2021年8月14日

なにゆえ侵略罪の最高刑をわが国実定法典の第一条へ永久に明記すべきか

広島被害者論に片寄って物を語る人々は、広島人が進んで幕末の西軍に与し、徳川家へぬれぎぬを着せて東日本・新潟・北海道へ侵略虐殺行為をおこなった戊辰戦争以来、国内外の東亜やハワイ、インド(ビルマ)など各地で犯した残虐行為の数々への正当防衛として国連軍側から原爆投下された、という世界史上の事実について、認知的不協和を解消するつもりで近現代で数多の証拠が存在さえしている単なる事実の方を歪めようとする。または論理破綻した自己都合の解釈で無理に、西軍、日本軍や天皇、および日帝、広島人らが、前将軍・徳川家への不忠なぬれぎぬや、国打ちによる国内への暴虐・周辺国植民地化のための侵略犯でありながら、自分達西日本勢からなる明治帝国を美化しよう、英雄化しようとするたちの悪いザ西日本中心主義的歴史観で、自己正当化しようと必死になるのである。このため、西日本の人々は一般に、これら小御所会議で西軍に与した薩長土肥京芸の残党が鹿児島、山口、高知、佐賀・長崎、京都、広島などに遍在し、それらの人々が自分達の侵略罪をさも幕末政治上の正義かのごとくに自己正当化し吹聴つづけているかぎりで、永久に、他人の主権を暴力・暴虐・虐殺・脅迫・冤罪など手段を択ばぬ蛮行による権力専横と国政の乗っ取りで侵害しようとするかれら自身の完全な悪意による国内外侵略罪の必然的末路としての広島人や長崎人への原爆投下が人的被害だという自業自得の立場と、論理かつ倫理上矛盾しつづけざるをえないのである。天皇を擁した西軍・薩長藩閥・日帝による侵略罪の大部分での大量虐殺は自称正義として是認あるいは正当化しつつ、被害者からの正当防衛は自分達が直接大量に死んだから悪業あつかいなど、底抜けに偽善的、救い様がない利己心、あるいはサイコパシー(精神病質)による害他精神としか解説しようがないが、こういった考えを日本の西側の大部分の人達が学校での郷土教育その他ですりこまれているのが、絶望的かつ悲惨な現状なのである。だが、西日本人一般、特に幕末から昭和前期の薩長土肥京芸のひとびとは、その侵略犯の一員であった皇族と同様、かれらの先祖が犯したその種の主権侵害と虐殺加担の罪悪感を世界史の事実が不変なのにもかかわらず少しも感じとることがないし、仮にどれだけそれらの事実が動かしがたいものであっても、根源的な自己愛のためにみずからの先祖あるいは地域の先人たちが今の価値観からみれば紛れなく極悪であった、という現実の方を美化する側に歪めて解釈しようとするあまり、神話、小説、映画、漫画アニメ、さもなければ史書の体裁をとった偽史の本など土台から稚拙な虚構を用い、自分自身の先祖が罪人であると認めない為の無数の嘘をつきつづけるしかなくなっているのである。これらの虚栄心に耽って祖先崇拝したがるひとびとには宗教的に懺悔という行動をとってみずからの反省のよすがとする文化習慣が一切なく、その為の科学的客観性も大抵の場合なく、仮にあった場合でさえ道徳的誠実性の方は、一切欠けているのである。

