昔、三島由紀夫っていう気違いがいた。あれは英語でいってクレイジー、日本語訳でキチガイといっていいと思う。因みに僕はキチガイという言葉をこの英語の語感、特にアップルCMのそれに近い意味で、基本的に褒め言葉に使う。
小学生の頃、野中君ちでPS1のリッジレーサーをやっている時、逆走だかなんかするとユアークレイジー! とナレーターが嬉しそうに語ってくるんで、憶えた。小学校で貰った辞書引いたら気違いじみた、と載っていたのだ。
三島の何が気違いだったかといえば、あの割腹自殺であろう。
参考:三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で行った演説
三島由紀夫 『檄』
なぜ三島が切腹したか? 今の自分の目には、彼は米軍の傭兵状態に陥りかけていた自衛隊を、自民党批判しながら決起させたがっていた様に読み取れる。三島の号令で国会占拠でもして軍事クーデター起こし、米スパイの岸信介らが流れをつくった米軍傘下での安保法制を破棄したかった、それで日本を軍事独立させたかったのだろう。
しかし現場の様子をみると、誰も呼応しなかった。調度おもな部隊が演習で遠出しているのを知らなかった三島が、滑稽な狂人扱いで「降りて来い!」等と自衛隊員らから罵倒されまくってる現場動画をユーチューブでみれる。
この後かれはしなくてもいい切腹で下手介錯され死ぬ。
三島は常陸国宍戸(今の茨城県笠間市)を治めていた松平頼位の三女・松平鷹と、三河国奥殿(今の愛知県岡崎市)を治めていた松平乗尹を先祖に持っていて、これを根拠に自分を武士に同一化する様になったと思われる。
そして彼の皇国史観はほぼ水戸学、特に祭政一致論と一致しているといえるだろう。
もし三島が生きてたら95歳でぎりぎり残存してた可能性がある。いづれにしても安倍批判しまくっていた事は確かだ。米軍傭兵化を更に強化する集団自衛権の肯定(新安保法制、通称戦争法)とか、加憲ぶって自衛隊を米軍の要請で海外に出兵できる改憲論とか。三島の考える軍事独立とは似て非なるものだ。
要はこういう事。
三島は武家政治の伝統、中でも後期水戸学の原理に返ろうとした。これを指摘した識者が過去いたか自分は知らないが、確かな事である。三島の行動原理は、いわゆる急進的な尊皇攘夷派だった天狗党と全く同じ物だ。皇道派も参照した天皇親政による維新、軍事クーデターを狙った。
東京新聞コラム(昭和45年11月25日)にあるよう当時、自衛隊員は既にサラリーマン化、今の言い方でいえば社畜・国畜化していたので、自らが食う為の国家公務員体制に、大胆な変革を狙う三島を、まるでしっちゃかめっちゃかにきこえる御託演説からひきずり下ろそうとした。天狗党処刑の悲劇から何度も繰り返された、保守の構図である。
僕と同世代の文壇には平野啓一郎というひとがいて、三島の再来とか新潮社が銘打って京大生の箔つけたコネで売り出した。それから随分経つが、平野氏には三島にあった上記の政治思想はかけらもない。一体、初期の彼が三島三島と叫んでいたのはなんだったのか? 衒学的難読漢字使いの意味だったらしい。
こうして見直すと三島の政治的要素はとても単純である。血気に逸った天狗党の自訴、処刑とほぼ同じなんだから。何か違いがあるとすれば自分で切腹できただけだ。
ではなぜ僕がここで彼を気違いと表現したか?
