2020年10月25日

皇室廃止後の新国家計画

西日本・中部地方の人達全般は、殆ど一人の例外もなく、都会を崇拝し、田舎を差別している。そしてその意識のままで東京に出てきて、そこで中華思想そのものの都心崇拝・地方差別をまきちらす。
 彼らのこの偏見は、外部者の目には意味不明だが、確かに彼らの宗教にまでなっており、世代固定している。西日本・中部地方の人々が、東京や彼らの地元で、よく北関東や東北地方を、陸に知りもせず、愚にもつかない偏見で、口汚く差別している場面をみるだろう。これは西日本・中部人達の脳内妄想で、古代奈良に自称天皇がもちこんできた中華思想を、完全に唯一の世界観としてすりこまれているからであろう。また出自を辿ると、この西日本の人々は、総じて、いわゆる弥生人または渡来人と呼ばれる、古代中国・朝鮮から移民してきた人々の末裔であるといってよいだろう。そういった人々が、彼らの古の本国にあたる中国でずっと行われてきた華夷秩序の差別を、そのまま現代に持ち込んできているといってよい。

 恐らくこういう事だ。この弥生系の民族は、元々の脳のでき方が差別し易くなっている。一般論としていえば、一般知能指数が、相対的に、先住の日本人側――北海道・東北から関東北部に元から住んでいる人々より、低い。したがって部落差別といった独特の卑しい人権侵害の風習も、西日本が主だった。

 差別は、雑な分類で確証バイアスを強化してしまう様な、悪意を自己強化し続ける妄想で、それから派生した人権侵害の数々である。この脳の働きは、幼稚な程し易い。例えば「黄色と黒」の警告色のハチに刺されたら、その色を忌避するといった習性が、人種・民族分類などにもあてはめられたのがこの差別だ。一般知能指数ことIQの低さは、特に検査しうる論理性について同年代に比べ、比較的稚拙な脳の働きを意味している。即ち、一般知能が高い人々及び年長者の集団では、分類に関する認知エラーが修正され易く、偏見はより少なくなる傾向になる。他人の状態を推測する知能から、利他行動もし易くなる。弥生人の集団では、相対的に一般知能が低かったので、もともと身分差別のない共和政だった上に、獲物を分け合い経済格差をなくす原始共産経済を執っていた先住の日本人・縄文人の集団へと、身分差別や格差社会を持ち込んだのだろう。それでそれまで日本になかった戦が頻発、撲殺跡のある弥生集落が出た。中国の神話上の皇帝の名義で、中国語で北極星の名義でもある「天皇」とは、この弥生民族の社会だった関西地方で、飛鳥期頃に覇道を握った人物である。彼らは遣隋使・遣唐使を通じ、当時の中国文化を直輸入した。丁度今、天皇が米英留学するのと同じ態度で、中華皇帝という身分差別の制度をまねたのだ。

 西日本・中部人達は、この弥生民族の持ち込んだ、差別の風習をそのまま今も踏襲している。だから東京に出てくるや、東京人の一員になったつもりで、古代中国人達とそっくりに天皇(皇帝)崇拝を当然視したり、それに伴って、地方差別という事を、何の恥も矛盾も感じずしてしまうのだ。

 またなぜ西日本・中部人が、あれほどまでに商業主義(商業都市を崇める性質、性向)なのかについても、やはり中国からきた人達の末裔だ、というのが答えだろう。中国の「商」(別名・殷)は、語源そのままの通り、商業文明だった。
 ところが日本側にずっとこの風習はなく、商業は日本の異文化だった。日本の全史は砂原遺跡から12万年と見積もられている。その間、先住の日本人達はずっと、狩猟・採集した産物を進んで分け合ってくらしていた。
 これに比べ、中国文明では太古の段階で商業が発達し、金銭で物々交換しくらしていた。中華皇帝はこの王座から、各地民衆に納税させ、贅に耽る大商人だった。西日本に移民してきた古代の中国人・弥生民族は、西日本各地に集落を作ったが、そこで本国と似た風習でくらした。米倉を作り、米を貯めこみ、更に米を与える約束で荒くれ者を雇い――初代将軍は朝鮮からの渡来人である――納税しない反抗的な日本人を虐殺させ、強奪を図った。中華皇帝と同じ商業的収奪だ。こうして弥生民族の一員が、奈良で巨大な地場ヤクザ――祭りの出店を仕切っていて、ショバ(場所)代を払わせる様な事をしていた頃から1300年後の今、東京都の千代田区で、いまだに、天皇と称するその人は、全く同じ収奪業に耽っている。これは血のなせる業なのか? 皇族は米国に留学した事があっても、自分が特別の身分に留まり、人権平等を退けるのだ。秋篠宮眞子氏は、小室圭氏と結婚し、米国移住するかもしれない。だが彼女はその根本から人が平等の社会に、きっと適応できないだろうと思う。無論、米国文明が植民地へ移民してきたイギリス商人達が中心となってできている点は、商業的な古代中国人由来の関西地方と同根で馬が合うかもしれないが。

