渡部宏樹氏が書いた『旧制中学校のバンカラ文化の残り香(考察編):地方エリートの再生産と大都市への進学ルート』内に興味深い記述をみつけた。
大都市部の学校でいう自由と、地方都市部の学校でいう自由にずれがあるという点だ。
僕も明らかに旧制中学の名残でバンカラかつ自治文化があった学校(福島県立磐城高校)を卒業し、かなり似た応援団の儀式も経たので、彼のいう事は或る程度まで理解できるのだが、その校内が自由だったのは確かで、但し、それは放任主義以外に、貴族義務の様な学生自身の精神文化があった点が間違いない。つまり我々の高校は「硬派」なタイプの自由を享受していたのだが、大都市部の高校はどちらかといえば「軟派」なタイプの自由を享受しているのだろうと想像される。硬派系の精神文化では、自分から髪の毛を染めるとかわざと私服で軽薄な振舞いをするとかは、仮にできても進んで選ばない世界観があった。「硬派」な自由とは、リベラルさ、寛大さ、寛容さも当然の様に含んでいた。僕の知る限りあの高校に居た人達ほど思想とか感覚とか行動とか言動とかに多様性、つまり個性があった人達は少なくともそれ以外の社会でみた事がない。しかもその個性を僕が体験した限り全員が認め合っており貶められなかった。この硬派系の自由は、カント哲学の用語でいう「自律」に近いタイプのそれだろうと思う。自分は幾らでも好きに行動できるが、ではどう振舞うかといえば、飽くまで義務や当為に進んで殉じるといった貴族的な精神が当たり前みたいな感じで、自分がみていた限りそれを逸脱していた人って1人もいなかった。
(貴族精神を逸脱していた感じの傾向がみていた限り1人もみられないとは、多様性高く個性が尊重されるという前記部分と矛盾している様だが、この2つは両立する。元々不道徳な行動をしがちな人も、校風に飲まれ、それを恥ずかしく感じ進んでしなくなるみたいな風で、個性の感化は強制力ではなかった)
池田潔の『自由と規律』でイギリスの旧制中学にあたる(実際にはそれより伝統が長いが)パブリックスクールの様子が色々記述されているが、ここに、僕は「硬派」な自由こと自律文化とほぼ同一のものを見出した。各地の選良を集めた貴族学校が、そういう色彩を帯びるのだろう。飽くまで私立学校だけど。他方で、僕がみた感じ、大都市部の「軟派」な自由を享受している人達に貴族義務があるかといえば、大分微妙な気がしている。僕が一番この人、僕と違うなと思ったのは、落合陽一氏だ。この人は公然と不道徳な事をしばしばする。自律は全然していないタイプで、明らかに地方都市部の典型文化人ではない。大都市部の旧制中学の名残にある「軟派」な自由とは、程度の問題かもしれないが、いわゆる英語のリベラルの語感に近く、「不道徳な我が儘もメタ認知的に許容する」といった意味が含まれているのではないかと思う。例えば学芸大付属校とか筑駒の卒業生とかになんかそういう不埒な感じを受ける事が多い。即ち大都市部の旧制中学は、周囲の商業的な町人文化に飲まれ、段々と貴族義務は失われていったのではないかと思う。はじめはきっと旧士族の師弟とかが所属していたので、地方部の旧制中学と似た様な、質実剛健主義に近いものだったのだろう。裏返せばそれが温存されたのが、地方都市の一部進学校になる。「硬派」な自由からみると、不道徳な振舞いは当然の如く侮蔑対象になってくるので、進んで善行して当然、社会の模範で当然という雰囲気で、公的な功績に賞賛が贈られる感じがあった。これは完全に武士階級の精神文化の名残だろうと思う。僕が居た頃男子校だったのもあるが、恋愛要素とか無視されていた。
落合氏も、もし地方部で硬派な精神文化を一度以上経ていたら、きっとああいう振舞いはしなかったに違いないと僕には思える点が色々ある。僕とか親ももう亡くなったおじさんも同じ高校でその精神文化の幾らか純系みたいになっているだろうけど、これも、イギリスに興味深い共通点をみいだせた逸話がある。
