2020年12月16日

他人は学校教育や政治運動などで自分の勉強を邪魔しないでほしい

僕と世間の人達がまるで違う事は色々とあるが、特に学校教育について一番思うのは、僕が学校を地獄だと感じたのは特に「勉強を教師や同級生に邪魔されるから(進度の遅れや、教え方のまずさや、教科と学習内容の選択や、学習順序や、授業時間外での振舞いも含む)」である。これは今行ってる(籍を置いてある)大学まで、小学校から基本的に全く変わる事がなかった。
 逆に、誰も勉強を邪魔してこなかったのは中3の一時期行ってた進学塾だけだ。だから僕は私塾以外、有害なものだと信じる様になった。実体験で。
 私塾の中でも、いわゆる受験予備校みたいなのは水戸にあるやつに19で理転して最初の半年くらい行った事があったが、独学してる方がましで授業とか当時、物理学を学び始めたばかりの自分の進度と合っていない講義を勝手にやってるだけでなんの指導にもなってなかったし、結局、自習室使ってただけで全く意味がなかった。それなら家でやってても同じである。意味があるのは、生徒へ個人的に一人一人、又は進度別で教える体制がある場所だけだ。それだと具体的に正誤箇所の何が正しく何が誤りかを、教師や同級生と相互に学習しあう利便性が得られるからだ。

 しかし周りの人類というか、日本人達一般をみていると、なぜか学歴がどうとか、謎の言動ばかりしていて全く意味がわからない。彼らは何も学んでいないのだ――単位や学位を取る為に行動していて、勉強自体、知識自体、哲学自体には何も関心がないのだろう、と、全く別の惑星にきた感じになる。だから僕は日本では誰一人として仲間がいないし、今後も見つからないだろうと思う。まぁ別に必要ともしていないし、求めてもないんだが。

 もしかすると海外の大学とかに、僕の同類が少しはいるのかもしれないし大勢いるのかもしれない。僕が多少なりとも学術的な内容を語り合う友達になれたのは、高校の時の親友な福島人1人、美術予備校(専修学校)にいた福井人1人を除けば、英仏の人達であった。といってもそれぞれイギリス人1人とフランス人1人で非常に少ないが。それとノルウェー人1人とも仲良くなったがこの人は、学問的な事にはそこまで関心がなく、自分とその種の議論を多少なりともできたのは、成人後に知り合った範囲では英仏の2人だけであった。基本的に英語でやりとりしていたのだが、そこで得られた知見は自分には、世界を広げるのに非常に役に立った。
 フランス人(女性)の方は、全てが完璧とはいわないが――尊敬すべき点の方が多いものの、私徳とか、物事に向かうまじめさに限っては微妙な点が感じられた。尤も向こうからみると私がきまじめすぎるのだが――あの国の、知的であるばかりか寛容で、愛や快楽を肯定する文化自体を含め、自分に総じて大いに好印象を与えた。また大抵の人類は、素直であれば、彼らと接するにそう感じる様に思う。一般的な社交性とか、女性を或る自由さへ向け教育する面で、フランスに優った場所を自分はまだみた事がない。一番カルチャーショックを受けたのは、彼女が複数愛者で、自分の想像を遥かに超えた(といっても、数え切れる数の情人らと同時に関係をもっていて、それは全て関係者全員に筒抜けという)パリジェンヌならやりかねない恋愛生活を送っているらしい事だ。そしてそういう根本的な習慣の差は、日本側もしくは次にいうイギリス側の感覚では、到底うけいれられないだろうほど違っていた。いうまでもなく彼女は決して娼婦ではなく、法学博士を持ち教師をやっていた、といっていた――それは自分も国際政治や法学の高度な知見(米国がおしつけている共謀罪がフランスで内心自由の旨で拒絶された経緯や、イスラム教に関する政教分離の理論的な扱いなど)を色々教えてもらい、自分がもっている法学部・院程度以上の知識は確実にもっていたろうし、英語の細かな文法事項(三単元のsの適切な扱いなど)も確かに大学の語学以上で精確かつ即座に出てきたし、事実らしかった。
 イギリス人(男性)の方は、全ての面が酷いとはいえないものの――いわゆる中世らしい古きよき封建道徳の公私両面に渡る良識、嘗ての田園詩人同然に穏やかな田舎暮らしを愛する善良さ、それらに伴う独特の知性主義を除けば――あの国独特の酷い差別心を含んだ保守性、陰険な嫌味まじりの冗談の習慣(まったく面白くないともいえないものの、笑いの感覚が向こうの方が我々よりひねくれており、かつ、関西人級に大層おしつけがましく、なににつけ頻度が多すぎる)、そしてブレグジットにみられる経済音痴と心の狭い利己主義加減に、おまけに彼個人の陰鬱で粗暴な気質にもうんざりさせられる事になった。彼は僕の恋人に惚れている様な事をいうのだが(これだけ見ればシェークスピア劇じみている)、「じゃあ話せば?」といって日本語に自動翻訳できるツールとか教えてあげたら大層喜んで自分から翻訳日本語であれこれ話してたのだが、結局、彼は僕の恋人を地下室で強姦したいとか誰にとっても冗談にならない言動をしだした。それは強姦率が世界随一低い上に、略奪愛へ特に寛容でもない我々、先進国でも間違いなく最も性的・暴力面で大人しい部類だろう日本人一同を、野蛮すぎると驚愕させた。そして彼は単にそれだけでなく、日本でいうオタク風のおどおどした言動をとっており、彼女を漫画の中の理想的日本人美少女と勝手に色々重ねているみたいだったし、これもイギリスの田舎紳士なら誰だろうとやりかねないと思うが、直接いいたい事をもじもじして言えず自分に「(お前からいってくれ、わかるだろう?)」的な空気を読ませた言動をさせようとするのであった。
 そしてこれらの経験は、漱石が一体何をいっていたのか自分に納得させた。イギリスじゃなくフランスに留学すればよかったと。確かに、わざわざイギリスをめざす特定の目的がなければ、文明・文化の大幅な違いの或る面で、そうに違いない。

