池田信夫氏がブログで青森(の六ヶ所村)を最終処分場にすればいいと発言してるのをみつけた。
この人は原発公害の問いに関しては完全に悪徳学者と言っていいだろうと思う。はっきりいって人の心は持ってない位で、賠償金で何でも買えると思い込んでいる。これも人でなし発言だ。
再処理施設は期限つきだから受け入れているだけで、最終処分は下手すると万年単位で、未来の現地人に迷惑なり世話をかけるのだから、無害だとか儲けたカネの一部を手渡せば「商売的」(決して経世済民的ではない!)だとか、経済学の倫理面、社会的責任の価値を無視しているとしか言い様がない。慶応大学はそういう人を非常勤講師格で受け入れているので公的に問題があるだろう。僕もはたちのころ福沢研究してたので、創始者がああだから元からそんな程度の学校だったのかもしれないが、少なくとも世界の文明の模範をめざした当初の志から比べ、公的責任という面で慶大が明らかに堕落していくのは悲しい。
京都では福井の原発に世話になってきて、東京では福島・青森・新潟・茨城の原発で、世界最悪の公害を起こしながら、「放射性廃棄物と再稼働は無関係」とかどう考えても日本学術会議がいう通り、廃棄物が出るんだから関連しているだろうに、公的倫理は無論、論理的思考力すら欠けている点が大きい。
経済学の或る面で並以上に学んだ者も、倫理的判断とか公徳、巨視的政治力など別の面では常人に遥かに劣る場合がある。そもそも当時の経済学が不完全なのはいうまでもないので(理系の中にはそれが学問でないと考えてる人すらいる)、その枠を超え思考できないと、長期的に誤った方針を出す事もよくある。
最終処分場を、京都人だか東京人だかが上から目線だかなんだかわからん断定的口調で、既に多くの負担を負っているいづれかの自治体に「そこにすればいい」と述べるとか、不躾とか超えて江戸時代なら当然討ち入りされる次元の無礼だと思うわけだ。民間の学者だからまだましだっただけで政府の公人なら。日本学術会議の中にそういう奴がいたと聞いた事がないので、最低限度の貴族義務は保たれていたに恐らく違いないが、いつ政府の御用学者がそんなのになってしまうかわからないので(三浦瑠麗氏が安倍内閣の大臣と接点もちながら国民皆兵式の徴兵令述べてたみたいに)、学術機関は政府から切り離すべきだ。