それはその種の思想的伝達のしかたを完全に間違えた、演技性の狂態が彼の最期だったから。
僕が中高生の頃読んだ『仮面の告白』からはじまって、作家としての三島を自分は全然評価していない。どれも変態じみてて今の人ならLGBT文脈で好評すんのかしらないけどみなが褒めちぎる文体も、全然巧いと思えない。ジップ則で出現頻度ひくい漢語混ぜるとかすごく初歩的技法で、僕には幼稚でしかない。
大体三島の文学の趣味ってのは酷く悪い。いわば清心さがないので読んでて気分悪くなるし読後感も悪い。三島で少しは趣深い点がまじってるとすれば『若きサムライのために』みたいな随筆の方だ。こちらは口語体に近いせいで軽妙な文体になってて、読んでて時間ムダになる事もないし内容も斬新なほうだ。
しかし『不道徳教育講座』みたいに、彼特有の純粋な悪趣味さがここでも遺憾なく発揮されている。常識破りがカッコイイと勘違いしてる中二病(つまりは精神的な幼さ、不良ごっこ)は初期から一貫してるんだが、性にまつわる悪徳を石原慎太郎ぶって褒めるみたいな面は彼の尊攘主義と矛盾をきたしている。
じゃあ革命家あるいは政治思想家としての彼はどうだったか? 正直、藤田小四郎より遥かに悲劇度が低い、しょぼい最期だったと思う。尊攘掲げて民兵混じりの軍を率い、革命に突進する点は同じだが、如何せん三島は死ぬのが早すぎる。生き延び国会占拠に何度も挙兵し直すとかならまだ意義あったと思う。
なぜあれだけ三島が死に急いだかだが、そしてあれは本物の水戸学だったら「匹夫の勇」であって、途中で天皇へ仕える職務放棄してる事になるんだから当然アウトなんだけれども、つまり小説家としてのナヨナヨしさが出てるのだ。当人は益荒男ぶってたけど。飽くまで戦い抜く覚悟がなく演説一発目で挫折。
思想面で相似の革命家だった藤田小四郎の方は、尊攘軍率い限界まで善戦続けていた。最終結果は頼りの主君である慶喜に投降した。で処置引き受けた田沼に斬首されてしまう。慶喜は田沼がそこまですると思っていなかった(『昔夢会筆記』)。忙しい慶喜は処理を田沼に任せたあと一切ノータッチだったらしい。
簡単に切腹して責任取る、この覚悟をみろとかいっても実際に国会占拠してないんだから軍事クーデター失敗者としてあの世に逃げただけ。小四郎式に限界までやってないでしょ、と。
三島が切腹で逃げたせいでいまだに我々は純粋売国奴(笑)の安倍と戦わなきゃならん。米軍犬がまだ自民に巣食ってる。
しかし自分がここで言いたいのは、三島の最大の失敗は、自衛隊員を彼と同じだけ急進的尊攘論に一瞬で染められると謎の愛国妄想もっていた事である。そんなのあるわけがない。だから天狗党も単に地元でだけじゃなく、あれだけ東西間の方々で弾圧された。当時は尊攘的愛国主義こそが急進左派だったのだ。
トランプは特有の傲慢なケチさで在日米軍も在韓米軍も、とかく極東の軍事拠点を手放したい筈だ。だから三島以来の悲願というべき軍事独立には好機のはずなのに、なぜか安倍というアメポチ系長州閥が、安保じいちゃんの罪滅ぼしネタで米軍傭兵化へエセ改憲しようとしている。戦争法まで作っておいて。
もし三島が現役で生きてたら、安倍を倒せっつって。国会前でがなりたてていたと思われる。それはそうでしょ。シールズより三島のほうが極右でありながら反安倍だったでしょ。ってことは安倍晋三は、左派にも右派にも真の敵であって、中道からもマスクの件で総すかんされている。誰が味方なんだ一体。
ソクラテスもイエスもそうだけど、革命家ってのは失敗すると大変惨めな目にあうもんだ。ナポレオンも島流しにあった。慶喜公は大政奉還と無血開城を成功させたわけで禅譲伝説を世界史に実在人物として記録した点で全人類で最も偉大な為政者の第一人者と間違いなくいえるだろうが、三島は無駄死にだ。
新渡戸『武士道』に、義公の言葉が出てくる。「生きるべき所で生き、死ぬべき所でのみ死ぬのが真の勇気だ」と。これは『葉隠』「武士道とは死ぬ事と見つけたり」の脱構築だといえるが、要は義公は山本常朝の匹夫の勇を批判的に時空超えてのりこえ(というか過去に於いて義公は既に犬死にを批判済みで)、大義の勇を尊皇の義のみに定めた、日本思想の革命家だったわけだ。
