2020年10月9日

日本学術会議任命拒否事件を巡る法文「任命する」正統解釈論

日本学術会議(日学会)任命拒否事件で、宇都宮健児氏(元日本弁護士連合会会長)が法文「任命する」の記述は任命権を定めたもので、任命拒否権はないと解釈すべきと常識的観点を述べていた。特別法は一般法に優越する原則、及び、1983年の中曽根総理による国会答弁からも、これがこれまで日学会任命にも使われてきた法解釈だろうと思う。

 他方で、宇都宮氏と同じ弁護士の橋下徹氏は、「内閣には民主的統制の為に任命拒否権がある」とする解釈を行っている。更に宇都宮氏が続けてしたツイート(「任命拒否の具体的理由をスガ首相は国民に説明せよ」「国会に諮らず重大な解釈変更は許されない」などとするもの)橋下氏は引用し、「宇都宮氏は任命拒否権はないとする解釈を変えた」と橋下氏は畳み掛けていた

 この部分について思うのは、橋下氏の任命権・任命拒否権の解釈が、法学的に偽さもなければ異端学説なのは確かではないかと思う。
 凄くひねくれた見方すれば橋下氏の解釈になるかもしれないが、法文「任命する」に拒否権が含まれるとか聞いた事ない。憲法15条の公務員選定罷免権を引いてもだ。

日本国憲法 第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

しかも宇都宮氏が法解釈を変えた、というのも唯のレッテル張り詭弁術の類で(そもそも橋下氏は『図説 心理戦で絶対負けない交渉術』の頃からこういうスラップ的手法が得意)、普通に読んで宇都宮氏の「任命拒否の具体的理由ない」「国会に諮らず解釈変更は許されない」ってそういう文面ではないだろう。
 
 それで眺めていたら、日学会民営化論者である所の池田信夫氏が、橋下氏の異端的解釈を踏襲し、宇都宮氏の常識的な法解釈にやはり同じレッテル張りをしだした。この時点でこの人は、目的完遂のため卑怯な手をなんとも思わないか、法学に疎いかいづれかだ。
 更に池田氏は、内閣法制局が1983年(任命拒否権がない)と1969年(任命拒否権はあるが普通はしない)で矛盾した答弁をした点から、1983年の答弁を違憲だとし、自らの異端学説らしきものを糊塗していた。

 内閣府大臣官房長の大塚幸寛氏は「解釈を変更したということはございません」と国会答弁した。東京新聞は加藤勝信・官房長官が認めた日学会法について安倍内閣と内閣法制局が「解釈を確認」した2018年に、解釈変更の可能性があったと指摘している。

 全体を見返すと、次の様な事が恐らく陰で進行していたのだろう。
 安倍政権は日学会の学者の一部が、共謀罪や戦争法に反対していたので、何とか弾圧できないか方法を探っていた。それで「任命する」の法解釈を橋下・池田式の拒否権を含むものとできないか水面下で確認していた。法制局は安倍政権で常態だったよう法の良識より権力を忖度し、任命拒否権があるものと解釈できない事もないとしたのではないか?(参考:内閣府・日本学術会議事務局『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』2018(平成30)年11月13日
 安倍政権下でこの部分は裏技として隠蔽されたままだったが、当時官房長官として事態を見ていたスガ氏は、自らに権力が委譲された為、順行したのだろうと予想される。もしこの説――安倍政権の水面下で検討されてきた特定学説弾圧目的での任命拒否権を含む法解釈説――が真だったら、法制局が「解釈変更していない」とする理由が謎のままだ。即ち官邸の独断でやったか、そもそも法制局の法解釈が、橋下・池田式の異端でも行けると踏んでいるかだ。

 橋下氏も日学会民営化(会費運営)論者でもあり、総論として日学会攻撃に世論を煽動したいと見えるのだが、同時に、スガ政権には「任命拒否の理由説明」さもなくば「非を認め軌道修正」を求めると、僕がみるに理屈の立たない事を言っている。
 橋下氏の異端説だとそもそも任命拒否は合憲なのだから、「個別の人事コメントは差し控え」「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点から」任命判断した、というスガ首相答弁で、建前ではあるが理由説明にはなっている。要は従米政策に不都合な学説は個別には認めるが政府機関には要りませんって意味だろう。
『橋下徹氏とスガ義偉氏の確執は維新勢力の一巻の終わり説』で分析したが、橋下氏の謎2択は、法律論として自家撞着を含む政局論になってしまっており、単なる恫喝的その場限りの法解釈で一貫性もたせていないのは橋下氏の方という事になる。

