2020年7月9日

素人だろうと玄人だろうとその中間だろうと美は脳内反応で、客観的には美術(fine art、立派な技)の伝統的主題の一つ

某評論家(余り有名でない)が、「美」は美術(恐らくファインアートの訳語として)の権威・本質合流地点で現われた知的堕落概念なので、自明の事として使ってる現代人は嘘つきとか、専門家は使わないとかいってたが、プラトンを馬鹿にしすぎだと思う、この人。毎度いう事がおかしい。
 三流評論なんて見るな、とリヒターならいうだろうけど、物凄く偉そうな言い振りでツイート流れてくるから目に入っちゃう。ツイッターって毎度思うけど害悪だ。できるだけ早く辞めるにこしたことない。馬鹿が偉そうにしているし、イイネついてるのもゴミ投稿ばっかなので観客一般の質が異様に低い。
 真善美のうち、特にエロスに象徴された美の追求ってヘレニズム系主題の枢要な一角であって、どっちかといえば裸像が美以外のなにかを昇華したものなのか海に沈んだヴィーナスひきあげつつそいつはどう理屈づけるかという事になるが、要はアートが技の、美術はfineな技の意訳語って言いたいだけだろ。
『饗宴』でプラトンは長々と演説し、イデア論と絡めエロスと美の関連性ってずーっと語られたと思うんだけど、それを一切無視し、美を自明の用語みたいに使うやつは素人や! とか、じゃあお前は画家追放論なのかとしかいえないだろ。
 大体、建築でもウィトルウィウスが用強美で定義してんじゃん。
 日本の美術批評ってほんと今の所、紛い物が堂々と跋扈するどうしようもない無学業界だから、まともな人間なら一秒でも近づくべきではないね。僕が宣言してもいい。美学だか感性論だか以前に知識の質が低すぎる。
 そんなだから子供向けのなんの知的要素も介在しない漫画家が首魁ぶってられるんだ。
 話はそういう三流批評屋が唯偉そうに肩書きつけ業界ゲームで跋扈している悲惨というだけではなく、そもそも、そんなのを排出してしまう、国内一般大学(知性に縁がない美大芸大ではないのにその次元がまた困る)の自由教養の水準なんだよな。余りに失望させてくる。正に馬鹿の島である。
 岡本太郎論なら分かるよ、いいたい事は。芸術は美しくあってはいけない~とか。ピカソかぶれですから。でもそれそいつ個人の立場だから。
 美術史全体で美が堕落だとか、頭の悪さでいったらミューズの殿堂のさ、入り口の掃除すら頼めないよ。遥か遠くの町で通せんぼされて諦めろ。タコケシマシンに。
 村上隆が起業論のほうの終わりだったと思うが、美への信仰告白してたと思うんだ。自分は美に仕えしぬんだ~とかさ。それもさ、貴殿にかかったら堕落か。確かにキッチュ野郎かもしれんけど、彼の宗教まで馬鹿にするなといいたい。所詮ポジショントーク、お前が色んな専門用語の形容句もってるってだけ。
 俳句でね、綺麗な川どすえ、って詠ったら、あららそれショボイね、五月雨に流れて速し、なら詩情豊かねって、ドヤるそういう修飾ネタ発言なわけです。どうでもいいよそれ。修辞学です、それ。高が言葉の問題。
 美術の全体にあてはまる話じゃーねーわ。多様な価値も包含してる説ならわかるけどな。 
 カントがね、『判断力批判』で美と崇高の定義を、芸術・美術(家)論と絡めてしてたじゃないですか。それすら知的堕落なんすか? 是非とも根拠をお教え願いたい。直接返信するとどうせブロックする権威主義者だから、貴君は。ここで反論さしあげますが、具体名挙げずに。そういう点もくそ閉鎖業界。