じゃあ天皇からみて三島の死に意味があったか? はっきりいって意味不明である。先ず以て天皇の為になってない。確かに知的次元で、抽象的に国体(会沢安『新論』が初出)の回復を図ろうとしたとはいえるだろう。軍事独立はその手段だよと。でも結果からみたら天皇は米軍に保護されてる子飼いである。
もし戦後に米軍が、天皇を間接統治の操り人形として維持してなかったら、今ごろ全共闘などで学生が勝利、国会占拠し、一国二制度になってた可能性が0ではない。天皇はいわば米政府の手先になる事で、保身をはかった。戦争責任回避しただけじゃなく戦後民主主義流布と赤狩りにも一役買ってきたわけだ。
三島が本気で、嘗ての水戸学者級の尊皇主義者だったかといえば大変疑問がある。戦時中に陰で天ちゃんと呼んでいたとか、文庫版『若きサムライのために』の後ろの方に収められた対談かなんかでてくると思う。薩長式の天皇機関説の立場にもたっている。三島にとって、天皇は道具的な抽象概念だったのだ。
という事は? 三島演説で語られる天皇も、やはりその文脈にあり、要は彼は革命家としての演技をして死んだ事になる。それでみててどこか嘘っぽいわけである。
彼の小説読んだら分かるけど全部うそ臭い。自分の人生を小説化しようとかっこつけて死ぬものの、今からだとネトウヨ発狂にしかみえない。
自衛隊員がなぜ挙兵しなかったか?
それは三島のその演技をどことなく感じ取っていたからだと私は思う。楯の会の隊員らは森田必勝は切腹したが、その他の人々は殉死とかクーデターとかその後起こさなかった。三島の独白で終わったのであり、要は維新志士級の本物の尊攘主義者じゃなかったのである。
三島がやりたかったのは、実は革命じゃなくて、抽象的な天皇論とか国体論とか弄んだ、エセ革命家ごっこである。本気で尊攘したかったら自分から米軍基地に特攻隊したり、国会占拠まで長期ゲリラ戦続けたりした筈なのだ。あっさりと演説一個目で革命諦め自殺。すなわち自殺の言い訳をしてるにすぎない。
では我々が三島からなにを学べるか?
例えば具体的に攘夷成功(この言葉を外人排斥の要素を引いて、現代の文脈風に直すと、自軍自治)したのって、その後の茨城県民が米軍基地おいだしてひたち海浜公園にしたみたいなのをさす。基本は議会での決定で、和平と知的戦術による国事的過程でやればいい。
わざわざ軍事クーデターという非合法な上に犠牲が大きい方法をとろうとしたところが三島の気違いたるゆえんである。途中で筋肉鍛えだしたあたりから脳筋化進み、文武両道(水戸学用語だと文武不岐)だぜいといって最終的には筋肉馬鹿行動して死んだ。武に偏っちゃったわけである。よくあるパターン。
結論としては、三島の志は凄く古色蒼然。それは僕は茨城県の知識人だからああいう志士が沢山いたので地誌の範囲でも存分にわかる物の、かなり時代錯誤ともいえる。皇族が海の王子と東横線内だかどっかでチャラってる時代からみたらそれに忠義! とか言いたくてもいえない段階に入ってしまっている。
今後、安倍が消えてから、恐らく三島の望んでもいなかった方へと時代は変転していくと私は思っている。具体的にいうとあれだけ低俗化したんだから皇族って。遠からず民営化されるに違いない。そもそも人権とも矛盾してる性・遺伝子・身分差別だし。政教分離もできないし。純粋共和国化は時間の問題だ。
そうなってくると三島の死はいよいよ異様なものになってしまう。なぜ無駄死にしたんだろうって。馬鹿だったんだねって。今の時点でも僕には滑稽な死にみえるのだ。当人は何かに本気だったんだろうけど、日本国なんざ消えようが、個人主義や自由至上主義からみたら、ほぼ完全にどうでもいいのである。
三島は恐らく余り、一般知能の類が高くなかったのだろうと私は思う。学業どうだったか知らないけど学習院だった気がする。東大進学しちゃったから高下駄過剰評価されてたに違いない。大江健三郎もそうだけど。箔ブイブイタイプの死後が一番惨めなのはいつも同じだ。現実の賢さって後世には明らかなんだから。