2021年5月14日

京都文化中心主義の末路

京都人は余りに世間が狭く、また野蛮だったので、自分達の存在が世界の中心で最高の文化だと信じていた。それで自分達の移民地区を中華都市の長安になぞらえ、京都とか京と称していた。

 その末裔である自称天皇一味は、大量殺人鬼として江戸へ侵略すると、そこを東の京、東京と名づけた。

 この蛮族一味は大量虐殺をもたらし、今も国の政府を乗っ取っている。だがかれらの心の底にあるのは、自分を上位者に置き、全人類をそれ以下の存在として差別しようとする、ただの悪意なのである。
 京都人や東京人一般が、つねづね、他県の人々を「田舎者」といって公然と差別して回っているのは、一様に、この邪教祖天皇を精神構造からまねたもので、つまりはかれら京都人・東京人自身の驕りきった野蛮さにほかならない。

 京都や東京が亡び去ったあとで、良識をもつ民衆はそれを喜びこそすれ、決して悲しみはしない。天皇一味が亡びてからも同じである。