2021年1月23日

悪縁を絶つ

不道徳な人は、往々にして自分達が不徳だと気づいていない。それゆえ自分達が成功した、立派で確立された人間だとみなしあい、褒めあっている。

 不道徳な人達と縁を切るには、彼らの存在自体を黙殺する(完全に無視し、相手の自滅を待つ)必要がある。
 縁を切るとは、相手と毛繕い行動に該当するやりとりを一切しない事だ。法や倫理に比較的無知な子供あるいはそれに近い精神年齢集団の場合、無視などでいじめを行う集団の方に悪意がある場合が多い、との落ち度がありがちなものの、実際、悪意の有無にかかわらず、類似の社会行動は大人でも、懇意な集団の多寡としていつも起きている現象である。例えば結束主義(ファシズム)や国家社会主義(ナチズム)の党派は、自由主義や個人主義の党派と大抵、反目しあい、相互対立している。
 悪人集団からの日常的禍を退けるには、荒らし、ダークトライアド(暗三格)、ダークテトラド(暗四格)の様な利己的な加虐欲を動機にしている悪人達、あるいは暴力専横を省みない権術主義者(マキャベリアン)がその集団の少数派、中数派、多数派いづれの場合でも、単なる加害行為への正当防衛あるいは行動・思想分析を除けば、相手を構うに足る同格の良識人と認めないしかない。
 尤もこの悪徳集団が別の国、別の地域集団(東京都、薩長土肥といった少数自治体など)になり、(原発など)公害をまきちらしてきたり、(自動車泥棒など)犯罪をおこないにきたり、(魅力度報道など)差別をしてきたり、(コロナ禍など)感染症をもちこんできたり、(戊辰戦争など)侵略罪などで攻め込んでくる事もある。これらの場合を顧慮すると、悪人集団への囲い込み、監視・諜報と被害防止・防疫対策は、国防自治にとって常道的に必要だ。

「誰とでも仲良くすべし」という和の全体主義は、相手が不道徳な悪人、不良である場合、常に間違っている。悪徳は知らずしらずうつる習慣という特徴を含んでいるからだ。この点で、過度の寛容性を信じている人達は程あれ悪人達に俗了され、最善者たる事はできない。
 最善なのは、自集団の法的・倫理的常識の刑罰・非難分類に悪人達を存在もろともはじき出し、彼らと努めて一切関係しない事である(例えば2ちゃんねらー、日本語圏ツイッタラー約8割の一定部分らによる匿名犯罪を違法化する。匿名卑怯者文化を不道徳視するよう一般社会へ啓蒙するなど)。
 また単なる系統発生論として、ヒトを含む生物の一般的進化は、程あれその様な経路で異なる集団を生み出し、別の系統樹へ種が枝分かれする事で果たされてきたのだろう。