 差別し易い人達が中心となる社会、つまり階級制度や身分差別のある社会は、誤解を恐れず一言でいえば、馬鹿の集まりである。悪人もなんらかの意味で不道徳(害他的)な一種の馬鹿だとすると、西日本は東北・北関東より、弥生期以来ずっと風紀が悪かったのだ。だから西日本人全般が東京で差別をばらまく。言うまでもない事ではあるが、大人と子供の犯罪率・犯罪数(刑法犯率・刑法犯数)をみれば一目瞭然な通り、大都市化した地帯が多い東京・(横浜を含む)神奈川、千葉より、北関東の方が遥かに風紀が良い。だが南関東では逆のウソをつく。これもまた彼ら関西系南関東人一般が、悪性か馬鹿だという証明だ。


 まとめると、なぜ東京に出てきてから、又は地元で、西日本人全般が、あれほど北関東・東北へ甚だ汚い差別的言動を常習的に繰り返すかといえば、西日本なる場所が、元々中国系の一般知能の低い、商業的・収奪的で、また集落ごと撲殺を図るなど、古代から風習の悪い人々が移民してきた地域だからなのだ。中部地方の人々は、関西地方に多少あれ影響を受け、彼らの弥生民族的な風習――差別、収奪、商業――を身に帯びながら、地元で、又はしばしば東京に出てきて、やはり似た様に田舎蔑視・地方差別の言動をし易い。これは彼らの風土が、西日本同様、天皇中華思想に心から染まってしまった証拠だ。東京や、西日本と関東地方の接続点になっている神奈川は、相関係数で見る限り、確かに関東地方より京阪地方に似ている。この2つの圏域は、実質的に、京阪地方の植民地になっている。天皇が象徴という曖昧な名義の抜け道で、名実共に相変わらず収奪長をしているのがその第一だ。我々はどうして東京人が、特に西日本・中部出身者らが、あれほど一様に「地方」扱いで田舎差別を繰り返すのかこれで理解できた筈だ。中華皇帝(天皇)制度の元での、華夷秩序の猿真似である。
 公税を弱者救済より、己の借金留学や贅沢三昧に浪費しまくるのも、皇族が元々古代中国人流儀だからである。日本という現時点で分かっている限り最低12万年の歴史を持つ国は、第一に天皇と称する古代中国からの移民一派に、約1300年前にのっとられ始めた。この前座となったのが約7000年前の弥生民族――野蛮で犯罪率の高い集団の大量移民だったが、特に天皇はその中で最も強欲だった為、中華皇帝をまねだしたのだ。既に人権規約を批准済みの国で、皇室と称する差別主義の宗教権力者を、国政で保護したり、国税で維持するのはなんといっても矛盾でしかない。遠からずこの不条理に気づいた日本人達は、皇室制度をなくし、彼らを民間人化し、宗教法人として独立活計させるだろう。これ以外の仕方で第一差別をなくせない。

 次に東京という京阪人らの植民地は、人種差別を繰り返す都知事候補の得票数から見る限り、約18万人以上も悪辣な衆愚が集まってしまっている。そこで彼らの一部が都内マスコミを煽れば、命に関わる負の表現の方が危機本能に訴え炎上し易い為、簡単に悪意が拡散される。これが東京による差別報道の内訳だ。東京マスコミによる田舎・地方差別と自己崇拝の暴走は、当人達の内部で拝金主義的な商業が、天皇による収奪体制の一部として正当化される以上、治りようがない。元々この邪悪な構図が中華都市なるものだったのだし、京都も相変わらず全く同じ都市形成をしている。天皇除去後に東京・京都といった天皇系の中華都市を解体するしかないのだ。奈良地方でもやはり平城京を代表として、中華都市が形成されていた。だが中国本土の商都が革命後、一様に荒廃し衰微したのと同じく、奈良市も今では他の都市に殊更比する規模ではないほど小さくなった為、嘗て甚だしかった中華思想は見る影もなくなっている。東京や京都もこの方針で治めるしかない。
 東京・京都人は全般が商業習慣で暮らしているため強欲で利己的だ。外部からの解体策には、頑強に抵抗するだろう。しかし商業都市を衰微させるにはわざわざ戦争を仕掛ける必要はない。その指導者を引っこ抜いてなくしてしまうか、住民生活を頽廃させればよい。すなわち東京という中華都市を内部衰退させるには、指導者にあたる天皇をなくし、少子化などを伴い発展阻害の主因になる既存の頽廃風習である性産業を放置すればよい(但し不本意の売春を強制する事は人権侵害なので、法で禁じるべきだろう)。
 京都に限ってはそれなりの規模の大企業の類が幾つかあり、京大も相変わらず全国蔑視するプライドの根拠にしている。企業は政治の強制力を使わずとも相手の弱点を研究し尽くした市場の競争で漸次打破できるだろうし、永続した企業はない。京大も、他大学の研究水準をそれ以上に上げる事で打倒できる。
 京都人が「文化」という多義的表現で言い表したいのは、総じて伝統工芸的な中世趣味を、現代文明より強調する意図だといってもさほど外れていない。現代文明のあらゆる地域には文化があるし、あらゆる文化は等価なので、それが京都のものより劣っているという事は本質的にありえないからだ。つまり京都人のいう「京(都)文化」とは、単なる自文化中心主義に基づく、自慢の類でしかない。自分達のやり方が他の文化圏より上位にあると自己愛妄想する、社会活動全般に延長された中華思想の残滓だといっていい。この点は無視すれば十分だろう。イギリスも似た事をいうが過去にすがっているだけだ。