 最終的にそのイギリス人の方は、同調したそのノルウェー人(女性)と共にやたら偏見に満ちた東京文化(同人誌こと猥褻漫画)への「変態」扱いでの侮辱をしてきて、自分もその種の江戸・東京文化に当然の如く絶えず批判的なのにも関わらず、日本全体或いは自分の趣味に違いない! と彼らの悪意で誤認され、迷惑極まりなかった。そして私の側はそのイギリス人にもそのノルウェー人にも、というか誰に対しても一切の敵意も害意も持っていなかったが、彼らは凄まじく濡れぎぬを着せてきた。
 これで西洋の人々と関わったとしても、所詮は国境で分け隔てられており、地球の単位を除けばやむを得ずつきあっていく必要もないだけに、日本は日本なのだと思い知らされる事になった。日本の最たる不良である東京人達の悪趣味や悪徳加減は、我々都内外の一般日本人が処理しなければならない、という事らしい。それはそうなのだろう。イギリス人やノルウェー人が、単なる国連業務や、BBCでのおもしろおかしく東洋を見下す自文化中心的オリエンタリズム取材を越え、わざわざ東京の猥褻漫画をゾーニングにくるわけもないのだから。

 その他に香港人1人とも少し話し合った事があったけど、この人はどうも抽象的思考が余り得意ではないのか、殆ど議論に参加せず、しかもあの周庭らの政治運動に巻き込まれている最中だったらしかったし、すぐいなくなってしまった。
 僕は周庭が(大抵の日本人達が混同しているだろう一個の女性たる個人的魅力を超えれば)、政治活動家としてそんなに好ましいとも思っていない。香港の肩も中国の肩も特にもっていないが。
 軍事技術を除き一般に学術が最も発展するのは平和的な条件の下であり、確かに以前にも増して一層の民主化が香港で必要と考えられるのは分かるし、運動の趨勢のさなかでは自由を切望する尊い志の故に応援したくもなったし、『香港に栄光あれ』も感動的な国歌だが、現実面では政争でかなりの犠牲を出しながら失脚した人物は、学術の保護者としてのみならず、政治的には無能だったといわざるを得ない。そして日本は政道として内政干渉できない立場にある。年齢制限のない東京の猥褻漫画問題より、命がかかっているだけに遥かに深刻な中国・香港の内政として、解決しなければならない目前の課題へ適切に対処できなかったのは、指導者としては評価に値しないのではないか。革命の為には、貴重な時間を費やし中国・香港間に全く立ち入れない日本人の一部の同情買うとか、高々自民党の最悪政治すらろくに退治できない日本左派連中を相手には何の意味もないくらいだ。
 自分が彼女の位置にいたら、普通に中国当局側の意図を徹底して読み込み、相手が受け入れざるを得ない提案を議会経由でして、もっと現実味のある着地点を探った様に思う。そしてそれ以外で勝ち目がなかったのだ。香港市民の武装蜂起・暴徒化には、警察と対立し死傷者を出すだけと、進んで反対したろう。

「勉強を邪魔される」のがこの上なく不快な自分からすると、周庭一味もまぁ間接的ではあるが、それに近い役回りだった、といえなくもない事だ。学生が政治運動をする。勘違いしているのではないか。学生は学業を完成させるべき立場にある。政治家になりたいなら、学外でやるべきなのだ。