2020年10月7日

国公立の学校は全てなくして良い

田中優子氏という法政大総長が「内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能」といっていたのだけれども、僕が思うにこれは全ての研究者にも総じてよくできている事ではないと思う。通常、引用主義とかいうある分野の節目での、交通の便宜的な評価基準くらいしか持ってないと思う。

 研究の質をもし研究者がよく評価できていたら、潮流の重要な転換点で判断を大幅に誤って、新理論の提出者を冷遇しまくるという、人類が一般にやってきた過ちなんて絶対に起きなかった筈だ。というかその質の定義そのものが多少あれ恣意的だから、学問上の真理は究極で信用ならず、仮説に留まるのだろう。

 確かにその意味でこの部分は間違った事をいっているわけでもないんだろうが、研究者なら質の評価を専門家でない大臣全員より巧くできるのさ、というのも、一種の傲慢じゃないかなと思う。特にこの研究者がやってる文学とか、定型的評価の質なんてあってない様なもので、諸説乱立していくだけではないか。

 或る学会で多数派か上位者が認めるから、とかいう凄く恣意的な評価軸で、或る学問の権威ある見解が作られている。無論その背後には共通の研究様式かそこでの考え方があるのだが、ここから遠い真理ほどその学会では異端扱いで迫害される。だとしたら真の質の評価なんて一体、誰にできるのという話になる。全ての学会で共通して真理と認める見解に対し、その外にそれを否定する真理があって、そちらの方が実は正しかった、などという例が幾つも学問史では出現したと思う。天動・地動説とか典型例だけど。だったら当時は主に真理探求者自身にしか質を評価できてなかったのであって、他研究者は全部無能だったのだ。政府が当時の学問を正しく評価できないなんて当たり前の事実で、今の内閣だってそんなの当然知っているだろう。要は反政府的見解に税金使うのが公共的なんですか、というスガ首相の素朴な疑問なんじゃないだろうか。国立・公立の学校なんてこの意味では全部矛盾しており、成立も存続もすべきでない。

 この素朴な疑問についてもう少し考えたが、そもそも当時の政府が無謬だという前提に立っている時点でスガ氏の知性が論外なので即刻消えろってのが左派の一般論で、確かに共謀罪は米国政府が諜報目的で弱小国におしつけてるだけで拒否可能なものだし日本では違憲である。集団自衛権行使も違憲だろう。
 しかしスガ氏はNHKクローズアップ現代で国谷裕子キャスターに後者の違憲性を問われ強弁し、以後、安倍政権の下で圧力をかけ国谷氏を降板させたといわれている。(映像文字起こし

 ここから考えると2つの可能性があると思う。
 1つはスガ氏は左派一般がそう考える通り本当に論外の知性で、そもそも或る政策に対し否定的な観点からの理論を理解できていないのではないかという可能性。
 もう2つは違憲性その他について理解できているとしても、権力で反論を握り潰す強権政治こそ正義だと信じているのではないかという可能性だ。

 またどちらも多少あれ彼には内在されている傾向で、半ば理解していても時に強権で潰す方が、結局は理があるとみているのかもしれない。自民党内での派閥闘争を長年生きていたらその様な考え方に陥っても不思議ではないし、現に自民党は(公明党と連立で)両院を寡占する寡頭政党なのでそれが権力基盤だ。

 それと法政大の総長について思うのは、スガ氏に異を唱えるより学位を取り消した方が余程、法政大の威厳を保つ効果があるのではないかという話。成蹊大が安倍晋三氏に与えた学士についてもだが、両者とも憲法を理解していない(又は誤解している)のは明らかなので、両学の不名誉になるだけの学位である。

 今の政府はある意味で微温的な対応をしているけれども、僕が首相だったら普通に国立・公立大は今すぐ辞めます、予算きりすてますといって0にするし、それでどうなろうがお前らが自分で研究してんだからその通りにやれよ、税貰えないと研究できないとか最初から寄生してただけでしょと思うのだけども。例えば、過去の日本史でも日蓮宗とか政府から相当迫害されてた様な記述が、本にある。当時の政府に背く尊王論の学者が大量処刑された安政の大獄ってのもあった。逆に奈良時代の仏教とか政府が大仏作ったし、(象徴)天皇主義の水戸学が結局国教になっているのが現状。政府と学問って常に緊張関係だった。その文脈からいうと今に始まった話ではないというか、科学すら国に不都合だから、又はそもそも質の評価ができませんから予算削りますね、って当然あって然るべき流れというか、寧ろ先駆的なんじゃないのかなってのが僕が第三者として事態を眺めてて思った事。国内研究者が政府に甘えすぎなんじゃないか。「悪魔の代弁者」役を担う学者が必要、そんなの誰でも分かるでしょ。けれども日本学術会議がその役割を担うつもりで政府に寄生していたといえるんだろうか。朝鮮で日帝が文化改変してた時、儒学主義で抗弁した学者がいて、数人とか逮捕されたと韓国史で読んだ事あるんだが政府に飼われてたら無理では? 単に政府の中で当時の政権批判し席次外されないとか、上司が『貞観政要』レベルの余程の賢君じゃなかったら通常ありえないのが現実で、今の自民党が到底その公徳の次元にないとか誰でも知っている。党の執行部批判をくり返してきた石破茂が派閥闘争でどう冷遇されてるか。
 つまり彼も民主党入れよと。

