2020年8月23日

BTSの分析

BTSなる韓国の歌舞集団を、FNS歌謡祭とかいうのに呼ぶな、とか、ネットの右翼なり有象無象がいって軽く炎上してたので、このBTSなる存在について結構掘って調べた。その自分なりの見解について以下述べる。
 先ずこのグループの音楽性は語るにおちる程度のものだと私には聴こえる。歴史に残る事はない。私は音楽マニアの部類で、かつ感受性も甚だ鋭敏な人物だが、かなり広範に聴いてみても、どれ一つとして音楽自体に感動する事はなく(それ自体が驚きだ。どれもこれも聴いても苦痛でしかない、通俗米国音楽に幾らか似せた、劣化版――要は既に使われてきた楽式形式を模倣的に踏襲している状態の――JPOPみたいなんだから)、単純に宣伝工作が功を奏して売れているにすぎない。ただ音楽とは別要素として、MV上で軽いドラマを演じさせており、これが韓流ファンと同じ層を巻き込んだ可能性がある。しかし青春模様を演じている割に、僕みたいにガチ男子校で、周りにいたのも明らかに、作り物っぽいBTSの顔形や演技より本物の男性ら(美男子の質ももっと上)だった側からみると、彼らの青春演芸は偽物だ。「いかにも青春にみせようとして演技させている歌舞アイドル」ものと、「本当に青春を全力で生きていた或る男子校辺の青少年のみていた底抜けに生き生きとした溌剌な思春期」を比べて、前者の方が美質に満ちていると思っている人々は、いわば偽物のブランド物に騙されて本物の青春を知らないのである。MVを網羅的にみていくと、途中でその青春モノ(花様年華)期に入るが、偽物臭さを現実に感じ取れる人は、本当に青春を生きていた時期がある人だ。逆にそこに青少年ぽい青春らしさを見てとる人々は、当人、又は身近でそういう光景を経験した事がない人だろう。本物の味を知る人は偽物の味に感動しない。恐らく彼らBTSは忙しくて本当の青春を送っていないのだろう。もし送っているのなら、その種の商業的色彩を持つ演技なんかしていないで、自分達が実際にその現実を生きているだろうし、もしその一部で仕事として演技させられていても、あれほどの偽物臭さを発生させられなかったのではないかと思う。裏返すと、音楽としては平凡極まりない彼らBTSの演技の中で、半分ドラマが入っているMVに脳をしてやられたファンがいたとすれば、いわば妄想の中で青春を送っている男子校生的な世界を思い描き、それに彼らをあてはめてみているのではないかと思う。が。僕は現実にそういう仲間で生きていたから笑える。
 僕から見ると「いやいや。もっと凄いから。本物は」としかみえないのでして、実際に僕らが磐城高校とかいうキチガイ男子校以来してたリアル系青春でしかない模様(当人達は本気で面白おかしく生きていた)からすると、もっと度を越してハチャメチャで、気の狂い方が全然足りず、BTSのほうは唯の不良ごっこにみえる。大体、BTSさんたちは最初のMV『NO MORE DREAM』からして不良っぽい演技をしている。僕はこういう不良ごっこする男どもというのが世界でも最たる侮蔑対象である。なんでかなら、先ずかっこつける方向性が間違っている。優等生側でかっこつけて。本気で勉強や運動とか音楽とかで。それが本当に偉い男子だ。くだらねー音楽MVだから貼りたくもないが敢えて貼っておく。これ。ま、本当に悪趣味。こういうのを格好いいと思わせてしまうという彼らの欠点は、もうこの初作品から如実に現われている。ま、しいていえば勘違いした不良ですね。どんだけディスってやっても足りない存在だ。アンチ学校、そのコンセプトは分かる。なぜなら僕もそうだったから。しかし僕らは全く別の方法で硬直的学校制度や、既得権と絡み合っている大人社会なるものに立ち向かっていった。それは「最高の優等生」を極め尽くし、大人顔負けの成果を挙げまくるという正攻法である。但し美術の分野でだったが。が。このBTSは確かに商業大衆音楽としては結構売れたのかもしれないけど、残念ながら、この不良ごっこでかっこつけるという本質的欠点は、今日まで議論がみられるよういよいよ拡大して行ったのである。それこそ防弾少年団のチョッキぶっている偏執狂的ファン集団ARMYらの持っている反社会性に繋がる。彼らのその欠点(かっこつけ不良ごっこ)が徐々に現われてきたのは次の事例だった。スタイリストがもってきた単なるファッションの中でだが、メンバーRMがナチスマークの帽子をかぶる。更にはホロコースト記念碑でこれまたかっこつけポーズをとる。いわばネオナチポーズの類がかっこいいと勘違いしてる。

