2020年11月16日

文明は差別にどう対処していくべきか

「日本人のDNAの中に東南アジアの人々を蔑むものがある気がしてならない、だからこそ気をつけなければならない。白人至上主義と変わらず人類が革命しなければならない点」とするツイートへ)

差別が認知カテゴリーを単純化しすぎる癖による偏見なら、人種差別的な傾向にある個人は生まれつき一般知能が低い傾向にある、というGordon Hodsonらによる"Bright Minds and Dark Attitudes"の意見には一理ある。脱亜入欧とか征韓論とか唱えてた福沢諭吉や明治元勲らは一般知能が低かったかもしれない。同じく身分・性・人種・門地・信仰差別に過ぎない、自らを天皇と称する制度を国政におしつけている皇族もやはり、同じ観点から一般知能が遺伝的に十分低い可能性がある。
 この意味で、差別し易さは誰もが程度あれ持っている傾向であると共に、甚だしい時は一種の社会障害だと考えるのが適切かもしれない(精神障害者差別を行った植松聖被告の様な場合など)。
 
 差別し易さに遺伝的原因(Gordon Hodson説では一般知能の低さ、等)があるとすれば、先ず差別し易さを改善する教育・宗教および法的啓蒙の課程を民間が作り、かつ行政が再更生の機会――例えば民間委託で差別更生プログラムを複数レベルで実施、自動車教習所的に偏見解除テストを義務づける――を設けた上で、ヘイト禁止法などで差別的言動・行動の甚だしい場合を法的に刑罰し、今より制裁的な条件に置くべきだ。

 又これらの教育・更生・法制にも関わらず状況が改善しない様な知能の持ち主の時、差別し易さを今でいう精神障害の一種と分類できる日がくるかもしれない。
 その場合、恐らく社会の方に「差別障害」対策が必要で(当該人物の一時隔離等)、改正ヘイト法関連での刑罰にも何らかの緩和がありうると思う。