愚者は肩書で説得力を見分けているらしい。それで偽りの肩書に騙され、致命傷を負う。
かれらは天皇という肩書のついた者が命じたら、いづれかれらから汚名を着せられる身代わりの戦犯にされるのに、進んで集団自殺もするのは結局こういうわけである。普段から、かれらはその種の偽りによって物事を判断しているから。
邪教を崇める様になる人々は、なべての事柄について思考放棄している。人格神への崇拝も、それが偶像崇拝となった時点では、思考放棄に等しい。
肩書信者は余りに愚かなので偏見を脱して物をしる事ができない。ことばの多義性をしらず、自分の卑しく浅ましい主観で他人を誤解・悪解釈し、それで済ませて生きている。またかれらは或る偏見を脱構築できないし、批判的思考や、ものごとの反証を冒涜と考え、自分の知らなかった高度で複雑な考えをみるとたやすく発狂してしまう。むしろ思考を重ねるほど自らの信じる過ちを確証バイアスで補完していくにすぎない。
かれらのなかでは邪教祖の悪しき命令が「綸旨」「朝命」「御神託」となって、崇め奉る絶対的教義となる。天皇一味こと神道信者が最終的に亡び去ったのはこの偶像の絶対化の為である。