 したがって、諸国民からよくいわれる話だが、我々は戦後ドイツ国民と、戦後日本国民を同列に並べて語る事ができない。なぜならドイツはナチスの歴史と真摯に向き合いその再発防止にかれらとしてできるだけの努力をしてきた事実があるからだが、日本は一般国民の次元でこの種の反省を寸分も行うことなく、逆に大量虐殺の首謀者であった天皇一味を象徴として無罪放免にし徹底美化しながら相も変わらず崇拝対象としている上に、のち藩閥(明治寡頭政治)として侵略犯の直接の起源となった薩長同盟ら幕末西軍、日帝らが各地で犯していたあまたの人道犯罪はいうまでもなく、そもそもの天皇制こと神道カルト支配の邪悪さについてもその豪族圏が奈良で確立した飛鳥時代まで遡って徹底断罪するだけの知的・倫理的誠意やその為の知能そのものに、国民一般が欠けているからなのである。代わりに、戦後日本人達がやってきたのは、アニメ映画『火垂るの墓』『この世界の片隅に』『風立ちぬ』などの様な幼稚な子供だましの物語で日帝を美化し、あるいはNHK大河ドラマや悪意ある断章取義もしくは信用ならない本からの信用ならない恣意的引用と薩長中心主義の虚偽の弁に満ちたウィキペディアその他の風説で幕末西軍の反政府・反国民的なあまたの裏切りやぬれぎぬ、国打ちの恐怖政治といった数々の蛮行を英雄化し、大量虐殺犯の一族でしかない皇族やその末裔を現人神同然に元首扱いあるいは血統上ひいきしながら、かれらと対比する形で周辺民族その他を人種・門地・民族・文化差別するなど、どこまでも無反省な明治右派しぐさの数々であった。これらの自己欺瞞にすぎない虚構によって単なる実証による科学的な歴史をあたまごなしに弾圧し、天皇ならびに皇族または西日本の薩長土肥の元勲ら、それらの末裔を含んでいる自民党を主とし、それと敵対するものを無理にでも悪玉視させるといった敵・味方の漫画じみた善悪二元論の臆見で、全てを裁断しようとしてきた日本国民一般、特にそれら西日本で今もなお幕末明治から今までの長州閥寡頭支配などを無駄に美化しているひとびと一般と彼らに影響を受けている虚偽にみちた、自己都合で歪み切った偽物の歴史認識の愚かしさとくれば、ホロコーストの現場を国として懺悔の記念碑にしている戦後ドイツと単純比較するのもおこがましいのはいうまでもなく、あまりの根っからの邪悪さに、国連に属させるのも言語道断といえなくもない、ならず者の集まりというしかないほどの悪徳の質なのである。もし彼ら幕末・明治美化の西日本勢を、戦前の侵略罪の反省に基づく国連に属させていいと判断する者がいれば、その人達は確実に人を見る目を間違えているというべきだ。かれらは現実に今もなお何も反省などしていない。私が会話してきた西日本の人々は、確かに、侵略罪による蛮行を、勝てば官軍と呼びいまも自明の正義かのよう信じ込んでいた。それは諸国民の人権の一部に主権の相互尊重が当然に認められるべきであるからには、一見先進国の一員づらしているが、天皇ならびに西日本西軍属府県の歴史的無反省ぶりに由来した、歴たる野蛮さの証拠というべきだろう。
 ちなみに同様の侵略是認歴史観をもちあわせているのは、日本全体では必ずしも明治150周年式典などと銘打ちそれを公言して恥じなかった薩長土肥京芸ら人道犯罪的で恥知らずな自治体一般、少なくともその代理人である長らにかぎったものではない。尤もそれらの幕末西軍による侵略罪を過度に美化している西日本の少数自治体が最もたちが悪いのは事実であるとして、例えば中部地方であって幕末時に徳川方であった愛知県名古屋市長の河村たかし氏が、少なくとも南京虐殺否定論などを唱えている場面についてなど、部分的に侵略是認をする者は、かれら個々人の野蛮さに応じて後を絶たないのもまた別の悲惨な現実である。現代政治史の中で、ベトナム戦争以後の自衛隊やその指揮者である首相、およびかれらを裏で無法な絶対権力者として操る天皇一味が、米軍有志による侵略罪を止めるより一層手伝う側で後援してきたのは、これら侵略罪に無自覚な極悪人たちが戦後ものうのうと国の支配者をしてきている動かぬ証拠でもある。

