2020年8月22日

18才の自伝 第二十六章 人体美術論

『18才の自伝 第二十五章 デッサン修行』の続き)

 本当はデッサン修行中の詳細についても書いたほうがいいのかもしれない。さもないと後世の人がいかに自分がアカデミックなデッサンの基本原理を得たか、詳しくはわからない。再現性がないままだ。それについては別項目にまとめないと、18自伝自体の趣旨から逸れる上に膨大になりそうなので、『アカデミックなデッサン流儀』とか題した本をいづれ書くかもしれない。基本原理は既に『デッサンからの絵画論』(2003年、私家版小冊子)に記したので、世界で計5冊ある筈だからそのうちどれかを手に入れれば、どんな人でも、なぜアカデミックなデッサン流儀を身につけた人々が、物をさも事物そっくりに写実的に描けているか、理論的に把握できる。そういう目的で書いた。

 大体、夏に入るか入らないか頃、前章でいう『女性の習作』を描いた後くらいだろう、僕はどういうわけか、というわけでもないが、この章か次で書くが下宿で地獄をみたのもあって心身ともろくに休めず、結局あるモデルを描く時にお昼前くらいにどばたアトリエに着いて、時間が足りない中で、クロッキー帖にはエスキースといって通常は構図を決める為に簡易的に描くのだが、残り時間がないしで、ぱっぱとそれまで得た理論でデッサンをした。
遠くを見る人物
2002年
紙に鉛筆
21 × 24 cm
作家蔵
でこれでほぼ完全に自分は、写実画の基本理論を身につけたとの実感を得た。隣にいた2浪生ぽい男が、横から眺めていて驚いた様に「巧い」と呟いていた。ここからが自分が独特の所なのかもしれないけど、理論が完成したのでそれを使って自分には何度でも典型的写実画を量産できるし、更に技術的に写実主義を(速描とか省略とか副次的要素の面で)洗練させていく事もできるわけだが、もうわかってんだからこれ以上やる必要はないと感じ、以後写実を離れた。

 どうでもよさそうなディテールも書いておくと、一応、担当の講師ごとにクラスみたいなものがあり、僕はI(先生の)クラスだったが、その2浪生もそこにいた。一度も話した事ない。当時、ドバタの指導内では興味の対象を探る為なんだろうが資料集を作ってといわれ、雑誌の切り抜きでも絵でも写真でも好きな画像をファイルに挟んでまとめ、それを常にドバタへ持ってきて折に触れ参照したり、講師にもみせろという。僕はこの時の少し前、I講師にモンドリアンを勧められ(彼の選択眼は正しかった、僕も抽象的思考の傾向があり純粋絵画志向だったからだ)、他にはお洒落雑誌の切り抜きなどを入れていた。が、その2浪生はエロ本の切り抜きみたいなのを入れており、以前も出した僕と同校の先輩で、当時ドバタ講師にいた芸大生のCさんがそれみて「これはー。ははは」とかいっていた。
 これ考えるだけでも美術学校の内部って意外と真面目というか、実際ヌードモデルの素描もやってたし僕もやったが、いざモデルを描く段になったらいわば医者みたいに、性のモノ化の逆順、「裸体の物質視」で脳を使うので、単に肉体に伴う陰影を追って支持体(画布、画用紙など)に描画体(画材、メディウム)を定着させる作業になる。冒頭の画家Aはヌードモデルで自慰していたとかいっていたらしいので悪名高いが、僕の知る限り、ヌードモデルって僕がドバタいた時は通常おばさんだった。男性の時もあるんだろう。正直いって娼婦やグラビアイドルなどで若い女性が性的な魅力を発揮させて写真や動画などに収まっているのと全然違う姿でもあり、単にモチーフの一種としかみえない。つまり、A個人が下品なだけだろう。
 裸体画論争ともかかわるが、結局、なぜ伝統的モチーフにヌードモデルが含まれるかなら、古代ギリシア彫刻の影響であろう。地中海の温暖圏でかつ古代人なので衣服が簡素なのと、プラトンでいうエロスの議論ともかかわって、神像の肉体そのものが神格化されていた節がある。理想美が人体に投影されていた。僕がいた時もその影響でヌードモデルがまれにモチーフに含まれていたんだけれども、普通に真面目に描いてるだけでだーれも何か下品な物描かせてんなみたいな扱いではなく、モチーフ(着想)として扱うのである。これは美術界に独特の伝統で、学生相手だからか知らないけど若い女性モデルは着衣だった。

 それで実際ヌードを描いてみたら分かる話として、人体ってのは基本的に陰部と髪の毛とか除けば毛が生えてないので、陰影法の練習にもってこいの素材ともいえるほど滑らかで、色彩も単色なので、ある種、描き易いモチーフである。本来彩色されていたギリシア大理石像(エルギン・マーブルズ)を大英博物館がわざと脱色させたのは有名だが、ヴィンケルマンが主張した純白彫刻の理想視は、結局、この裸像の見方とも一定程度かかわっていると思う。陰影が滑らかに出る肌をもつヒトは、サルと違った美をもつという生物学的背景だ。西洋圏で古代ギリシア彫刻以来、裸体画の伝統が生き延びたのは、人体像にとって肌の滑らかさが、他の体毛が沢山生えた生物との決定的な差だからでもあるだろうし、同じ感覚は「ケモノ(毛物)」という日本語にも残されている。これゆえ石膏像や裸体など滑らかな陰影を映すモチーフが生き延びたのだろう。特に彫刻が、色彩の要素をぬきに、純粋に形の問題として扱われる際に、単色のほうが都合がよかった。それで彫塑では粘土塑像などを使って、絵でいう木炭・鉛筆デッサンの代わりにする。

