2020年12月16日

ツイッターの返信欄で見つけたMというとある愚者から演繹した、ナチズム・ファシズムの発生原因

先日、ツイッターの通知欄を久しぶりに実験的につけてみたら、あっという間にものすごく頭の悪い人1人が絡んできた。
 その人がどうみても思考力が足りなくて言語知能も自分には想像もつかないくらい低いらしく、しかもその相手の言動に程度をあわせて語ってあげても人の話を理解できないらしいので、埒が明かず、大変呆れて放置していた。 

 そこでさっきツイッターをつけてみたらまたそいつからの通知がきており、明らかに悪意のある誹謗だった。その人のアカウントは匿名(偽名)なのだが、ここでは頭文字からMとしよう。
 
 この人は私が、ものすごい労力と時間をかけ、Mの知能の水準にあわせ、こちらがかけがえのない貴重な時間を使って経済学史を紐解いて説明してあげたのに、感謝どころか浅学に驕り、上から目線で相手を侮辱し回っている。誰に対しても、終始その様な調子である。ほかの返信を受けた人々も、少なくとも並より知性がある感じの人々は疎ましく感じるらしく、彼へ怒って或いは呆れて「少しは勉強してから返信したらどうだろうか?」「馬鹿発見」などと彼へ返信してよこしていた。だがMは、それらへも適当な文句を並べごまかしつつ、また誹謗して済ませている。
 端的に言ってMは無礼極まりない。典型的荒らしで、特定の精神病質がある。
 だがMの知能に倫理や、最低限の礼儀などは入っていないのだから、今後とも愚にもつかない言動をあちこちで繰り返し、数多の人々に迷惑をまきちらしつつ逆切れ、プライドを保つため威張り散らしてしぬのに違いない。
 
 Mの主張は「初期アベノミクスは無謬で正義」「竹中平蔵はそれを導いた大変な賢者で人徳者」といったもので、経済学に覚えがある大抵の人類が見て、正直いって相当偏った意見でしかないだろう。新自由主義者の述べてきた理論のうち特に、初期アベノミクスが目的としていたトリクルダウンがおきなかったのが事実な限り、失敗した部分を特に指し善美とみなしているので、Mには経済やその学問的理解も、判断力そのものもないのだろう。
 140文字以内しか読み取れない、それ以上の長さを書く人は馬鹿だ、といっていたので恐らく、経済学書どころか、まともな本の一冊も読んだ事がない。それにもかかわらず、いやそれゆえに、ダニングクルーガー効果でMはさも自分が全知かの様に、経済全てをしったかぶって振舞っていた。
 Mは自説に固執、いやそれを狂信しながら多くの人々にツイッター上で絡みつつ、無学さ或いは軽率さのあまり自説に同調する人々、さもなければ俗物となれあいつつ、シーライオニング(アシカ行為。親切ぶった荒らし)で迷惑がられている。

 自分が通知欄をつけさえしなければそんな悪質な荒らしに絡まれる事もなく、また自分の善良さの故に相手に2日以上かけ、基礎から応用まで経済学の講義する必要もなかったのだ。それらは完全に無駄になった。Mは何も理解していなかった。
 このブログにはMへ説明した部分が残っているが、最終的に相手は、いつものツイッター民特有の意味不明な言動――いわゆる短文厨の状態に陥って、侮辱だか名誉毀損罪だかをしてきた。頭が悪いのに他人に絡んで回っている。そんな迷惑者がいるなんて想像していなかった。なぜ彼は自分が愚かなら学ぼうとしないのか。恐らく自分が愚かだと自覚するまでの謙虚さすらないのだ。そしてそんな馬鹿が生きている事は間違った事の様に感じた。何しろ、このMは、言説を辿れば、表向き経済理論の建前をかぶったいわゆるネオナチなのである。
 
