2021年5月14日

国の盛衰に関わる情報産業の発展をみすえ、著作権法を撤廃し、公平利用法をつくること

日本の著作権法は公平利用(フェアユース)規定の点で世界的に出遅れており、形式的に引用のしかたを限定することで、特に情報産業の発展を阻害しているとみて間違いない。

 例えばソーシャルブックマーキング(社交のしおり)関連サイト、具体的には米国側ですでに成長中の上場企業となっているピンタレストやツイッター、或いはヤフーに買収されたもののリブログ機能で事実上それをかねているブログのタンブラーなど、日本の著作権法では永久に展開できずとっくに一部の人々の悪意や官民一体の不寛容さにより消されていたものが、米国の公平利用法のもとでは大きく進化し、次世代産業にしっかり育っている。
 ユーチューブも日本の著作権法ではとうに潰れていたはずのものでしかない。この会社はのちグーグルの親会社アルファベットに買収されたが、動画共有サイトとしての起業当初から自身のサービスを米国法内で現実の必要とそぐうよう改良しつづけてきた。かれらは音楽や動画などを利用者から一旦自由に投稿させつつプログラム上それらを自動検索し、既に公的に登録されている情報については原著作権者へひとりでに収益を還元するという形で、あまり人力を割かず合理的に公平利用を実現してきた。もしかれらが日本で起業していたばあい、日本の著作権法下ではこれらの投稿ほとんどが違法とされ、今の様あらゆるジャンルで動画サイトの王様としてユーチューブがにぎわいをみせていることはありえなかったであろう。
 実際、やはり動画サイトとしてうまれてきた国産のニコニコ動画はユーチューブより後発だったが、より著作権法に寛容な中国の動画サイト・ビリビリに、利用者数でも売り上げでもおいぬかれた。ビリビリはすでに米国株式市場のナスダックに上場し、単なる文化的影響力のみならず時価総額面でも親会社のドワンゴと大差がついてしまっている。現時点での時価総額で比べると、ビリビリは約3.5兆円ドワンゴは約926億円の価値である。なおビリビリはニコ動よりさらに後発で、しかもほぼその模倣からはじまったのに、余りに的外れな著作権法のおかげで今もこのありさまである。将来はみるべくもない。
 これら以外にも、通常、米国の方が、すくなくともポップアーティストらが漫画や雑誌の切り抜きなどを流用してつくってきた純粋美術・商業美術の分野で長年経験則がつみかさねられ、二次創作に関わる法律面で「盗用」か「流用」か判断が杓子定規ではないので(例えばディズニー商品とジェフ・クーンズ作品へ本質的に異なる基準で対処するなど)、それらのミクスチャー文化をつくる土壌面でも、他国の先例として依然つよい影響力を保ったままということができる。

 逆に日本では通例、二次創作といえば同人誌、つまり、原作の漫画・アニメ・ゲームなどサブカルチャー上のキャラクターをわざわざ淫行させて描く変態性欲の商業漫画、さもなければ、ボーカロイド曲などを歌ってみた系しかおおやけに流通していないに等しい。

