2020年10月19日

京都の観光名所は茨城のそれより遥かに品格が下だった

僕が本気で京都にいい所があるんだろうと思わされて方々旅行したが
最大でも詩仙堂が限度だった
これと西山荘比べたら圧倒的に西山荘の方が格が上だ
弘道館と比べたらもっと遥かに品格が落ちる
京都人は驕り高ぶっていて周りも過剰評価しすぎているだけで
現実には大した観光名所がない

僕以外の日本人達は、大抵嘘ばかりついてくる
その中で僕だけが経験主義的に物を判断する人間だ
日本人の大半、というかほぼ全員は、マスメディアをやたら信仰していて
簡単に悪意ある嘘に騙される
更に多数派が言っているから、といって、簡単に見かけの多数派に従って真実をねじ曲げてしまう

日本人達は一般に批判的知性が皆目ない
教育の中で彼らが哲学を全くやらないのがその証拠
代わりに彼らはマシーンの様に、暗記ばかりする
その暗記内容がどういう意味かなど、一切考えないのだ!
僕にはこの風習は全然理解できなかったし、単に馬鹿のやる事だと感じたので高校以来一切無視してきた

日本人達が恐ろしいばかりの嘘つきだらけなのは
彼らが、殆ど暗記教育のみを受けてきたせいだ
マスメディア、特に東京のそれは自分達が嘘をついているとは公言せず
一見、真実かのようつくろって嘘ばかりつく商売人だ
話題になれば金になるので煽り記事
負の印象づけが一番炎上するので偏見ばかり報道

それで僕は自分が現実に目でみたり、耳で聴いたり、
実体験を含め、情報の全てを再び反証的に考え、
真偽の濃度を吟味した上で
誤り様が無い部分に関してだけ事実と認めるのだが、
一般の国々の人々が大抵そうしているのに比べ
日本の人達だけは、何もかも多数派の他人に同調して嘘ばかりついて過ごす

天皇が愚民化の洗脳を千年以上施してきたとはいえ
今の日本人の総勢ほど暗愚なら、それは彼らの大量殺人の罪など、考える能力が欠如していても不思議はない
ドイツとはまるで違う国民性だ
ナチスは反省対象だが日帝天皇一味は無罪放免
それだけではなくいまだ崇拝されていてなんの反省も行われていない

一言でいえば、日本人は総じて頭が恐ろしく悪いのだろう
その頭の悪さには幾つかの面があって表面的なIQではない
まず批判的思考力が寸分もないし、
仮にあったとしても大抵の人達が悪性者なので、
愚にもつかない誹謗中傷という形でしか事象を吟味できないのだ
深刻に救い難く悪い国民性を持っている

きのうは鬼畜米英といっていたのに
今日は突然、米英崇拝を始める
きのうは徳川御三家をもちあげていたのに
今日は突然、魅力度最低と罵りだす
きのうは女帝同士が代がわりしていたのに
今日は突然、女系差別を始める
やる事なす事、なんの一貫性もない
要するに頭も性格も異常に悪い、鶏級の集団だ

こうともいえる
日本人の総勢は躁鬱病なのだろう
だから彼らの言動をまともに考えてはいけない
今彼らが断定している事は、早晩まるで真逆のものに変わり
前のとき言っていた事は全く無視され二度と振り返られない
伝統が大事だといいつつ約千年に渡る武家統治の伝統を無視したり
アイヌを差別したりする

鶏より少しはましな知能があるかといえばそんな事もない
流石に鶏でも、きのうと今日で態度を真逆にしたりしないが
日本人総勢はいつでもそうしてくるので始末に負えないほどだ
きのうは徳川に進んで土下座していた
今日は突然手の平を返し罵っている
これほど態度を変える人間など誰でも信用できない

近いうちに日本人の総勢は、
先ず間違いようがなく皇族一味を、口汚く罵る様になる
これは既に、小室圭氏と眞子の結婚に際し、ネット上の匿名では頻繁に見られる光景で
つい最近まで、彼らは眞子や佳子をさも理想の姉妹かのよう持ち上げていたのだ!
婚約者の態度が気に入らないとか些細な理由で侮辱する

これも確かな事で
近いうち日本人総勢は茨城県を崇拝しだす事になる
十年近くも理由もなく辱めていたかと思えば
今日では出身者の三浦春馬が都内で自殺した途端、急に最高の県だと言っている
子供でもこれほどコロコロ手の平を返す人間は精神の病を疑うが
日本人の総勢は極端から極端へ態度を変える

日本人の総勢を12才の子供だとマッカーサーは言った
これは事実ではない
子供でも躁鬱病の者ばかりいる筈もない
日本人の総勢は、歴史的な記憶力というものが一切ないし
あったとしても小説やテレビドラマの作り話ばかり信じ込んで、現実を知ろうとしない
甚だしい妄想狂
並の12才より精神が病んでいる

