なぜ東京人一般、京都人一般が、下らない人物や文物――例えば反政府恐怖主義者たる幕末西軍。例えば頽廃した中世皇族の乱倫劇といえる『源氏物語』や、『異種族レビュアーズ』2020年といった性売買罪を美化した深夜アニメ、村上隆『ヒロポン』1997年、『マイ・ロンサム・カウボーイ』1998年などオタクの狂った変態性欲的妄想を戯画化した裸像を持ち上げ、それより立派な人と物――例えば尊王将軍たる徳川慶喜と忠臣・松平容保。例えば初期武士道の美徳にまつわる悲劇といえる『平家物語』や、五浦派以後の近現代日本画、神戸智行『陽のあたる場所』2006年など花鳥風月の正統的な表象画を無視、場合によってはぬれぎぬの汚名を着せ名誉毀損さえしているかなら、単純に、その性悪集団の趣味が悪いからだ。悪趣味な集団、低俗で、好みの退廃した集団はそれだけ、物を見る目に現れた品位も低い。
他方で、東京人一般、京都人一般は、最たる自民族中心主義、自文化中心主義を含む中華思想の持ち主で、自分達のサブカルチャー礼賛が下品だと気づく事がついぞない。実際、外国人にはかれらより品性下劣な人間も、より多い人口比の集団であれば好みの多様性から当然いることがあるので、その人達からの礼賛にへつらいつつ、既往の傲慢さによって、自分達は日本文化の中央であると長らく主張してきている。
東京人一般、京都人一般に、これらの傲慢さを自覚させ、反省させる事は先ずできないだろう。かれらは品性が盲点になっているからこそ、それらの下賎な中身を大いに含む(例えばあまたの変態性欲を強調した、猥褻同人誌の様な)サブカルチャーを作りえているのだ。
人は鑑識眼の低い衆愚にかかわるべきではなく、かれらに猛省を促すべきでもない。かれらは単に下品さを誇示することが技の目的にすりかわっており、優れた文化を作りえなかっただけなのだ。