 同様のある種の政治的正当性への無遠慮さに基づく、勘違いかっこつけの類にみえなくもない服飾趣味ポーズとして、原爆Tシャツ着用に続き、キノコ雲ブルゾンのRMによる2015年公演用MVもある。『KPOPの総合批評』の末尾部分に自見を書いたが、韓国史に照らすと、キノコ雲の解釈は「(悪辣かつ傲慢な侵略者・日帝からの)祖国救済」との側面もあるので、いわば政治批評が篭もっていたとすれば興味深いが、ナチスへの安直な言及の仕方と照らすとそれも疑わしくなってくる。そしていよいよ彼らのこの政治的無遠慮さが感極まったのは、次のライブであった。『SEOTAIJI 25 TIME : TRAVELER』のClassroom Ideaとの曲の演技だ。(短縮版アーカイブ
 確かに学生服と合わせて硬派でカッコイイかもしれない。が流石にカギ十字風は問題ある。(カギ十字風にみえなくもないマークの詳細

 そしてこれで、それまでも原爆Tシャツ問題とかで諸々疑わしい点があったのもあって、サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)に激おこぷんぷん丸どころか、ガチ切れされた。そりゃそうだ、ユダヤ系からみたらそもそもホロコースト記念碑の前でかっこつけポーズを取る時点で、既に政治的文脈軽視の傾向はみられた。だが日韓問題に限ってはまだ我々日本人も一当事者だから「うーん。まぁ見方によっては原爆投下が正義という国連側の意見の一部なのかなぁ、コレア解放だぜっていうTシャツも」ってなりうるけど、ナチスがユダヤ人虐殺した象徴的意匠をさも彷彿とさせるまでまねて、それは問題ないっしょ、と流すのはやばいレベルである。しかも彼らは国連演説までしてたのだから、国連(旧連合国)的な戦勝史観に、間接的に喧嘩売ってる事にもなるだろう。

 上述SWCのエイブラハム・クーパー氏の批評が最も的確に彼らのこの欠点を突いている。
「過去の記憶への中傷を余りに快適なものにしている」「結果、韓国や世界の若い世代が、偏狂と不寛容を生み出す事を『格好いい』と感じてしまいかねず、更に歴史の教訓を消してしまう一助にもなりそうだ」
結局、単なる一KPOPグループではなく、彼らの演出は内部的にネオナチ的色彩を持ってるのだよと、反ユダヤ主義監視団体名義でクーパー氏はまっとうに指摘してくれている訳である。これこそ、最初から彼らの不良ごっこ歌舞の本質に隠れていたヤクザ性が、遂に公然とした形をとりだした時の社会の反応だ。茂木健一郎氏が、彼の輸入学府的基底によるもっと通俗的な米英崇拝の面から「米国や世界での人気者BTSがFNS歌謡祭への出演はいいことでしかないでしょ」と囀ってかなり炎上した。彼はBTSの「軍隊 Army」がトランプ集会を具体的に妨害するまで増長していたのも知っている筈だ。

