天敵かの様に語っている。実際に植民地から各地を解放したのは米軍だったのに、である。
竹田恒泰氏が「原爆投下は米軍による単なる民族虐殺だった。戦争終結を早める為に必要な措置ではなかった」(『【竹田学校】歴史・昭和時代編(戦前)㉘~原爆投下①~|竹田恒泰チャンネル2』『【竹田学校】歴史・昭和時代編(戦前)㉙~原爆投下②~|竹田恒泰チャンネル2』)とする西日本人一般がとりがちな原爆被害者論の歴史観は、結局、本質的に中古代奈良の天皇家による侵略罪もろとも正当化しようとする皇国史観と一体化し、明治政府と呼ばれる西軍の恐怖主義暴力団による蛮行の数々も、天皇政府によるあまたの侵略罪・主権侵害行為ごと、歴史的にまとめて肯定しようとする悪意から出てきているのだろう。例えば天皇家による平将門やアテルイの自治権、徳川慶喜と松平容保らの主権および今日の概念でいう人格権はじめ諸人権への侵害などがそれにあたる。そこには単なる奈良へ渡来・侵攻してきた(天孫降臨、神武東征)中国・朝鮮からの一豪族にすぎないにもかかわらずなぜか日本統治の正統性をもつと勝手に称する征服絶対君主づらの天皇家やその元の西軍という恐怖主義集団から非道な濡れ衣を着せられ虐殺・虐待された被害者に対する同情や共感の念はなく、侵略加害者側としての自分達を自明の正義と置く、西日本自民族中心主義がある。
竹田氏が自国優越思想と高裁に判定された部分は、実際には神道こと天皇中心主義による中華思想の一種といえるだろう。そしてその派生物として西日本自民族中心主義が、渡来人・弥生人らの一系としての自分達の関西・薩長政府や彼らの自文化を日本の中央・中華とみなさせ、正統性・比較優越性をほとんど無理にでも付与させ、あるいは事情をしりながら彼ら天皇家と関西・薩長政府からの被害者側の歴史を弾圧・否定・検閲し対照的に西軍美化を唯一の正統な歴史観とみなそうとする悪意へと次々連鎖しているといえるのだ。現実の西日本は縄文後期に歴史的断絶があり、最低でも数万年以上続く東日本の歴史的伝統に比べれば飽くまで数千年しか歴史をもっていない新参の渡来人文化だといえるのにである。
国連が国連憲章で敵性国家と日本を定義しているのは、この様な公平な科学的歴史文脈では全く道理があることだ。実際、藩閥を構成した一部西日本の郷土史を背景にもつ人々は、薩長土肥京芸を中心に、一般に今でも、侵略罪をなんの罪にも感じていない。もし僅かでも良心の呵責を彼らが感じていれば、慶喜・容保らへの冤罪による卑怯な国討ちと恐怖主義に彩られた西軍を美化、英雄化など、到底しようがないからである。単に諸外国人へ向けてだけでなく同じ国民、日本人の主権をも権謀術数のかぎりをつくし悪意ある濡れ衣と恐怖で暴力的に侵害することを美事だとして、薩長土肥京芸の各自治体は自身の郷土史へ不可欠にくみこんでいる。そしてこの点で彼らは誠実さや反省力、人としての良心に全くといっていいほど欠けている余り、自分達の近代史を否定する県外・府外では世界史的には常識ともいえる歴史観へと目と耳を塞いでいる。彼らはその知的・倫理的限界によって、今更自分達の過去の侵略罪をそうと認めたり、被害者側の歴史を入れて郷土史を訂正などできないだろう。科学的歴史観をもつためには、彼らの郷土愛はあまりに極端で、それをうけいれるに必要な文明度にも度量にも人間性にも欠けているからである。だから薩長同盟こと西軍形成以来の明治政府こと日帝が、根底的に『幽囚録』で示された松陰思想を受け継ぐ無政府・侵略・反天恐怖主義の野蛮な敵性をもつ集団だった、と彼らに被害を受けた国連の常任理事国側が定義するのは、歴史的にも正当性があり、また事実でもあるし、実際、日本国内でもそうなのだ。単に、東日本・新潟や沖縄ならびに西軍の侵略被害を受けた国内各地は、その様な定義について国連に遅れてきただけなのである。くりかえすが、薩長土肥京芸らはいまだに幕末の侵略罪についてなんの反省もしていないのだからだ。また同じ無反省なダークトライアド(闇の三性格)ぶりは、少なくとも大和王朝となのりだしてから国内外各地であまたの侵略罪や謀略による主権侵害をくりかえした世襲独裁者の天皇家にもあてはまる。
朝鮮や中国の人々は、国連同様、東日本・新潟や沖縄と、西日本一般を混同してしまっている。また西日本や中部でも、例えば和歌山とか愛知とか、福井とか愛媛とかのよう、必ずしも西軍に与してしていなかった自治体の郷土史を、薩長土肥京芸や天皇家のよう近世に於いて進んで西軍に与し侵略罪をおこなった自治体・主体のそれと、雑に混同してしまっている。この問題点は、非西軍の自治体は、総じて専守防衛・保護貿易下で平和外交主義をとっていた徳川政府の担い手・改革者・協力者だった点にある。中国や朝鮮と徳川政府は平和外交をおこなっていた。それが天皇家を擁した西軍にのっとられたことで侵略日帝政府におきかえられてしまったのである。即ち、朝鮮や中国の人々は、侵略主義をとった薩長土肥京芸ら西軍からの同じ被害者にあたる一般的な日本人の自治体・主体をも、その郷土史に二重の悲劇となる濡れ衣を着せる形で不当に貶めてしまっているのである。