 後者・歌ってみた系はカラオケの発展した一種と解釈できるが、やはりここでも利権団体ジャスラックが過度に規制をおこなおうとあまた問題を起こしている。本来、芸術作品はより広範かつ忠実に流通されるほど影響力を伴うべきものだが――なにしろそれは誰かを感動させなければ意味をなさないものなのだ――かれらはレコードやCD時代の古い意識のまま有料化にこだわるあまり、KPOPなどデジタル時代の開放戦略をとる国の音楽へはるかに後塵を拝しているのだ。
 KPOPでは音源を実質的に基本無料で、動画サイトやストリーミングサービス上に公開し、ライブやグッズなど関連商品で収益を回収する方法をとって、他国の市場へ広く流通する様になった。
 それに比べ、もともとKPOPの模倣先だったJPOPでは、特にアイポッドの登場以来、CDはほとんどうれなくなってきていたのにもかかわらず、ジャスラックによる全体統制のもとで音源への直接課金にこだわる余り、およそこの逆を踏んできた。音楽市場のおもな標的である他国の若者はそもそも払うべき日本円やクレジットカードを持っていなかったり、日本語でおもにつくられているダウンロード用のサイトが複雑でよめなかったりするため、JPOPとほぼ類似の内容をもっていて無料でいつでもどこでも聴けるKPOPの方へひとりでにひきよせられていく。そしてうまれたファンダムがもとの音源自体に払うべき金額以上を大量に、アーティストを率いた事務所へ貢いでいるのである。
 一般人が歌唱や演奏で日本の堅物な著作権法にひっかかる演奏を再現すると、昔で言うデモテープを公開すると不寛容なこの国ではすぐ通報され消されたりしがちだが、すでにのべたとおりユーチューブは本社が米国でこの点にもずいぶん寛容で、現著作者に収益還元が勝手に行く形をとっているので、前述のよう特に二次創作に該当する音楽もつぎつぎ発展している。著作権管理団体におんぶだっこされている政府から許可をとらねば放送すらできないテレビ局で、これらの新作はグレー扱いになってしまい、もはやとっくに時代の新状況に適合できていない。若者がますますテレビをみなくなるのは、ネットですでにおこなわれている多様な情報環境より端的に単一すぎ、つまらないからだ。

 また特に前者・同人誌ジャンルは、児童性愛、非実在青少年の児童ポルノを含んでいるので、児童保護の観点から外国の法律では販売許諾されない可能性が高い。日本では、特にコミックマーケットを開いてこれらの同人誌即売会を大規模にくりかえす東京という変態性欲都市、すなわち春画以来の町人文化の伝統を持つ自治体が、きわめて特殊な著作権法のうみだされた直接の原因である。通例、他国では児童を性的対象にえがく事は非実在の場合でも倫理的疑義や宗教論争を呼び、すくなくとも純粋美術の好みにかかわる特殊な類型としてをのぞけば大規模かつ公然とは不可能であり、日本の法律が猥褻物のうち児童性愛関連へ他国に比べ過度に寛容な可能性が考えられる。すでに平安時代の京都で児童強姦を含む『源氏物語』が珍重されていたのがその傍証といえる。

 以上の全状況をかえりみると、JASRACの事実上の利権にすぎない日本の著作権法を一度まるごと撤廃し、あらたに公平利用法をつくり、一切の流用を全面許諾した上で、まず親告罪で訴訟後にどの程度の利益還元が原著作者にあるべきか個別事例によって裁判官が判断する方が、今後の国家的主要産業となるだろう情報産業の育成条件にとってもはなはだ賢明といえる。著作権法で、単なる共有にかぎっても複雑な形式を踏んで違法か曖昧という状況は、GAFAMやBATXなど周辺国ですでに国を稼ぎ頭として引っ張っている次世代の主要情報産業がうまれていない今後の日本をさらに没落させる、最悪の法律といわざるをえない。
 それと同時に、児童性愛の表現については、特に一般的悪徳(不倫や、事前知識なしにあきらかに健康を害する行い、あからさまな性のモノ化の強調など)にかかわる他の変態性欲を示す猥褻物と同様、確実に閲覧の年齢規制を設け、それらを望まずみない・よまない権利を一般社会に保護するべきである。ちなみに『源氏物語』を高校国語で教えることも、原理的に姦淫(当時の皇族は一夫多妻だったとはいえ婚外交渉、近親相姦、児童強姦など通常、不道徳な性行為)を肯定的もしくは賞賛気味の文脈で子供へうのみさせている時代錯誤に違いない。なるだけ早いうちに文科省と高校教員の間で議論をおこない、検定教科書の枠内では当然ながら、一般に女権や子供の権利が皇族から蹂躙されていた平安期の単なる過去の史料としてとりあげかたに、この昔の猥褻小説のあつかいを限局すべきであろう。