 寧ろ、こうともいえる。BTSなるものはそれまでのチャラチャラした軟派なKPOP王道に青春モノ(花様年華)期で回帰してしまったが、元々は上記初MVのよう地下風の不良音楽を志向していた節があり、この内部原理が端々で漏れ出していたのが、いまだに解決されぬままで商業音楽として大衆性を獲得して行ってしまった。初期段階で悪党(反社会的カルト集団)の芽を摘む必要がある、という判断に限っていえば、FNSへのBTS招聘批判や茂木氏へ数多の反論を並べ立てている一般右派の部類は、一部の良識派ARMY含め、決して早まった判断をしている訳ではない。現にネオナチ系歌舞集団としてユダヤ系団体にも目をつけられている。万が一手放しで賞賛し続けた場合、BTSの初作から割と根底で一貫している不良ごっこ系のワルノリ部分は(いってみればロック仕草なんだが、それが熱狂的ファンとの連携で現実政治的側面を伴っているのが特徴)、最終的には集会妨害など権利乱用へ多少あれ影響したよう、狂った若者を暴徒化させうる筈だ。もっというと、BTSを除いて、現実の政治行動を若い歌舞アイドルファンが自発的に連携して行った例って先ず聴いた事がないので、影響力が甚だあるのは確かなのだが、それが決して公正な社会正義に向かっての熟慮を経たものではなく、単なる若気の至りの精神的幼稚さや、未熟な歴史観として現われている。もしかすれば、特にRMさんには当人自身に深い内省があって、なんらかの愛国主義への憧れから、ハーケンクロイツやらホロコースト記念碑やら原爆キノコ雲やらのモチーフを意匠に、いわば思想・良心表現上の意図でとりこんでおり、それを我々が理解を伴って消化し、歴史化しきれていないだけかもしれない。
 現時点までで言えるのは、政治的な結束主義または戦時暴力の肯定に近いBTSの一部服飾や演技は、それらの傾向を否定する思想・良心の持ち主には反発を呼ぶ余地が十分すぎるほどある。この政治的正しさとの戦いが彼らが今後、芸術家として音楽界で生き延びるかの鍵でもあれば決定的分岐でもある。もしRMさんらがそれらいわば或る新保守さまたは一部の戦時暴力肯定の音楽化に完全に成功したならば、確かに反ナチスのユダヤ系団体、原爆被害者らからのよう大変な反感や怨嗟を買う面もあるだろうが、一般的な歌舞伎団体とは全然違った文脈になるだろう。真正右翼系アイドル音楽家というか。それはそれで何らかの強いカリスマ性を獲得するに違いない。だが彼らのこれまでの音楽は大衆的商業性を伴うものだったので、売れる為には、客を当然の如く敵・味方に何分割かする政治色を抑え気味にしてきたろう。彼らが今後もKPOP通例のグローバル市場適応戦略ノンポリ路線で行くなら、単に平凡なKポッパーと同じく当たり障りのない愛だの恋だの青春だのの歌をうたい踊って、ファンにカネ貢がれて消えていくのかもしれない。それが幸福なのか。

 思想的に尖っているという事と、政治的に不正あるいは不良であるという事は決して同じではない。釈迦だろうがイエスだろうが当時の思想的には大変な前衛だったが、そして当時の政治・宗教界では凄まじい極左(急進的革新派)だったろうが、一詩人として今日まで影響力を残しているので芸術性は高かった。BTSの場合、単なるファッション上の悪趣味の部類にみえる尖り方で、しかもそれが同時に政治的不正さ、不良加減を幾分か伴っていると解釈されるのが特徴だ。これは次世代から見たらネオナチかっけー、右翼最高となっている時代がきて好評されるか、逆に最悪の馬鹿だったと軽侮されて終わるかもしれない。
 考えられる可能性としては、RMさんというメンバー1人が特に何度も同じ炎上事案を起こしている風にもみえるから、この人が排除されて、他メンバーだけでもっと非政治的な大衆音楽で金儲けさせられる様に体制が変わるかもしれない。事務所側としては当然そうしたいでしょう。飽くまで商売面が大きいので。若者音楽は、一般に反体制色、又は大人社会への反抗色を伴う。それは新しい世代からみたら、生まれ育つ文化環境が違っていた過去の世代が理解し難いからもあるし、若者一般がまだ精神的に未熟で、複雑な世の中の学習が不十分だからもある。無知であればこそナチスや戦時暴力を安直にお洒落扱いできる。だがBTSの無知さは、プロデューサーらの意図の下で演じられている無知である。この点はクーパー氏も指摘している(前述声明中「この集団の経歴をデザインし宣伝する人々」)。まだ世間知らずの男の子を使い、熱狂的ファンの若者一般に、過酷な集団虐殺の正当化を暗に行わせてしまう。なるほどそれは周囲の大人の責任でもある。だから要注意集団なのは確かだろう。