また日本人全般は性が極悪だ
いかにも善良な人へ、相手が一番嫌がる濡れ衣を着せ
そのまま集団で殺してしまったりを平気で、日常的にしている
西洋でもそんな事は魔女裁判の時に沢山あっただろうが
日本では今も毎日、一見、報道とか司法をつくろった形で疑獄をするのだ
無理やり汚名を着せ有罪にする

東京人は日本人全体でも、有数に性格が悪い集団だろう
だが日本で一番性悪なのは京都市上京区の人々であろう事は、
イジメ発生率が長年最下位な事に加え、
彼らに差別された経験がある京都府民らの本などで色々と考証されてきているが
確かに中世からこの点では何も差別の文化が変わっていないのだろう

東京人は報道権力を乱用して、誰かへ「容疑者」などと意味不明な汚名を着せ、人格抹殺し、
日本社会から永久に葬る中世の魔女狩りみたいな幼稚な事を毎日やって金をたんまり儲けている
京都人の場合、やり口がもっと陰険で
相手が気づかない様な嫌味をいい、周りの仲間と一緒に暗に嘲笑していたりする

ゴーン氏が逃げたのは当然で
もしこの悪しき風習の東京や横浜にとどまっていれば
確実に彼が罪を犯してもいなくとも、監獄に入れられていた
東京人や横浜人の公民度が異常に低いからそうなのだ
また彼らが根っから極悪人だからそうなのだ
罪なき人を無理やり罪に陥れるとは人の業ではなく、悪魔の業だ

或る奈良女はこういっていた
セクハラは冤罪の為に使うものだ
自分が不都合だと感じたら何でもセクハラといって相手に濡れ衣を着せればいいと
これを彼女は本気で言っていた
僕は本当に恐ろしかったし、その場でこの人とは縁を切った
心の底が極悪非道の人間というのは確かにいる
その奈良女が正にそう

この奈良女は、他に、
自分の恋人が或る不幸に遭ったといったら、急に大爆笑しだした事があった
この時点で気づくべきだったのだが、僕は根が性善的なので、
相手の何かの勘違いだったのではないかと、つい善解釈してしまっていた
これも単に、その奈良女が根っから極悪の性格な事を単純に意味していた

だが、この奈良女「だけ」が極悪の性格なのだろうか
僕がみたほかの全ての京都女も、殆どがこの部類だった様な気がする
確かにかなり言動の質が似ていた
自分が話した全ての関西人の女達の数は高が知れているが
少なくとも複数の京女達とこの奈良女は、この種の心からの極悪非道ぶりが共通だったと思う

それらの関西女達は少なくとも、他人の不幸をこの上なく喜んでいた!
他人がたまたま不幸な目に遭うと一様に喜び躍って大爆笑したり、酷い嫌味で嘲笑したりしていた
単純に性格が尋常じゃなく悪い
僕はそんな人達が生きているなんて想像した事がなかったのだ
関西人達は平気そうに彼女らに同調していた

確かに男にも、この種の「女の腐った様な」性格の男というのがいるのを、僕は幾らかみた
一人は東大卒といっていた太っているらしい男で、平気で濡れ衣を着せてきたり、或る京女に同調して陰険な悪業ばかりしていた
一人は大阪から出てきた東京男で、陰口ばかりいう
一人は京都の男性で酷く性格が悪い

その東大卒の男は、長野出身だといっていた
僕が茨城県、福島県や東京都で接した男性たちで、そういう人は現実にみた事がなかったので
何か全く違う文化条件から出てきたに違いないと感じられた
それほどネチネチと卑しい振舞いをすれば、関東圏だと男女に限らず、一般に軽蔑される筈だからだ

或る京都男は僕にこういった「イジメ大好きですよ」
これを真顔でいって、ウケルと思っているのである
確かに大分気が狂っている事は間違いないので、発言として面白くなくもないが
この人は本気で言っているのであった
実際に彼の振舞いは、イジメをみて嘲弄するどころではなく
その隣で軟派を始めた

関西地方の人々は、そんな性悪どもに囲まれ繁殖しているとしたら
それは、確かに共感性が一定より高ければ、地獄の空間であろうと思う
イジメだらけの京都で自殺しないで済んでいる方が凄い
悪意でうずめられた人々の間で発狂せずにいるなど奇跡でしかない
つまり同程度の性悪しか京都に永住していない

特に、僕がみた限り、性善的風土が、僕の生まれ育った北茨城より更に一層甚だしかったのは
いわゆる東北でも、岩手とか福島の人達である
特に奥地に関しては総じてだが、絵に描いた様な良い意味での田舎であり、
そこでは人々が宮沢賢治の様な、根っから良い性格だと当然の様に思われているのだ

