2021年5月11日

西洋主義者は啓蒙できないほど愚かしい

私は啓蒙が不可能ということをくり返し経験した。人間の愚かさが途中で変化しないのをみた。生まれつき愚かな人が典型的学歴をえていてもそのまま、愚かで救いがなかった。

 生後変わる範囲の一般知能指数など、生まれつきの差に比べれば大したものではない。勿論、IQ自体が、賢さにとっては陸に意味をなさないのだが。コンピュータの汎用部品に生まれつき差があっても、使いかた次第でより優れた為事ができる様、寧ろこの使いかたの方が主体的な賢さと関係していた。私はIQが知的障害すれすれに低いとされている人の方がメンサ会員より遥かに良い倫理的判断をする場面を何度もみた。

 啓蒙が可能だという進歩史観によっていた福沢諭吉は、拭い去れない傲慢さによる愚民観、偏見にすぎない欧米崇拝の西洋主義、アジアやハワイ蔑視の浅はかで表面的な文化観、余りに先を急きすぎ環境や人らしい暮らしを破壊する近代文明への狂信、彼自身の野蛮さの証に過ぎない植民地獲得目的での侵略戦争礼賛などによって、他の啓蒙思想家より一層おろかしかった。
 第一かれは輸入学者で、当時としてはその稼業が軽薄な明治人大衆向けにはまったのだろうが、巨視的にみれば単なる出羽守流の文化盗用で、近代化と根本的に無関係な筈の西洋化、つまり、異文化弾圧をもたらしたに過ぎなかった。脱亜入欧の観念論を含む薩長藩閥的な発狂、いいかえれば皇民化のおしつけを含む日帝主義的なものがどれほど、その後の人類をおろかで、醜悪な有様にしていったことか。

 今もこの人道を破壊しようとする悪意ある暴力は、野卑な西軍が自称天皇の大量殺人鬼ともども牛耳った国政から続けられている。
 米軍が彼らの権勢欲含む俗心を操って、日本文明を対中・対朝鮮・対ロシア戦略の盾に利用しているのも確かである。だが西洋主義に耽る余り自分達がでくにされている事に無自覚な愚官愚皇が、明治維新と称する寡頭的な恐怖政治のつくりのまま、いまだに不埒な暴政に耽っているのはなんの留保もなく、ただひたすら救いがない。