2020年12月21日

ユダヤ人一般ととある日本人・とある会津人末裔の対比

数日前、約2名の人々にツイッターで絡まれてから、一時食事も満足に喉を通らなかったほど酷く憔悴しているのだが、そのうち1人は経済学の歴史や構造に凡そ全く無知なのに、当人が極度の傲慢で、全くこちらによる相手の知的水準にあわせ噛み砕いた懇切丁寧な説明を理解しようともせず、開き直って逆上、私を様々に名誉毀損してきた。またもう1人は、私がある人へ返信していた幕末・明治維新史の一部にどうみても事実誤認または非科学的な難癖をつけてきて、その後も恐ろしい無知さを自己正当化しながら、酷く悪意がある濡れぎぬを私へ着せてくるばかりで、一体当人がそこでどんな悪業をしているのか自覚していなかった。いわばその人は過去の大量虐殺史を、巧妙な偽善で、社会正義面で、歴史の証言者へ無道な攻撃をしかけつつ抹消しようとしていたのだ!
 これら2人の極悪人だけでも私を絶望させるに十分すぎた。そんな悪魔じみた極道者達が同時代に同じ言語を喋って、しかも私へ頼んでもいないのに一方的に絡んでくるや、様々な犯罪をしかけてくるなど、到底耐えられるストレスではない。

 だがもっと失望したのは、そもそもこの経済や歴史への無知をひきおこしている直接原因は、私が返信していた相手の方にあったのだ。その相手は或る分野の博士なのだが、異分野については私の目にも疎漏が甚だあって、しかも当人が自覚的かどうかとは別に、無知と悪意が混じっている様な感じを受ける言動もあるので、オッカムのかみそり式にそれを無知と仮定し、私は一種の啓蒙あるいは説教の類を返信してきた。
 それらに相手が反省しているかそれとも一切読み取られていないか、私側に判断する事はできないのだが、普段のその相手は、自己礼賛の返信ばかり自慰的に進んで再掲したり(恐らく自己愛が極度に甚だしいのだろう、としか大概推測できない行動)、現実のしりあいへ返信したりしており、私の様な第三者の客観的目には、俗物根性に染まったインフルエンサー稼業と見分けがつかない。しかし当人の口舌ではそういった人々を軽蔑しているかのごとくに語る。詐術同然。したがって彼がここでも悪意で二重基準を使っているのか、ただ愚かで自分がその一員であるのと変わらない言動をしているのに気づいていないかどちらかなのだが、私側はここも、相手の内面を知る余地がない限り判定する方法がない。

 いづれにしても三重のストレスが私に襲いかかる事になる。
 それですっかり私は呆れて、というより疲れきって、元々、一向に相手の無知・悪意混じりの言動に反省がみられない以上、幾ら公益の為で義務的な場合に限るとはいえ、焼け石に水的な返信に疲れていたのだが、それに加え、猛烈な恐怖を感じる事になった。

 これら3人の人物をそれぞれ抽象化しA、B、Cと置く。経済学の無知をA性、歴史学の無知をB性、俗物根性の無知をC性とする。これらどれも私にはうんざりする性質であるのだが、更に、AとBについては明白な悪意があり、私が彼らに彼らの公害防止のため必須知識を与えようとすれば、彼らは逆上して私へ名誉毀損罪してきたのだ。これはAとBが、愚か者であるばかりか悪性者である事も示している。さらにいえば、私には想像もつかないだけ禍々しい何かであり、永久に類人猿へと退化していこうとする、一種の衆愚主義者らだったと思う。AとBは口をそろえ「短く!」と言っていた。全く私には意味がわからず、相手の意味不明な言動を分析するのだが、何か相手の知能が随分低い様だ、論理的でない言動をしている、無知や無学に驕って、わけのわからない考え方でこちらを貶めようとしてきているらしい、手のつけようもない不良なのだろう、といった感じしか受けないのだ。