 なおつけ加えておくと、僕はブリストルのジェンリード像はコンセプトの面ではかなり興味深いと思っている(なんか直立不動で、勝ちどきの情感ない感じなのが微妙だが)。この像は素材は銅かなんかだろうけど黒い。そして黒人モデルの像だ。毛深い人類像とか別の肌の色の像とか色々試されるべきだと思う。
 つまり、ヴィンケルマン説の純粋彫刻論的な側面とは、彫塑が形の問題を扱っているという点に求まるのであり、それが単色であったほうが形のみに注目できるというにすぎず、その単色の基準が白である必要はない。これが自分の感じるところである。古代ギリシア人の肌色も厳密にいえば薄い黄色味の筈だ。

 大英博物館の保存姿勢には問題があるが、ヴィンケルマン説は上記のよう根本では、純粋彫刻理論だったといえなくもない。例えば僕は高校の時、マネの『オランピア』をみて直観的に、乳首部の色が塗られていないので「このほうがいい」といった。それをTM君がいつまでも憶えていて、彼が東北大の院にいたかなり後から、卑猥な発言みたいに指摘してきたが(性格良くないですね)、そうではない。純粋彫刻化してあるからだ。絵画や彫刻は、再現的に物を記録する為というより、人や自然など世界の本質を抽出し、それを理想化して記録するものである。したがって現実の物象をそのまま模倣するのでなく、単なる形の問題として扱うとか、なんらかの美化が行われる。絵も彫刻も、この点では写実主義を離れている方が正しいのだ。
 マネが『オランピア』を描いた時、あれは恐らく彼なりの裸体画の理想図であって、結局友人女性(ムーラン)の絵だったが、娼婦にみえるスキャンダリズムの要素をわざと炎上商法で演出しまぶしていたかとは別に、対象を欲情させる要素(つまりは性的要素)は、極力排除してあるという風に解釈できる。人体で乳首の部分に本来は仄かに色がついているが、その部分だけ血管が多いとか、要は授乳の為になんらかの適応をしている部位となるが、マネの『オランピア』では色がついていない。偶然色を塗り忘れたとかではなく、形として扱っている。いいかえれば石膏像と同じ「裸体の物質視」が行われている。僕が高校の時直観的に感じたのはそれであり、要するに裸像をなるだけ上品なもの、写真など直接的表現では明らかな性的要素を廃し、単に陰影の滑らかな凹凸をもっている一物体で、それも美化したものとして見せる工夫がされている。絵描きとして言えるのは現実のムーランの裸体とは大分違ったものの筈だ。

 ではドバタで唯のエロ本の切り抜き(多分どっかのAV女優の裸の写真)みたいなのを資料集に入れていたその2浪生はどうかだが、基本的にそういう絵を描いてたわけでもないけど(静物や着衣モデルが殆どなのでね)、モチーフの神聖化の逆に行っていたからそういう画像をわざわざ資料化してた様に思うのだ。彼の基本思考はわからなくもない。まぁそこらの下俗男性だかサルじみた青少年と同じ目線で、女性なりヒト科メスの裸体を欲情の対象としてみる。性的な目で。性産業従事者(違法)とか軟派師とかそういう世界で繁殖だか交尾ごっこしてんだろうけど、いうまでもないが、美術家はこの逆でなければならない。ある意味で、美術家の仕事は、もし人体像がモチーフなら、医者のそれと同じ目線を持てなければならないだろう。僕は端からマネの『オランピア』が下卑た所もあると感じ、決して立派な作品だとは思わないが、少なくとも着色上の工夫などで、性的要素を少しは排除しようとした努力の跡は認められると思う。
 単に動物と同じ目で人体を見る。それと逆に、全く神の目線でヒトなる生物を見る。この2つは同じ人物画に対しても正反対の感覚論で、例えば同人誌系の漫画家はまぎれようもなく前者の目線で人体を描く。だが、これは彼らが下賎な精神性の持ち主だからに他ならず、純粋美術家の模範とすべき点ではない。
 その2浪生(だった筈)の事はほか特に印象に残ってないから彼についてはもう出てこない。しかしこの件からみても、美術界は実際には、世俗的・普通大学的な肉体の見方から大変大幅に離れた場と言えると思う。Aがこの点では特殊な人間なのでみながああいう風だと、現実と逆の勘違いしないでほしい。

 本当は、この頃、いかにO君が変わっていったというか本領発揮しだしていたかについて書くつもりだったが、裸体画論争の最終帰結としての、人体美術論に至ってしまったので次章に譲る。これは着衣像であれ根本で無視できない観点なので、いかに人体を理想化し美術内で扱うかのなんらかの参考になる筈だ。

(続き『18才の自伝 第二十七章 四者四様』