我々は自分がこの上なく賢くなる事に集中すべきで、他人を啓蒙する事は二の次にしなければならない。なぜなら生まれつき愚かな人を、一定限度を超え、賢くする事はできないからだ。その限度は生まれつき賢い人との大差を埋められるほど大きくはない。後天的に変わる部分は生得的な大差に比べれば、僅少なのだ。
孔子はこの事を「上智と下愚とは移らず」と表した。これは人生でも最も役立つ金言の一つだ。
少なくとも自分は、福沢諭吉が海千山千を勧めたり、彼の文明論の中で啓蒙を必要づけたりした所について、人の生まれながらの違いを一定限度で見限っている孔子より遥かに愚かで、事実に反しているばかりか、安直すぎる見解しかみいだせなかった。後天的に幾ら努力しても、ある種の人は賢者にも善人にもなれない。努力で多少なり変わりうる範囲は、飽くまで中人の領域についてだ。
また、高尚さも低俗さも無限である限り、進んで低俗さを知る必要はない。これについても「君子は上達し、小人は下達す」と孔子が言い残している(どちらも『論語』)。