 私はこのAの言動のうちに、国民社会主義労働党、ナチ的な考え方が自明の正義と主張されているのをみいだした。新自由主義経済論の皮をかぶっていたが、その下にいるのはまぎれないネオナチであった。A曰く、政府が国民皆労働を達成すれば、それが最高最上の経済性でほか一切はその為の手段。「強制労働が理想なのか?」と問い返した所、Aは道理の通らない言い方で、私をひどく中傷してきた。
 これで私は恐ろしくなって、ナチとは一体なんだったのかを詳しく調べだした。今も強制収容所で一体、彼らがなにをしていたか次々掘り起こしているのだが、Aは間違いなく、ある種のゾンダーコマンド的存在である――私はゾンダーコマンド自体をここで責めているのではない。寧ろ、同胞を強制で葬った末に自らも殺処分される立場は、ナチスドイツ軍によるユダヤ人大量虐殺史の中でも、最大の犠牲の一団だった様に思われなくもない。小泉父と竹中平蔵は、非正規雇用法の元で、一種の強制労働を正当化した。生活保護という公的扶助は、日本の役所が通常、水際作戦という怠業の嫌がらせを常習的に行うので原則、一般人が受けることができない。なんらかの重病者とかで診断書があり、親族全てがある人を見捨てた又は事情があって世話できない様な、非常に特殊な状況でしか、国民として当然の権利を侵害され、必要な福祉を受けられないのがこの国行政の堕落しきった実態である。それでこういった公的扶助の不完全さを悪用し、小泉政権は、パソナグループという竹中氏の人材派遣会社へ金を流し込む施策をした。その絶滅労働の末路といえるのがAで、頭を使わず、次々死体処理式に非正規労働者を回していけばAに金が入るしくみがあるのだろう。それで続く自民党系の安倍政権でも、同路線を執っていたのをいい事に、何度でもその種の奴隷売買業をやってくれ! と公言しているのだ。そしてAも歯車として消尽され消える。次のA'が登場する。その無限ループ。幾ら頭が悪いとはいえ、真のゾンダーコマンド式に強要されているわけでもない以上、そして私の様な第三者が「それは過ちである」と指摘し当の忠告からいつでも反省しうる条件にあったのに、Aに罪がない、と本当にいえるのか?
 Aは自分が対話したかぎり思考力が優秀な中学生以下ほどで、恐らくIQ面では日本人全体の平均値のそのまた半分くらいのものだろう。私の知らないアニメキャラクターのファンだと自己紹介欄に書いてあった。Aにとって奴隷売買業の一員として労働を繰り返すのが唯一の仕事で、唯一の正義で、経済的で、ほかはそうではない、という教義が絶対のもので、つまり全員労働ナチズムなのだが、これをどの方面から経済学の理論を使って矛盾していると指摘されようが、全ては馬耳東風であった。

 Bの言動はもっと邪悪で、過去を掘り起こすなとか、部外者が語るのはよくないなど適当な言い訳をしつつ、会津戦争の記述を弾圧しようとするのである。一体この世であれほど恐るべき筆禍があるだろうか? 永久に民族虐殺史をこの世から抹殺しようとする者は、何度でも同じ大量虐殺を許可しているに等しいのだ。私は気が遠くなるほどBの忌まわしい不吉さに厭世観を感じた。同時期に、ユダヤ人がどれほどの死と悲嘆と甚大な労力をかけ、身を切るほどつらい同胞の犠牲を歴史記録にとどめながら、世の啓蒙をはかってきたというのか? 彼らが語れば「部外者が語るのはよくない」「過去を掘り起こすな」などと文句をつける、そんなユダヤ同胞がどこかにいたのか?――もしかしたらいたのかもしれない。だが圧倒的多数のユダヤ人はそうせず、先祖の犠牲を無にしない様、人道への貢献を願った。会津人の祖父母がいると語るBは、ユダヤ人の末裔たちと、いかに隔たっていることか! 今も福島県は原発公害を毎日受けている。東電筆頭株主の東京都庁の集団的共謀の元で、東京都民が、暴利を貪る目的で原発設置も東京までの送電線の設置も大事故もやったのである。そしてその証拠は東電と自民党政府の癒着の中で巧妙に握りつぶされているし、福島いわき人ら総勢のお人よしな楽観性のせいで、大部分が歴史の闇に今も葬られ続けている。ナチスドイツ人が絶滅収容所の証拠隠滅を謀った様に、東電関係者と東京都民の真の人道犯罪は、犠牲者の全生命と共に日々世界から消され、なかった事にされている。だがそれは因果応報、自業自得でもあるのだ。Bをみよ。彼の同胞への冷酷無慈悲さと無責任。

 Cについては、今までも多少あれ同じだったので今更失望するでもないのだが、これらAとBの一切望みのない底の抜けきった暗愚さと同時にCの俗物主義的な言動にみられる連日の俗悪さが襲ってきたので、私は今も大変気分悪く、同氏の発信を見ない事しかできない。