思うに、右派だけを一箇所に集めた方が、彼らの野望が実現し易いわけで、なぜ彼らがばらけて住んでいるのかが謎。なんの事情があるのだろうか?
世界は同類と住む権利があるわけだが、寛容度の高い側を仮に左派とすると、右派は排他的な筈なわけで、排他地域に住まえば一々左派と戦う必要などない。
寛容地域と排他地域に分かれて住まえば、左派一般にも右派一般にも、同じ歴史を共有する必要など基本的には無いのではないだろうか? 左派地域は市場放任傾向の共和政になり、右派地域は国家社会主義的市場統制で天皇世襲支配の政教一致国になるだろう。両方を混ぜている意味が全然分からない訳だが。
私は、寛容地域と排他地域に日本なり或る地域が分かれてから、引っ越せれば寛容地域に住まう。なにせ芸術だの学問だのなんて寛容でなければろくに新たな前衛だの、真理だの理念だのを追求などできないのだから。
ではなにゆえに一々、気が合わない右派一般と接触し、国に迷惑かけられねばならないか。
自分はツイッターだのインターネットなど媒体上でを除けば、東京都民と接触しなくて済む様になってから、幸福度は大分上がった様に思う。東京は自分には地獄そのもので、不寛容だし不埒だし、頽廃的な衆愚社会で、不潔でせせこましいし、空気から水から何もかも汚れている環境からして一切あわなかった。合わない人々から離れられればそれが最も幸福な事だ。自分は媒体上でも極力、東京発の情報公害を見ない様に努める。それ以外で、自分と全く馬が合わない都民全般の下品さから、一々心を煩わされなくて済む方法はないだろう。仕方がない対処だ。
だが、左派国と右派国の間でも話は同じではないか? 都道府県が分かれているのは、おのおの、自分に向いた地域を探しそこに住まうべきだからに違いないと思う。石原、猪瀬、桝添或いは小池百合子などに統治されるなど真っ平御免であり、そんな屈辱に耐えられている東京都民全般が、本物の自虐趣味にしか僕には見えないわけで、それだけ政治風土が違うのだ。もし自分の地域民が、安倍晋三を国政に送りつけていたと想像してみるがいい。山口県4区の10万人余を除けば、それほど禍々しい事態を自分の地域民が引き起こしていると考えるだけで、吐き気が止まらなくなるのではないか? 少なくとも僕がもしその立場に置かれたら、地域に絶望しきるのは間違いない。
国とは、その様に、ある地域民の総意によって作られる仮の共同体で、本来、移動の自由があれば、自分の望む道徳と一致する度合いが大きい地域に住まうべきとなる。そうであればこそ、道徳の総体として或る政治が営まれた時、それに肯定的感情を多少あれ持てる。
安倍信者は自分とは道徳が違う人々だ。
自分はこの意味で、日本国より自分の政治道徳に近い地域に引っ越したかった。もう少しのカネがあり、多言語学習力さえもう少し高ければ、実際にそうしていた事だろうと思う。それだけこの7年8ヶ月は不愉快の極みであり、その間、自分は日本国政を全体として、徹底して憎み続けていたのである。
現実に僕はフランス語を勉強しだしていた。安倍最悪政治の元では耐え難い思いをしていたからだ。拝金エゴイストのトランプだの、ブレグジットで各国の協調と対話を通じた相互理解に逆行するボリスだのも人柄が直感的に殆ど信用できないので、まだフランスやカナダの方が僕の目には寛容度が高くみえた。マクロンとトルドーは単に寛容度の大変高いその政治道徳だけでなく、人柄も、知性も十分に信用が置ける様だった。また明らかに排他主義者らからの差別を煽っているだけでなく、二枚舌で、奴隷状態の移民らにも健康で文化的な生活と、人権的地位を与えない安倍は、完全にこの世の悪魔にしかみえなかった。現地民ともランダムに会話した感じ、どうも軟派師の類が日本をなめている様にしかみえなかった或るカナダ男から透けて見える日本女蔑視観は別に、フランスの方はいわゆる文化的目線を多少あれ持っており、総じて日本をジャポニズムの延長線でみているものの、先進国として認めてはいて大丈夫そうだった。もし自分が、藤田嗣二の様にフランスにでも移民できていたなら、或いは今より幸せだったのかもしれない。だが特に「孝」の道徳が拘束力を発揮しているので、その実行まで踏み切る前に安倍が自滅した。それが世界史にとって幸運だったかはわからないが、僕は敵は常に殲滅するつもりなので日本は助かった。もし僕がフランス人になっていたら、日本の内情を委細穿って仏語で全てばらし、自分を実質的に追放した日本国を少なくとも理論の面から徹底絶滅する事は確かだろう。東京に関してもそれは現にやってきたし長期戦略に基づいて確実に解体していくつもりだ。敵は殲滅しなければならない。手段を問わず。
僕自身は、誰の事をも自分から敵視したりしないけれども、それ故に、向こうから突っかかってきた人間については全員例外なく記録にとったり、記憶に深く刻み、徹底復讐の手筈を整える。そりゃそうだろう。誰の事もデフォで敵にしていない正真正銘の大善人に喧嘩売るなんて極悪人以外ありえないのだから。裏を返せば、自分を優遇したり味方にしている勢力については、自分は最大限恩に義で報いる性格をしており、いわゆるお侍さんと同じたちかと思う。義に殉じる点でも、かなりというか大変に理論派の傾向はあるが、やりきる所までやると思う。つまりは、敵は殲滅するが味方には忠義を尽くす武士的行動原理。この点で、わが県を10年近く毎年貶めてきた東京都のマスメディア一派及びその同調者らは、僕はもう天地ひっくり返ってもゆるされないと確信しているので、なぜなら名誉は死後も残る以上命より重いものだからだが、確実に殲滅しなければならない天敵だ。そして安倍一味も半分はそれに近かったのである。安倍一味はわが県に具体的危害を及ぼす度合いからいえば、隣県もわが市も原発公害で被害の最中も、相変わらず原発推進といって再稼動を強要してきていた。成程これは天敵に違いない。合法的手段によって着実に始末しなければならないだろう。だから常に監視の手を緩めず政権を打破しようとしてきた。が安倍は自滅した。今後も監視を続け残党狩りには殲滅完了まで徹底する所存だが、原発公害が治まった訳ではない。わが県域も、福島県域もいづれも平和と繁栄が帰るまで、安倍一味も、彼を盛り立てていた山口県4区民10万人余も、無論自民党員も凡そ例外もなく天敵と呼ぶ他無い。向こうから喧嘩売ってる。こちらが危害為すつもりがないのに、向こうから危害を為してくる人間とは、いわばこの世の悪党の類で、それは叩き潰さねば被害が終わらない事は火を見るより明らかではないか。したがって自分はわが県、隣県に公害をもたらしている勢力は全世界のどこに逃げようが許さず殲滅する。これは人道の義務だ。
天敵にあたる原発推進の右派だが、これは分散していると叩き辛い。つまりはまとまって自民党など悪党を形成してくれた方が、政略次第で簡単に除去できるのだ。だからいうのである。右派だけの国を作ればよいと。そうすればそこを権力闘争で潰しさえすれば、被災中のわが県と隣県を確実に救えるのである。