 Mは国民皆労働を達成すれば他はなんでもいいのだ、という。
 その発想でナチスがやったのがあれらの施策で、自分は国家社会主義労働者党の失政を、それまで概略だけ知っていたのだが、Mがあまりにしつこいので、遂にホロコーストの詳細含め一体、ナチの何が誤っていたのか歴史背景から調べだした。そして自分はヒトラーが具体的にやった人道に対する罪、ユダヤ人の遭った悲惨な目についてもこの2日で大分色々な知識を得る事になった。――それらは逆照射的に、ますます自分に、Mの筆舌に尽くせない卑しさ、浅ましさを悟らせるばかりだった。
 Mは強制労働や、絶滅収容所で行われていた、ケインズ『一般理論』のピラミッド論的に無駄なばかりか悪意ある政策を、全く気づかずに正当化していた。

 Mの様な典型的に無学な労働者がナチに惹かれたのは、恐らく理由があっての事だ。「国民皆労働」という響きは、マルクス主義者より一層、潜在的なナチをひきつけるものがあるのだろう。飽くまで自由人主義に近い心情をもつ自分には想像もつかない何かが、彼らナチの中では輝かしい理想にみえているのだ。そしてその何かにいざなわれ或る独裁者をえり抜き、父権主義的絶対政治を求め、場合によっては暴走をゆるす。安倍晋三がやっていた数多の悪政も、まさにMの様な愚者の正当化する犯罪行為だった。Mの知的水準では、違憲立法や数多の不正行為など、「国民皆労働」という自己奴隷的な理念の前ではかき消されるほどの小さな誤謬でしかないらしい。
 それほど労働信仰が激しい者は、実際、自分にとっては実生活で関わりさえしなければ、赤の他人というべき存在でしかない。彼らは彼らと飽くまで競争していればいい。それで自分はなにからなにまで全く異質なMから色々情報をひきだそうとしたが、結局分かったのはMが酷く知能が低いという事くらいで、要はナチズムに陥るのは根っからの馬鹿だという事実であった。
 馬鹿にインタビューしても愚かさしか分からないし、愚かさの中身を探っても愚かな部分しか出てこない。だがその無意味な全体だけでも、一例ではあるが、何かの役に立つと考えるしかないだろう。

 安倍晋三の悪政を信じている人々は、馬鹿なのである。そしてその愚かさは生まれつきの部分が大きい。経済学、政治学の知見は彼らの啓蒙に何も役に立たない。自分が確かめた限り、その一員であるMの知性は、中学生のアンネフランクにも間違いなく劣るだろう事は明らかだった。
 愚かであれば、国民の義務と憲法に記述されてある何かのうち、勤労の義務を「国民皆労働」と読み替え、完全雇用ゲームをそれ以外の全ての部分より重要な経済的目的だと信じ込んでいても不思議はない。そしてそれを超えた知見を得られないか、その片鱗を得たとしても彼らの中で、帰依に値する独裁政治への信仰より、思念の中で直ちに後退してしまうらしいのである。知的勇気の逆、知的臆病さの最たる例が、ナチズム信者の脳内にある全過程の様であった。

 日帝やナチスドイツが誕生した最も有力な仮説として、その民衆の愚かさが挙げられる。Mという一人の愚者の思考構造は、演繹的に私にそう感じさせるのに十分すぎるほどの実例だった。
 学者達はナチズム、ファシズムの発生原因を色々と考察してきた。だがMの様な、単なる愚者が集まった結果できてしまう、諸々の科学的・倫理的欠点を大いに帯びている体制だとみなせば、特に原因はそのほかに理由づける必要がない。当時のドイツ人大衆、日本人大衆が、日帝やナチスドイツ級の暗愚さだった。これが最も的確な分析だと私は改めてここに記しておきたい。そしてその最新の例が、安倍最悪政権だったのだ。今も焚書坑儒級の思想統制を自慢するスガ政権として、その衆愚政治の悪夢は続いているのだが。