 これらの愚か者、あるいは偽善者たちは、過去に証拠だてて実在した先祖の歴史上の事実を歪めて子孫である自分達の気分をよくする作り話をうのみにし、実際には悪意による侵略虐殺罪の加害者でしかなかった広島人もしくは長崎人一般を、自分達は各地でそれを遥かにうわまわる残虐行為をあまた犯してきていたのにもかかわらず、正当防衛上の原爆投下という単なる戦争犯罪の被害者と思い込んでしまって決して疑う事ができない。虚構を事実と混同する人々の末路は、全体結束的な歪んだ反響室の内部にこもり、現実と違和する自分の思い込みの唱和を無限にくりかえすばかりで、いわば閉じた魔界で永遠の恨みを語るばかりである。しかもこれらの認知不協和に対し事実を自己の信仰でねじまげる否認的な虚構論者あるいは単なる嘘つきたちは、既存の歴史として彼らの中で信じられていた事柄について自己懐疑を伴う過去の客観的事実の再発見の前であまりに浅はかで、ただの自己都合による心理的主観に引きずられやすい。また当時のいづれかの政治勢力に操られやすく、単なる事実に基づく歴史学を、自民族中心主義的に自分のその場の都合で解釈し、無際限に利己的な歴史虚構観による自己愛で、敵と味方とに人類を無理やり二分しつつ、つねづね当時の自分に有利になるようすべてを嘘で上書きしていくつもりなのである。
 ホロコースト否定論や南京虐殺否定論と、広島被害者論あるいは薩長土肥京芸ら西軍美化史観、もしくは皇国史観を含む神道神話は究極で同根であり、それらなんらかの虚構を含む自己都合の歴史観なるものを公然と述べて恥じない人々は、歴史的事実を当時の自分達に都合がよくなるよう意図的に消去・上書きしてつくりごとの嘘に書き換えようとする点で、公文書を無理に愚かな自分を英雄化するため悪意で改竄したわが国でも比類なき巨悪である安倍晋三被疑者一味と同然の低知性または不道徳でしかない。仮に、実証科学の意義もしくは天皇家・宮家ら皇族の世襲独裁者性、または大量虐殺の正当化を含む神道の邪教性が十分に知られていなかった時代として最大の知性や誠意を駆使していたのが過去の歴史家にとっての事実としても、ひみこやアテルイ、クシャマインら中国朝鮮から自称天皇一味が侵略してくる以前から現地日本豪族らは本来の日本史を紡いできたのであり、それをすべて天皇家が最初にうみだしたかのよう意図的に書き換えたのが『日本書紀』『古事記』であれば、ここには中古代奈良の天皇一味とその手先らによる悪意、特に中国に於ける各中華皇帝による統治の正当化のための歴史改竄の悪例を模したとして、主権在民の今から見れば純然たる騙しの悪意しかなかったというべきである。

 日本国の全領域は二度とこれらの侵略収奪目的の悪魔的蛮族に国政内のいかなる場所も少したりとも明け渡してはならない。また、薩長土肥京芸こと山口、鹿児島、佐賀・長崎、京都、広島の各府県に対しても、かれらが過去の過ちを郷土愛の文脈で美化する目的でそれらの自治体の単位で同様の侵略罪の正当化をした際には、国権の持ちうるすべての力をいかなる留保もなく最大限に使う政治的かつ道徳的制裁によって能うかぎりの厳罰を例外なく厳格にひとりのこらず与えきらねばならない。それは国連が単なる連合国側の都合次第、昭和天皇や岸信介といったA級戦犯の一部を見逃した事で、その後の当該真のA級戦犯残党勢が、皇室や自民党員としていかに被害者蔑視的で自己欺瞞に満ち満ちた不埒な悪行。みぐるしい蛮行や国民・諸人類洗脳行為、あるいはその後援をあまたの作り話を含む神道神話的妄念による自己正当化のかぎり繰り返したか現に続く実例があるかぎり、この侵略罪への歴史的裁きにとってあまりに不完全だったからだ。
 我々は不文法・自然法としてのみならず、実定法としての憲法ならびに刑法に、侵略罪を犯した主体および共犯者への最高刑を明記し、すくなくとも幕末以後に侵略主義を唱えた吉田松陰、征韓論を唱えた西郷隆盛、大久保利通、板垣退助ら、及び飛鳥時代に帝国主義を開始しつつそれらの後押しをしてきた歴代天皇らの悪行を全世代にわたって人道の面から断罪しつづけなければならない。この際、侵略戦争にすぎなかったイラク戦争、及び米軍有志連合による内政干渉を名目にしたシリア騒乱ならびにシリア民兵将軍暗殺などの侵略戦争加担行為をも自衛隊を指揮する首相を任命する座から、天皇を辞任も皇室制度をみずから終焉もさせず現に後押ししていた平成天皇こと明仁氏も同侵略罪に曇りなく完全に該当する、と断言すべきだろう。