麻生太郎氏が「菅」義偉内閣をカン内閣と読むのは、恐らく人名音読がしばしば訓読みの定かでない人名に行われていた故実(有職)風の読み方のつもり――中世宮廷歌人風の教養ある振舞いのつもりかもしれず、単なる嫌味か、漢字が苦手かで、菅直人内閣と意図的または不如意に間違えている訳ではないのではないか?
三浦直人『伊藤博文をハクブンと呼ぶは「有職読み」にあらず』(『文学研究論集』四五、明治大学大学院、2016年9月、207-226頁)を参考に色々考えたが、先ずこの論文内で徳川慶喜をケイキと読む場合を蔑称と定義しているがこれは事実誤認だ。
慶喜公はもともと「七郎麿」という。慶喜の名を貰ったのはのちの事。江戸末期、人名を音で読む場合があるパターンは一般に、敬称・蔑称に限らずどちらも使われていたと思われる。福沢諭吉『福翁自伝』で「将軍慶喜(よしのぶ)公」「慶喜(ケイキ)さん」どちらの読みも並存している。明治期も天皇へ地位を禅譲した前将軍へ毀誉褒貶喧しい中どちらも使われていたのだろう。
根本的に、漢字を地の日本語音に代用してあてる際、当て字という方針をとるしかない。例えば先住の日本人たるアテルイを、奈良・平安期の関西移民たる文官は、万葉仮名風に阿弖流為と書いていた。なるひとを徳仁と書くのも当て字だ。僕の名もユウすけだが「すけ」の部分は訓読みしなければならない。
初めに日本語を文字化しようとした際、『古事記』筆者(稗田阿礼・太安万侶)らは、当時の朝鮮半島の国々で行われていた吏読から方法を借りた万葉仮名という方針を採るしかなかった。やがてこの方針が、万葉仮名の草書体が定型化した平仮名と、同音漢字の部首を省略した記号・片仮名へと展開した。
日本名を書くのに、最初から本来は外国語である漢字で、音を借りるという複雑な事が行われているのは日本の置かれてきた文字事情によっている。これだけでもかなり複雑な過程なのに、万葉仮名風の当て字で訓読み(名乗りよみ)を漢字に与え、かつ固有のよみで名づけたりするから、事が一層混乱してくる。『新古今和歌集』の式子内親王の式子を、和風で「のりこ」と読むか、漢字風に「シキシ」または「ショクシ」と読むか、振り仮名ないと確定できない。本当は別の読みかもしれない。この日本語独特の事情(まあ英語とかも厳密には発音記号ではないからそうですが)があるので、歌人は便宜で音読みも使った。少なくとも江戸時代に茨城(当時の常陸)で義公に仕えた歌人・清水宗川がそういっている。そしてその時点ではこれを「よみくせ」といっていた。
振り仮名なしに日本の人名は陸に読めないよね、だから適当に読んで間違えるより音読みなら数が限られてるから、それでもよしとしましょうよ――これが今でいう故実読み・有職読みの起源とされる発想で、別に人名にあてた音読みが、本当の読み方より偉いわけではない。単に慣例としてまあいいかって事だ。
所が前掲三浦論文によると、歴史で人名読みが1個に確定できる場合は誤りになる様に、寧ろ本当の読み方を知らない人を無教養扱いで嘲笑する場面がしばしばあった。斉藤茂吉が複数読みが並存してる場合、音読みでもいい事にした方が、教養俗物煽らなくていいとしたのはこの為だ。
三浦氏は今の「有職読み」概念が、斉藤茂吉式の「どうせ日本の名づけ自体に元々複雑すぎる問題があるんだからわからなかったら音読みでも無教養視しなくていい事にしちゃおうぜ」、又はその原型となる歌人のよみくせではなく、ウィキペディア以後、寧ろ音読みを尊重させている事に矛盾を指摘している。例えば本居宣長が『古事記』をコジキではなくわざわざ「ふることふみ」と読んで、訓読みが音読みより偉い! と彼のナショナリズム的国学理念と一致させていた。けど今の「有職読み」概念はこれが裏返り、古代中国から輸入した呉・漢・唐音などの方が、和音より偉い事になっている。これは確かに矛盾だ。
