2021年1月23日

聖評と俗評

卑しい人達から賞賛を受けてはいけない。それは破滅への道だ。

 ツイッターにいる日本人の一般大衆は常々次の様な言動をとっている。かれらは日頃から下賎な者にたかっている。下品なツイートを連打し、リツイート・いいねで拡散し続け喜んでいる。また、立派な言説を無視したり、揚げ足取りで無理に中傷しようとしたり、高徳な人々を貶めようとしたり、汚いやり方で陥れたりしている。
 上智と下愚とは移らず、そのままの光景である。
 そういう匿名衆愚の間で、聖人は真っ先にぬれぎぬで抹殺されてしまい、終ぞ生き延び得ない。

 尊い人達は数が少ない。多くの場合、俗世間に身を現していない。当然ながら無名である、名声とはどこまでも俗望だからだ。例えば完全な聖徳をまとった神格がこの世にいたとして、その存在のあり方を世俗的な人間は悉く分かりえないに違いない。神格の似姿である聖人を見つければ、その人からの真っ当な評価のみが、真に気にしなければならない筈だろう。
 具眼の士がいない時代や集団にあっては、自らへの客観視(上位認知、メタ認知)を使った自己評価以外に信用に足るものはない。