2020年10月31日

ある民衆の印象論は程あれ情報操作されている曖昧な偏見で信用に値しない

人口比が住み易さに比例か正相関してるみたいな説を、魅力度なる擬似統計概念に関していっている人がいた
中国やインドが住み易く、北欧が住みづらいといえようか?
幸福度なる擬似統計科学も、信用性は殆どない
主観的かつ絶対的に幸福と自認してる人と、相対的・物質的に状況が良い人が混在している

チベットやブータンの僧侶一般は資本主義にまだ毒されていないだろう
将来も資本主義的な俗坊主化を拒絶するかもしれない
彼らの幸福の定義は、金閣・銀閣の観光客から私利を貪る京都の僧侶とはまるで違っている
人口過密な大都市スラムで、客観的には貧窮していて不幸な人々は、魅力があるのだろうか

民衆はただ集散している
その理由は彼らが主観的になんらかの過去の印象づけでよそより魅力を感じるかと、巨視的には、特に関係ない
勿論当人が気づかない魅力は世界のどこにも無限に溢れているので主観評価は全て媒体による美化された宣伝などでできた偏見その他の思い込みにすぎないのだが
住み心地とも、巨視的に必ずしも関係ない

関西地方、特に中世にできた朝鮮系渡来人の移民地区・京都の人々は過去の歴史の中で、
現首都圏のみならず東北や北海道、
四国・九州・中国地方も全て凄まじい偏見で一括差別し見下してきた
彼らは京都市が全能と考え、そこから遠い場所を先入観による固定観念で蔑視していた高慢な中華思想家だった

所が今では、京都人が「蝦夷地」とみなし
千年以上差別を重ねてきた北海道とか
「東夷」と罵り蛮族視してきた現首都圏こと関東の人々とかに
自分から関わりに来ている
観光先だとか仕事や進学の為だとかいう
これらは媒体や彼らをとりまく情報で、京都人なるものの印象が操作されている証に他ならない

日本人なるものが存続していれば恐らく千年後
過去の千年と全く相似で、大幅に彼らの偏見による印象論を変えてしまっている事だろう
今彼らが一般に盛んに蔑視している中国は、千年前、遣隋・遣唐使あるいは仏教僧が進んで行きたがる留学先だった
千年前のイギリスは西洋大陸から無視された僻地だった

今の時代の人達が千年前とまるで逆の印象論を盛んに公言しているのは
その考え方が、どれも曖昧で、唯の妄想で、適当な理由づけで捏造されたなんらかの偏った臆見にすぎないと示している
白人至上主義や西洋中心史観は、西洋圏の犯罪率が中国より高かったり平均学力が低い事で全面的に転覆されてしまう

事実今から千年余り前の『常陸国風土記』冒頭
そこが海の幸山の幸に恵まれた理想の風土でみな暮らしぶりは豊かにして、
いにしえの人のいう常世の国、すなわち天国とはここかと思われると、奈良の文官が書き残している
現茨城県もこれらの特徴は変わらないのに、日本の民衆は真逆の偏見を語っていた

平成末期の日本の民衆は、恐らく事実誤認か無知により、なぜ奈良時代の文官と全く逆の言動をしてしまっていたか?
東京のマスメディアで洗脳されていたからに他ならない
それだけ民衆の風説は操作し易く、移ろい易いものなのだ
テレビは元来、米政府の洗脳装置だった
東京人はこれを利己心に悪用する

東京人は自分達を美化し
代わりに首都圏北部の田園地帯を否定的な意味で「田舎」と評し、差別的に喧伝し続けた
関西地方の人達にこれは馴染みやすい中華思想だった
京都で千年以上やってきた構図
華夷秩序の焼き直し
天皇が中枢で、「地方」を下に見て、万歳三唱や忖度を繰り返す中華皇帝風の封建制だ

だがこの皇室による国策的謀略は遠からず破綻するだろう
京都市の人々が千年続けていた、カルト教祖をもちあげ、全国民を差別する構図は、
その教祖が江戸こと現東京に侵略のため根城を遷し、維持不能になった
同じ事は東京の衰亡期にも見られる筈だ
平城京跡が草原にもどった様に
東京も干潟に還る

東京が廃墟になり
津波その他で干潟にもどった跡で
その時代の日本人の末裔達は、平成末期に先祖がしていた酷く不躾で、悪意に満ちた田舎蔑視、地方差別の類を忘れてしまっているだろう
彼らが10年以上、いかに首都圏北部を口汚く部落差別的に罵ったか
それに傷つき三浦春馬が自殺後も反省などなかった

人口比や人口密度比と、民衆の知徳の質には特に関係がない
ある人にとっての住み心地や、幸福感の定義、質、絶対量とも、余り関係がない
立派な聖人は全体の一部しかおらず彼らの集まっている所が世間で人気とも限らない
その上、風評は程あれ愚かな民衆の間で移ろいゆく虚構だ
都会も田舎も一様でない