 同じく、国公立大学の教授らは全員、さっさと下野する覚悟で抗弁してるんでしょ、という話で、今後、政府からの予算停止だの批判した学者の粛清が決定した途端トーンダウンしたらあらら、やっぱりとなってくる。だから最初から国公立に寄生とかすべきでない。僕は最初から福沢の影響受け私立主義だった。民間の学者なんて、僕もその一種なのかもしれないけど、要はみんな金なんてないのである。金持ちの道楽の延長でしか商売でもない研究なんて元々やれないのであって、その範囲も自分が趣味代金として費用捻出するしかないんだから。それが研究費を潤沢に貰って偉そうにしてきた国公立の連中がなんだと。米国の研究が圧倒的な力をもつ様になった今、我々は米国の主要大学が凡そ全て私立だって事実から学ぶべきではないか? なぜ明治期の国社独裁時に作られた旧帝大へなんざいまだにしがみついてるのか。そんなの全て、税の調整では切り捨てていい。僕はそう思う。救貧奨学金なら政府は出すべきだけども。ま、確かに政府が、特定の学問を弾圧とかやり出したらこれは焚書坑儒かクメールルージュ、最低でも安政の大獄の二の舞なんだろうけども、日本学術会議に税金補填っていらないよね、なら、正論以外なんでもないと思う。大学教授の同業組合が、唯でさえ高給はんでいやがるのにもっと税金クレっていってる。4万4080人ほどいるらしい大学教授の平均年収なんて1153万円と出ていて、医師とほぼ変わらない(『プレジデント』2005.12.5)。国の予算に寄生し、時に好き勝手放言し、更に年金クレとかふざけているのであり、スガ首相は苦労人だけにそのくだらねー甘えを鋭く見抜いているとしかいえないのではないか?
 繰り返すが国公立大とか全部政府の予算なくしていい。地方自治体の裁量権は認めると、少なくとも国立の方はそうではないか? 学者が真剣かつ純粋に学術的見地から、安倍政権批判してました。それが正論だらけなのは重々わかりすぎるけども、彼らが年金クレってのは民間で同じ事してる学者に比べ不公平すぎ。これはなんか凄く表層的な議論にされてますが、僕がみるに千年後の日本の学術界を作る重要局面の様な気がするので、ここで僕が旗を振って、「そうだそうだ、スガ首相もっとやれ」って感じで国立は予算きりますね、でいいと思うのだ。そしたら学術はやがて立派に自立し、身の丈に合った本来の姿になる。

 あと麻生太郎氏は親に「国立は貧乏人が行く枠だからお前は私立」といわれたとか言ってたと思うが、この貴族義務的な規律も、一般社会だと東大が金持ちの子供塾通い前提の箔付け装置に使われてる傾向の今、完全に破綻してると思う。学生も余計、国立に税補填してもお国の為に恩返しとか考えてないでしょ。貧乏人を踏み潰し自分だけ肩書きで一生ぶいぶいクイズ王ぶってやろうっていう、新自由主義だか自由至上主義の拝金版まがいもんが、今の堕落しきった東大生なり東大卒の殆どの実情であり、昔でいう苦学生が少数派すぎ、税貰ってるのに完全にお国をなめ腐ってるのは間違いない。スガ氏が正しいのである。安倍もどきの反知性主義だ~とか、農家のせがれの恨み節だとか、先ず以て下衆の勘ぐりかと思う。普通に冷静に学術・教育界の様子をみてきた側からすると「日本の国立大学関係者が一般に国へ甘えすぎなのは間違いない」と感じる。だって私立も今は補助金貰ってるらしいけど同じ事を自力でやってんだもん。慶応義塾という学校はその名義からして寄付でできている学校であり、束脩廃して学費制度を日本で最初に導入したのも僕が読んだ限り福沢諭吉だ。要はこれと同じで私立に比べ国立は財源が税だったから甘え、総じて学生をなめているし、学生も学問をなめていると思う。私立の学生もなめてるのはいるけども。僕も専門は夜間だし大学も通信だからよくわかるけれども、本気で学問しようと思って学校にくる人って、普通に在学中に遊ぶとか信じられないと感じており、僕がみてた感じ夜間や通信(学習センターにいる学生含む)でそういう人ってみた事がない。だから学生の質が違うといえば間違いなくそうで、一般の大学とか質が低い。学ぶつもりがないのだ。卒業まで単位とれればいいとか考えてるしぬほどふざけた神戸のお嬢様系女子大の学生を見た事があるんだが、そいつとか宿題を自分でやりやがらない。それ勉強してる意味ないでしょという話なのに、単に世間体箔づけの腰掛扱いしてる。それが国立だったらこれ完全に予算きっていい。学生に存在意義ない。

 国立大学の一部でノーベル賞とるまで行けた人がいました。そんなの僕はノーベル賞を学術的基準とか思っていないので(学術の展開は、必ずしも収束的ではなく、本質から言って単に多様になっていくだけの物の筈だからだ)、どうでもよい。スウェーデンアカデミーやダイナマイト発明者の我が儘なんて無視すればいい。

 ま、結局、総合判断するとスガ首相vs国公立の大学教授で後者が負けたらいいのにな、というのが僕の実感で、私立の教授なんて余計国から予算クレとか初志貫徹しろとしかいえないし、国公立の連中は全員下野してほしい。それが元々学問というもので、政府の飼い犬で甘えきっていた醜態に気づけといいたい。