僕が全小説でも一番いい作品の一つと思っているのが『チップス先生さようなら』というのなんだが、これはパブリックスクールの話、教師が君の親もおじいさんも教えたよみたいなそこの主みたいな人で、結局、本当に教えるべきは目先の知識とかではなく、公平さを重んじる紳士の魂なんだとある時回顧する。
その種の精神文化は、確かにある種の学校には校風として存在しているみたいで、僕が行った学校群の中にはそういうのが明らかにあった場所が幾つもあった。それで僕は校風で学校を選ぶという風に方針を変えた。知識なら独学でも得られるが、そこに身を置く事でのみ得られる暗黙知はそうではないからだ。渡部氏の論点はわからなくもないというか、時代の趨勢で男子校が共学に変わった様に、いづれ応援団強制の校歌斉唱みたいなのも消えてしまうだろう。しかし貴族義務を暗に伝えている部分については恐らく必ずしもそうでない様に思う。これは大都市部の高校が置かれている軽薄な環境との相違だからだ。例えば徳川斉昭は、慶喜(七郎麿)を水戸で教育しようとした理由に、江戸は軽佻浮薄なので大事な跡取りがそれに感染しない様にとの配慮があった。孟母三遷ではないが水戸で幼少から英才教育されたので、慶喜は成長後、明治維新を主導する立場になりそれをやりおおせた。世界史で最重要な判断の1つだった。慶喜が「軟派」な自由を享受していたら、日本が亡ぶ間際であれだけぎりぎりの判断が要求された際、安直な怒りに任せ西軍と全面戦争し、結果、双方の兵力は削られ、国力は消尽し、そこで欧米列強に植民地化された可能性は十分すぎる程ある。田舎の尊王教育が「硬派」な自律を彼に要求したとしかいえない。日本が自ら封建制を脱し、近代化へ急激に進んでいったのは、その王座にいた最後の将軍が、国の為に自己犠牲を図ったからとしかいえない。周辺国ではこの過程が滑らかに進まず、開化派が繰り返し保守派と激突した結果、結局植民地化されたか、近代国家側に侵略されていった。慶喜の禅譲が全判断だった。
この点でも、我々茨城県人(の文化人)は慶喜の父・烈公を常道として偉人と一般に思っているわけだけど、慶喜による――母方の親族にあたる天皇への――禅譲の数々を、政治的マキャベリズムの観点から単なる敗北とみなす西日本一帯の歴史観とは、趣が異なっている。水戸史観は通例、僕がいった通りである。
そうであれば、貴族精神がある急場で発揮され、大都市部の「軟派」な自由しか知らず、地方都市部で連綿と育まれている「硬派」な自由こと、その自由を最大限生かして進んで義務に殉じる自律行動が形をとった時には、常々大都市部の人達はそれを理解もできず誤解しかできないのだ。明治史観がそれを示す。
渡部氏は、同文の「批判編」で、応援団指導とファシズムを関連づけて論じている。これは僕は一理以上あると思う――例えばBTSらによるナチス風パフォーマンスは日本風学ランを着て行われ、戦前の日本文化と極右的な服飾の美意識に共通性がある――が、見方が表層的とも思う。寧ろ日帝は、共通性があるとかとうに超え端的に、総じて天皇制ファシズム国家だったのだ。応援団指導は完全にその時代の名残だ。当時の日本軍もその様な指導をしていたろうし、皇国に殉じるこそ臣民の道という全体主義的な国家神道の価値観は、今の自衛隊でも多少あれ受け継がれていると思う。
(なお私はここでナチスの差別的な大量虐殺の側面を肯定的文脈に置いているわけでないのはきちんと明示しておく)
「自律」の哲学は、潜在的に貴族義務という道徳的な拘束力を持っている。それが時に自己犠牲を物ともしない激しい利他主義の面もある一方で、冒頭に挙げたよう、不道徳さに軽蔑を覚えるといったある種の選良意識(克己や自尊心の強調)からくる、なんらかの体制への過剰適応を意味する面もある。「軟派」な自由――区別の為ここでは「我が儘」とする――では、その種の過剰適応、即ち或る社会で真実に模範的に(いわゆる大人の価値観に従う優等生ではなく)振舞おうとする内的動機づけが行われない。しかも貴族義務は認知さえ陸にされていないので、道徳的拘束もない。