『外観主義評価は心の価値をより高く見積もる日本人倫にもとる、おもに東京大阪など軽薄自治体中心の業』で、「不細工」と他人に面と向かっていってるやつ関西人しかみた事がないと書いた。
一方で関東だと「ブス」という言葉は他人の外観に使う事がある。しかし思うに面と向かってではない。少なくとも僕の過去の全人生は旅行と高校を除けばほぼ首都圏のうち東京~北茨城間で営まれたが、一度も面と向かって他人にブスっていってる人みた事がない。
いうなら余程の虐めっ子か、自虐ではないか? 関東(一都六県)圏あるいは首都圏(首都圏整備法の定義によると関東+山梨で一都七県)の風土だと、あの下賎な東京ですら他人に面と向かってブスっていってなかった様な気がする。都内でそういう言動してるのはやっぱり関西人だったと思う。特に大阪か京都出身の吉本芸人。ネタのつもりで酷い事言う。
関西人一般は南関人一般(南関東の人達。具体的には東京・神奈川・千葉辺りの人達)と同じで、驕りが激しい。大都市化して低知能な下流がふえるのと、天皇が住んでる間に中華思想がうつるからだろう。それで自分達を上方だとかほざいて自文化中心主義に耽っていた。けど僕からみたら超絶下衆の世界。
東京は全国の掃き溜めとよくいう。その通りだから仕方がない。それで彼らは一々どこの出身でどういう習慣かとか確認してない。しかし僕は子供の頃、全く環境が違う場所で生まれ育っており、外部者の出入りがまれであった。その感じからみると誰がどんな特徴を持ってるかってとても際立って見えるのだ。それで自分はどんなひとでも一体この人はなんでこういう個性を持ってるか(どれもこれもいびつなのだが)と注意深く観察する。
関西人一般のうち特に京阪神地方(都市部)の人々が頻繁に、外観主義で他人を公然と差別して恥じないのは、彼らが新渡戸武士道流の精神主義を持ってないからだと思った。
こうともいえよう、京阪神地方の都市部の人々は、心の価値の方が体の価値より上だと一般に思っていないと。そうでなければ、「ブサイク!」とか他人に言う筈がないし、僕の目にはそれ公然と言ってるやつ(京都人か関西人)が人として最低だという風にしか感じなかった。本気で。黙っていましたがね。しかし東京は雑多なのでそういう関西人もしばしば混じっている。一々出身みてないと余計分かり辛くなっており、関西訛りで分かると。しかし、この「不細工」と他人に面と向かって言う(随分と下賎に感じる自称上方)ミームで、自分としては強烈な違和感を感じるので、関西出の人かな? と気づくのだ。
全く同じ観点から、僕が新宿を一人で歩いてて、神経が疲れたかなんかで眼鏡はずしてわざとみえづらくして歩いてたら、「イケメン!」といわれた。通りがかったギャルみたいなやつに。これも猛烈な違和感を感じた。なんで赤の他人にいきなり顔ほめてんだか貶してんだか道端でいわれなきゃならないのか。僕はドラクエ4やりまくった頃からめがねっこなので、思春期でかっこつけていた高校~美術予備校の時を除いては眼鏡かけている。然るに眼鏡外してるとそのギャルみたいなやつ含めて少なくとも3人くらいに直接、間接ならもう1人くらいに遠回しに、顔がいい? みたいにいわれた事があった。1人は隣の女子高(磐女)で一度も話した事もないのに告白してきた人。1人は専門で知り合った年上女性。1人はさっきの新宿路上のギャルみたいなやつ。で、姉の友達が間接的にカッコイイのに勿体無いとかいっていたとか聴いた気がする。僕がおうちで勉強してて一体何が勿体無いのか知らんが。あ、よく考えると自画像にイケメンといったやつもいた。今もツイッターDMで話す或る奈良女。これが自分の認知した全てだが、5人くらいいた事になるであろう。
しかしである。私がそれらを聴いて嬉しかったかといえば、「?」である。なぜなら自分は自己評価が低いからだし、一人たりとも信じていない。という事は、イケメンイケメンいってるやつら、まぁカッコイイでもなんでもいいが、他人を見た目で褒めてるつもりのやつら。それ相手によっては、全然嬉しくないのである。少なくとも僕は見た目云々されてこいつら馬鹿じゃねえのかと軽い軽蔑感を感じる。少しより知性ある男性なら必ずそうなると思う。
じゃあ「不細工!」であれ「イケメン!(カッコイイ!)」」であれ、外観について他人があれこれ指南だか評価だかして、言われた側がどう感じるかといえば、知性が一定よりあれば確実に不愉快だって事。そんなの言わないほうが得策ではなかろうか。だから僕は他人に外見であれこれ言った事がない。