 池田氏も、「法解釈を(内閣が)変えたと認めないから、答弁が矛盾し混乱する」といっており、これもある意味で非論理的だ。池田氏は1983年答弁が(公務員選定罷免権から)違憲で「任命拒否権はある」とするのだから、現スガ内閣答弁の方には矛盾した所はない筈だからだ?
 大塚官房長は「推薦のとおり任命しなきゃならないというわけではない」「任命制の導入以来一貫」「解釈変更はない」とし、スガ首相は「過去の国会答弁は知っているが時代の制度の中で、法に基づき任命している」とした。つまり1983年答弁が違憲なら解釈変更したのは中曽根内閣という事にならなくもない。
 この部分の論法は、確かにスガ氏側が「でも1983年の解釈が合憲で、あなたがた安倍・スガ政権の解釈が違憲という可能性もありますよね」と責められたらどうしようもない齟齬なのだが、池田氏は異端説なのでこの論点を取れない為、彼はいってる事がおかしいと思うわけである。つまり池田氏もご都合主義で、合憲・違憲を自分の日学会民営化論に合う目的で適当に使い分けているにすぎず、究極の所、法解釈を厳密にするという誠意が欠けている。だから僕は池田氏は詭弁屋だと思う。橋下氏がそういう訴訟を得意としていたのは周知だけれど、池田氏もその種の法哲学の異端だと思う。

 他に重要な観点を取った人が川勝平太・静岡県知事だった。彼は「(日学会推薦者の)学問がなっていないなら任命拒否に尤もな理由」とした。これは任命拒否権を含めている法解釈なのでやはり偽または異端だと私は思う訳だが。学問が成っているかどうかなんて究極不可知だからだ。

 総じて、僕がみるに、宇都宮氏の法解釈が最も正統的で、彼は民主的統制目的での憲法1・3・4・15条解釈論をしたのではなく――つまり橋下氏が揚げ足取りでやった、天皇と公務員選定罷免に国権の別あるだろうって意味ではなく、法文「任命する」は一般に拒否権を含まない、と並の法解釈をしただけだろう。

 だとすると、ある種の特権性をもつ公務員団体・日学会に、陰に陽に反感を覚えている一部の恨み節的な民間人らが、機をみて雲集し、橋下・池田氏式の異端的な法解釈で無理に、日学会側を貶めようとしているだけだと思う。
 私とか国立大すら民営化せよと自由至上主義側なんだが、橋下・池田氏は卑怯だ。もし日学会を民営化したければ、その場限りの詭弁を弄さず、正統的法解釈の元、後世からみても恥ずべき一点の曇りもない正論でそうすべきで、悪意ある法解釈さえすれば内閣は人事上、思想弾圧的に都合よく誰でも任命拒否できるんだとか嘘をついてはいけない。そういう不正させて法を利己に使うとか論外。
 また川勝氏は、誠意を持って内閣の学者弾圧に堂々と立ち向かっている点は全く正義の振舞いだと私は思うけれども、孔子は「学は及ばざるが如くす」と知的謙虚さを学ぶ姿勢とした様に、学問が成っているか常に自分の絶対的不知を自覚して進まないと、専門外で思わぬミスを犯す。ここでいう任命拒否権は法的にない。憲法15条の公務員選定罷免権って内閣に与えられているものではなく、国民固有の権利とされている。だったら内閣を辞めさせたり、その内閣の任命する日学会員の特別公務員を辞めさせたりは国民に与えられている固有の権利ではあるものの、内閣自体にその様な根拠法文はない。憲法65条に定める行政権の拡大解釈だと思う。

日本国憲法 第六十五条 行政権は、内閣に属する。

 1983年の国会答弁は、1969年のそれに比べ、日学会法7条2で定める「会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」の法解釈で正しい。任命拒否の可能さを記述してある箇所ではないからだ。1969年答弁は推薦制導入以前のものだ。

特に池田氏の法解釈は、この意味で極めて(法学的に、事情を知りながら行うという意味で)悪意に満ちたものといわざるをえない。もし悪意なく行った法解釈としても、尚更、公務員選定罷免権と、行政権とを自らの恣意で乱用している解釈であり、法学徒の反面教師というべきだ。