「ゆとり問題」というのは、僕はそのゆとり教育世代(ゆとり世代)と近接している最後の詰め込み教育世代あたりで、色々な人達と関わった実感として、前から凄く致命的なものだと感じていたが、小室圭氏と眞子内親王殿下の借金踏み倒しで、世間の広くがその実態の一部を知るところとなった様に思う。
世代論として分類が雑すぎると感じられるかもしれないが、あれはあの世代の象徴といえる振る舞いだろう、と、色んな世代のいろいろな日本人達をみてきて感じる。眞子殿下も小室氏も、自分達の一体何が間違っていて、秋篠宮文仁皇嗣殿下の「多くの人が納得し、慶んでくれる状況にならなければ、納采の儀は行えない」発言で、一体何を指摘されているのかすら、気づいていない事と予想する。
つめこみ時代と格段に異なる面のあるらしい教育を総じて受けたとされる人達(いうまでもなく例外もあるに違いないし、PISAの一部成績除けば確証バイアスでない証拠もない)が同じ国民の中にいて、彼らに教育からの特殊な影響が全くなかったとて、自分が20代と接してきてこれは……と失望する場面しかなかったのは事実で、「なんて賢くなんて立派なのだろう! こんな人達がいれば日本の将来は安泰だ」と思った事がまだ20代を主とするゆとり世代に対し、残念ながら一度もない。
いや、この意味では現役の全日本人に対して感じた事がないから、なにも責任をゆとり教育なるものだけに帰する事は決してできないが。上の世代も確かに大馬鹿者だらけであった。彼らが総じて、マスコミや京大総長・教授ぐるみで殆ど一つの批評的例外なく夢中でほめちぎる村上春樹小説のどこが偉いのか、読み易い文体ではあるがおよそ次世代の為に率先して唾棄すべき品性下劣かつ頽廃的な通俗小説だという事しか、高校の頃に当時までに出ていた全作品を網羅して読んだ自分には、寸分もわからない。
唯一つ真実といえそうなのは、僕はそのゆとり世代に属する色々な人達とのやりとりの中で、驚くほどの知性の低さ、道徳性のなさ、自堕落さ、そしていかにも安倍ナチズム的な卑しい拝金主義加減に、果てしなく絶望的な思いをしてきたという事だ。そしてそういう人々が日本の主な権力を持つ様になった時代、100%確実に日本国が先進国でなくなる、途上国の中でも相当下の部類になるだろう、と、ある種の確信を持っている。
眞子殿下・小室氏の不誠実さは、彼らが世間並以上の良識、或いはそういった類の常識を持っていない事を示している。それは彼らが受けた教育の中で、全く啓発されなかった。だから持っていない。それを彼らの責任にするのは簡単である。実際彼らは成人なので、完全に彼らの責任なのだが。あるいはまたそれを教育の側の責任に帰する事も、世代論という、いかにも社会学的な実証面の曖昧なミームで試みられなくもない。だがこれも彼らに国民の相当部分が覚えている反感を、何も解決しないだろう。世代間の摩擦で片付けてしまえば、彼らのがめつい非人道性が当たり前になり、勝てば官軍、法で裁かれねば何をしてもいいのだ、と薩長藩閥級の図々しい無神経さ、もしくは覇道ぶりで、彼らがゆとり全開の象徴になってしまう。
だがもう手遅れなのだと私は思う。あと、残されている時間はさして長くない。彼らが40代となり、50代となった時、わたしが一体何を見抜いていたのか、もはや全世界の目に明らかになるであろう。日本はその時、名誉ある地位をながきにわたり失うであろう。