だからこういえるだろう
もし福島の人、岩手の人などが
極悪の意地悪が日常なのでそれが当たり前になっている京都などに移住したら、
余程の例外でもない限り、早々に発狂してしまう事になる筈だ
幾ら適応しようとも、性悪どもの嗜虐被害にあうばかりで、一向にまともに暮らせないだろう

少なくとも、僕の父方は正にこの岩手や、福島の血筋で
いわゆる性善的に生まれついているらしく
一言でいうと、他人に思いやり深く、生きるかぎり善行して振舞うべきだという風にどうも生まれついて考える様にできている
その自分が、京都の女達との相性がどれほど悪かったか想像がつくだろうか

京都女達は総じて思いやりとか皆目無い
希にあるのがいても、今度はその相手の状況を推測した知識を、邪推とか嫌がらせにデフォルトであててくる
この時点で信じられない人達なんだが、京都界隈の男達はそれが当たり前と感じているらしく平気でニヤニヤしているのだ
嫌味の応酬が京都の日常なのである

東京の相関係数は京都にかなり似ている
東京人の一部に京都人が紛れ込んで、相変わらず極悪非道の日常を送っているなどよくあるし、
逆に京都へ東京人が行って、雑多な都会人だけに根がガサツなので嫌味とかもよく理解せず、真夏の京都で汗だくでよかったよかったなどいってる場面もよくあると思う

しかし僕ほど感性が鋭敏だと、成程、その上、極度に性善的に生まれついていれば
その人は、絶対に京都人達の間でうまくやっていく事はできない
水と油だ
そしてその京都の風儀をよいんだ良いんだといっている外人達についても、彼らの微妙なニュアンスが分からないので鈍感なだけだと判断できるだろう

会話するにもしぬほど神経を尖らせないといけない
なぜなら言動の端々に言外の意味とか込めてきて
かなりが悪意を込められている
それが京都の日常である
ただでさえ対人関係で気を使って疲れる、思いやり深くいわゆる優しい性格の人は、
京都に数日いるだけでぐったりしてしまうし、僕もそうだった

だとすると京都市の上京区とやら、御所近辺だのに
千年もいついている渡来人の末裔とは、一言でいうと
根底において凄いサイコパスだというのが間違いない筈だ
何せ優しかったら生きていけない
他人を思いやっていたら確実に裏から斬られる
相手に一定距離で対峙しつつ一見上品ぶった嫌味で腐す

ところが、東日本に似ておらず関西人殖民地といってもいい東京ですら
言葉の意味はそこまで裏の意味なんて込められてない
つまりいう通りに受け取ってればやっていけるのだ
これは鎌倉期の随筆『徒然草』の頃から何にも違いはない
関東地方は飽くまで言葉が正直に流通している
ゲスを褒めているやつは唯の馬鹿だ

根が悪い京都人の間では酷く褒めている様な場合は酷く軽蔑しているという意味だったり
かと思うと逆に、唯のヤンキー京女みたいなやつだと、関東どころか世界中で誰もそんな事言わないだろうと思うような悪口をズケズケと当人に面と向かって差別表現したりする
それでよく生きていると驚いたものだ

くれぐれも後世の人が考えるべき事は、
この京都人、特に京女らの風習はまこと千年前から今の代まで、何も変化がない
とかく性悪の権化みたいな人達が住みついているのが、僕のデフォルト実体験だ
上品さとか基本的に一切ないし完全に幻想だ
単に差別的で性悪の典型例みたいな人の出現率が異様に高い

京都ほど女がひいきされ、女の悪業がそのまま放置されている場所は、恐らく世界中のどこにもないのではないか
僕がみていた感じ、京都の人が京女の異常な悪行の数々を注意したという場面は一度も見た事がない
現実にはあるのかもしれないが、総じて京女のなすがままになっていた
女が大変威張っている

それで、さっき出した奈良女は京都男と付き合いだしたとかいっていたのだが
その途端、いきなり吐き気がするほど悪性極まりない言動をしだした様な節もあるので関連性があるのかは分からないが
要は、京女だろうがなんだろうが、現に悪事をしている人間はあらゆる攻略をして叩き潰すのが最善だろう

なぜ京都に性悪ばかり集まってしまったか?
答えとしては天皇が千年も、一夫多妻制を敷き
そこで女は『源氏物語』式に半ば強制的に権力者から強姦される存在で、
その間で妊娠をたくらみ出世競争するという、恐ろしく歪んだ猿山みたいになっていた
上位者がそこに適応したので性悪になったのだろう

女同士の化かし合いとか、
庶民を差別しまくりつつ天皇・皇族などの権力者から強姦あるいは準強姦され妊娠する目的での異様な裏表を使い分ける芸妓じみた言動など、
藤原時代の女官あたりから伝染した、狡猾で陰険な特徴などが今も多かれ少なかれ、一般京都女の間に残ってしまっているのである