その上、従来「有職読み」はこの本来の和音を知っている故実通りの読み方を指し使われだした、恐らく明治以後の比較的新しい用語で、江戸前期に清水がいう「よみくせ」とは本質的に意味が異なっている。よみくせは読み方が複数説ある未確定の人名音読だ。
明治45年・大正元年(1912年)に出された『改訂増補 日本家庭百科事彙(下)』で「古く人を尊みて、其の名を音読することありき」とあるのは、恐らく新古今歌人らがしばしばよみくせで呼ばれていた中に、式子内親王など皇族や上級官僚が入っていた事からくる、事実誤認だろう。
明治43年(1910年)の『国学院雑誌』一六(三)で「音読は、或る場合には、其の人を敬ふことにもなれば、差支なし」とあるのは、この新古今歌人ら、特に式子内親王に訓読みが不確定でよみくせがあった事から派生した、拡大解釈だろうと思う。
まとめると、
1.文献で確認できる限り、江戸前期の清水宗川のいう「よみくせ」が最も古い人名音読の慣行の記録で、式子内親王のよう複数説ある人名の読みについて、音読みで読み馴らす場合もある歌人の癖の事だった
2.明治以後に「故実読み」「有職読み」の概念が現われ、真の読み方を知っている事を指していた
3.斉藤茂吉は、「故実読み」「有職読み」が、そもそも例外的な当て字が多く本来の人名が漢字の字面からは推測しえない事がままある和名特有の事情にも拘らず、物知り面の馬乗り手段にされているのをみて、「よみくせ」の例に限らず、音読みでも一般に通用する新たな人名読みの慣行を広めようとした
4.ウィキペディア記事が2006年1月18日水曜日00:51に京都大学のIP 130.54.12.243から「有職読み」を「忌み名(諱)式の人名音読で古人に敬意を表す事」と、明らかに忌み名の適用範囲を誤った根本的勘違いを含む、大分ひねくれた書きぶりにし、訳知り顔の誤用が俗に広がった
5.麻生太郎氏はしばしば漢字を読み間違えるし、菅義偉をカンギイと読む場合があってもなんら不自然ではないし、京大IP式「偽有職読み」を生前の忌み名だと思い込み、却って敬意の表明だと考えていてもおかしくはない説がありうる事になる
派閥論理だと、麻生派と菅義偉の無派閥は必ずしも協力関係ではない。麻生氏が安倍政権の副総理兼財務省の立場から変わらず同現職になるまで、スガ氏を敢えて支持してきたのは、単に最大の対抗馬にあたる石破茂氏や、別派閥の岸田文雄氏の支持より、麻生派が堅固になる安倍体制追認スガ氏を支持する方が権力闘争上、有利だっただけだろう。すなわち嫌味や冗談でスガをカンと呼ぶ根拠がない。
東京マスコミ、特にキー局のテレビ報道が、軽薄な観点から、麻生氏の言い間違え又は偽有職読みを嘲笑の文脈に置くのは、前麻生政権が彼に馬鹿のラベルを貼ってやっつけたのと同じ手法を焼き直しており、斉藤茂吉の難読人名音読の勧めにも泥を塗る仕草というしかないだろう。
尤も麻生氏も、ナチス発言でマスコミに言及しつつ、実際に第二次安倍政権の副総理として報道自由度を大幅に引き下げるだけの恫喝まがいをしてきたのは事実で、自身の政権崩壊の筋書きを作ったマスコミを敵視しても不思議はない。
結局、本居宣長の訓読みが音読みより偉いという訓読みナショナリズムも、京大IP風の人名音読みが訓読みより忌み名風に敬意を示すという偽有職読みも、斉藤茂吉風の難読人名なら音読みで失礼に当たらない事にしようとの無学容認論も、漫画大臣の飽くまで繰り返す漢字誤読も、日本語の複雑さの派生物だ。
和文自体のこの甚だしい複雑さに耐えている人々が1億人以上もいるという事は、ある種の世界史の奇跡なのかもしれない。そして政府が殆ど簡易化方針を執らず、佳子内親王すら、佳を音読みで「カ」、子を訓読みで「こ」、と、僕の雄介と同様、湯桶読みで命名されているのは、世界中で日本だけの文化だ。最近のキラキラネームとか『徒然草』第百十六段の時代からあったし、明治期の福沢諭吉も華族風の凝った名にしても凡人に育ったら落差で惨めな思いをするだけ、わが子は分かり易い名前にしてやるのが大事とどこかで勧めていた。
日本語人名は和文の複雑さを物語る独自進化系だ。