単に、個人主義的利己なだけだ。大都市部の旧制中学文化では、この我が儘を自律より上位に置くばかりではなく、自律を「イデオロギー」など大して理解しているとは思えないドイツ語を使って貶める傾向にある。Ideologieはidea(考え、古くは形や型)とlogos(論理)を語源にもち、和語なら「考え方」くらいの意味だろう。道徳相対主義的な見方で、特定義務を相対化し、実際には自分を安全地帯に置いて、深刻に不道徳な事態を静観しつつ、自己利益に最適化した行動を選ぶ。これがいわば大都市部の旧制中学的文化で一般的な価値観であり、彼らが「非イデオロギー」的と考える、個人主義的利己を意味する我が儘の正当性である。この我が儘第一の世界観は、単に大都市部の旧制中学だけでなく、旧制高校こと旧帝大、今でいう東大などに受け継がれていると私は思う。漱石が『私の個人主義』で語ったのは要するにそういう事で、英文で『武士道』を論じた新渡戸稲造(旧帝大の一つ・北大出身)とは、考え方にかなり大きな開きがある。
例えば、同時代で東浩紀氏とか、三浦瑠麗氏とか、茂木健一郎氏とか、或いは池田信夫氏とか、ツイッターにいる東大卒の人達をみていて、彼らが「自律」の文化気質を発揮したと思えた場面は基本的になく、「我が儘」のそれは毎度の事の様に感じられるのは、決して偶然ではない。それが東大の校風なので。安冨歩氏の「東大話法」なるものは、究極ではこの我が儘主義にほぼ等しい東大文化の内部的批判だろうと思う。それは大都市部で相対主義に陥るしかなかった、堕落した倫理教育の成果で、要するに雑多な環境で何が正義かを定義できなくなった人々が、遂に利己的に生きる事にした末路だろうといえる。この我が儘さを最近は「リベラル」と横文字で置き換え、米英圏でその言葉で呼ばれる層と自らを重ね、自己正当化に耽っているのが彼ら東大卒の過半ではないだろうか。でも実際には、英語のそれと文脈が大分違う。米国では左派(社会主義者)を含むし、英国では非現実的な間抜けさを意味する事もある。日本語の「リベラル」は、大都市部の旧制中学・旧制高校の名残が次第に帯びる様になった我が儘第一の考え方と帰一で、特にその中枢が大都市部の旧帝大なのは論を待たないだろう。
要はファシズムと一対一で結びついているのが自律の精神だというのは誤りで、自由度の最大化に自律する事もできる――例えば、現愛知県知事の大村秀章氏が、愛知県立西尾高等学校という旧制中学を卒業してそれを得たかは厳密には不明だけれども、あいちトリエンナーレ2019の炎上中に身を挺し表現の自由を守ろうとしたのなどその自由度の最大化に益した自律の実例だろうと思う。またリベラルと不即不離なのが我が儘の精神というのも誤りで、他人に害を為す我が儘さが悪しきリベラル(原発推進論者など)なのは論を待たないが、我が儘でありつつ不寛容という場合もあるだろう(極左の内ゲバなど)。
旧制中学文化は各地で独自進化を辿っていて、戦前の名残は必ずしも悪ではない。渡部氏は今のところ筑波大に職を得て、福岡県立修猷館高校の応援団文化を、前時代的で拒絶すべきもの、という結論に辿り着いている。僕もあれは拒絶していいかなあと思うが、同時に、彼も書いてるがその精神文化の方は決して悪とは思えない。寧ろ純度の高い武士道精神の書生風残滓であろうと感じている。また文明一般が、全て大都市部の我が儘文化に染まって、ラマルク淘汰(用不用説)的にそちらへ流れていくのが必然の進化だとも私は思わない。寧ろ東京でくらした経験から、そこはこの世で道徳が最も落ちぶれたらそうなるだろう非人道的な高犯罪率地帯の一つだった。ソドム的環境が人の理想ではありえない。我が儘さがある限度を超えると、古代アテナイ・ローマにしても社会規範が崩れ、危機に際しても陸に統制がとれなくなり、周辺のより高自律な集団に、結果として攻め亡ぼされるといった現象が繰り返し世界史では起きている様に思う。
我が儘の許容も「都市の空気は自由にする」で程あれ必要だろうが。