それで京女は通例、自分達が一般庶民こと日本国民総勢に対して差別的に振舞っていいものだと本気で今も思いこんでいる
代わりに彼女らが上位者だと勝手に思い込んだ相手には、色々手管を駆使しつつ周囲にそうとばれないよう媚び売る
この行動原理が、そういう汚い俗物社会を持たない地域には信じ難い

僕もいまだに、そういうなんとも言い難い汚い社会があって、そこで生きてきた人達がいるとは、
諸々の観察でほぼ完全に把握はしたのだが、
それでも、やはり全然、京都の人達も、その文化も好きになれないし、どちらかといえば軽蔑対象にするしかない
先ずその差別やひいきが僕には気分の悪い堕落だ

公家達とその影響を受けた人達は千年以上、そういう複雑な嫌味マウントだの、
元が奈良のヤクザである皇族一派による社会的地位を利用した強姦ゲームだのなんだので繁殖してきているので、
そういう中世封建制の差別前提の世界観をさも当たり前の様に感じている
僕には今でも人でなしにしか見えない

また、そういう差別が常識の極悪人みたいな人達とは、なるだけ縁を遠ざかりたいと信じている
それで僕はなるだけ京都と名のつくものから遠ざかってきたし、今後もそうするだろう
あしきものとの縁をきれば、ひとりでにその方面から遠ざかる事ができる
そうして人類はアフリカを出て、旅してきた筈だ

東京もそうだが、日本の総勢が
この京都の悪習を凄いとか偉いとか羨ましいとかいってまねているので、
僕には、日本の総勢も、確かに反面教師である
日本人達は大抵の人々が自分で考える頭が全然ないに等しいので
僕に悪例視されてもなんともないだろうが
少なくとも彼らと僕はまるで違う生物だ

僕は単独行動主義に限りなく近い、行動原理については個人主義を更に強化した、
いわゆる自由至上主義といっても余り間違っていないかもしれない
それで昔、東京の専門学校講師が僕のそういう行動を見て、「誰もついてこないよ」と嫌味? か何かを否定的に言ったのだが
これもいまだに全く意味不明だ

先ず僕は何かの組織の指導者でもなんでもない
そしてそうなりたいと願った事も一度もない
寧ろ、自分より卑しかったり愚かだったりする他人というものを大層疎ましく思っているくらいかなり人間嫌いだ
子供の頃から人の善悪をよく観察していたので、つきあう人を極端に選ぶ
自分より悪い人に近づかない

もし他人がついてきたら、それは大変気持ち悪い事だろうと思う
何しろ僕はその他人をなるだけ避け生きているのだ
東京人は総じて群れて生きていた
これも僕は全然、気が合わない所だと感じた
僕はなにをするにしても他人と同調したり、集団行動が昔から嫌いで仕方がない
修学旅行とかも一番嫌いだった

なぜその東京の専門講師とやらが
「他人をついてこさせる」のが正義だと思い込んでいたのか?
家康みたいな戦争屋を模範にしていたのかもしれないし、それ以外かもしれない
僕は当然だけど、一芸術家であり、
自分一人で何もかもやって、一人で決定し最初から最後まで進むのを是とする宮本武蔵的人間だ

現に『荒野行動』とかいうゲームも
僕だけかは知らないが、周りの人々の戦績と全然違って1人でしかやってない
ごく希に2人でやってるが1回とか2回とかである
他人と行動するとしても、極めて限定された目的の場合だけである
勿論、協調性が無いわけではないのでその時には仲間を思いやるけれども
つまりは、群れる事が心から好きではないのだ

だから「みんなが言ってるから」正しいと判定する人の気持ちが、僕には何から何まで一つもわからなかった
さっき挙げた奈良人も、頻繁に多数派に訴える論証で自分の同調行動を正当化していた
赤信号をみなで渡っても赤では? と僕が評すると、大体はいいよどんでから発狂していた
脳自体が違うのだ

それで余りに皆があらゆる面で日常的に褒めちぎるものだから
段々と僕は、それまで特にいいとも悪いとも思っていなかった
北海道や沖縄がどこか疑わしくなってきた位だ
実際、日本人が最低の魅力度だといっている栃木県とか
僕が実際に経験した限り、自分が見た限り一番綺麗な高原といって間違いない

同じ様に、京都がいい、すばらしい、最高の街だとか
世界中の馬鹿みたいな外人が言っているが
僕はそれを確かめに何度も行ったけれども、事実は大した事ない下品な寺ばっかだし
さっき書いた通り、最善の庭だって僕の実家の庭を少々かねかけて整備したくらいの質だったし
はっきりいって、過剰評価だ