 多分、君が言いたいのはこういう事だろうね、規範的な美を文芸復興的に定義したのは当時の権力構造(具体的には後援者)であって、そもそもの技は多様な活動の総称なので、端的に美術の文字通り、美のみが主題でないと。それならそうというべきだし、それって中世美術批判にすぎない。美も主題だもん。
 通俗的な用法での美、と、括弧入れた専門用語としての美(そんなもんあるとは僕は思わないんだけども)、とが分離されており、前者を素朴に後者を含む意味で使ってたら、そいつは素人! ってどんな判定方式だよ。その試験通るやついないだろ、地上に。エロス論したらアウトなのか。美学者は狂人か。
 ウォーホルがね、「これは美だ!」とか「彼女は美人だ」とかいってるが、実はなにが美か全然わかってない、って書いてたよね。某自著の該当の章名ついた作文で。そこでいう美も、彼の0アートの主題なわけです。ニューヨーカー芸能界の名声みたく軽薄なものとして伝統的な美の主題をすかして扱ってる。
 偉そうにね、震災で倒れてしぬ本棚背景にね、よっ! メンタリスト批評屋です、じゃねえよ。なんのこけおどしにもなってない。だってね、知識なんてグーグルの方があるのに、それ使えてないんだから。思考力がごみすぎて。美がファインアートでは素人タームとか、くそすぎるだろ、発言。独自進化も程。

 ま、俺がみるにな、業界ゲームとして、現代アートは色んなどうしようもねえ仮設系のがあって、それらは美しくもなんともないコンセプチュアルっつっても素人芸もどきもわんさかある、間口の広いもんに成り下がってますと。おサル団長の日めくりサーカス団みたいなもんですと。それは美術全体じゃない。
 そしてね、大事な点を言うと、感性論あるいは感覚論(英語aestheticsの語源に遡った直訳)を含んでるんだよ、美術って。だから一見して美しい! とか綺麗とか思う対象ってあるわけです。それは直感を通じた感性的、感覚的なもので、視聴覚にしてもそれ以外でも、必ずしも知的なものとは限らない。
 なんの美術史の知識も、その他の美学的専門用語の理解もない子供とかずぶの素人がみて、これイイネっていってる対象あるでしょ。綺麗だわねエとか。国際美術展では逆に美大的ドヤインスタレーションばっかだから希だけど、そこらの美術展ならありますよね。唯のお花畑の絵とかで。それは嘘ではないよ。
 直で引用するとブチギレブロックしてくるだろう明らかな権威主義者(というかその種の勿体ぶった箔で食うつもりのお方)だから、詳細かけないけど、うそだといってるのですね、その人。素人がいう美って嘘だって。そんなこたぁねえよ。んなこたない。タモリが。んなことない。美は美ですよ。素で。
 俺は(世界史の)美術史に残る側としていうが、別に命捨てた専門家だろうがね、ゴッホだろうが棟方志功だろうがね、ましてやドラクロワだろうがそこらの素人だろうがね、俺だろうがね、美は美ですし。それは脳からみたらね、ある部位が反応してるわけ。内側眼窩前頭皮質。それ嘘とかではなく化学反応。
 その評論屋は、どうも最初絵描きか彫刻やろうとして挫折し、批評専門に転進したと聞く。というか読んだ、当人のツイートだったと思う。君がさ、絵の具を置く。そのときあれこれなんか違うなぁといい別の絵の具を更に置く、そのとき一切、美的感覚つかってないかといったら使ってるだろ、明らかに。この組み合わせは嫌だなぁと感じて、パレットナイフだか、消しゴムツールだかで消すだろ。または上書きするだろ。そのとき、なんの感覚も使わず消せないだろ。消す根拠が必要だろ。全て理詰めで作っても、完全に美意識を排除できないからこそ、モンドリアンは構成っていってたわけだろ? 手動の。
 完全に、あらゆる美学的ナンセンスをシカトするんですと、そういってた人もいた。ウォーホルにしても。弟子に工場で刷らせてたから当人が介在してる度合いが謎だと。リヒターもカラーチャート辺りでやってたじゃん、グレーペインティングとか。機械的マチエール(絵肌)凹凸以外なにも作ってませんと。
 例えば似た様な作品でさ、スーラージュっていたじゃん、こっちは美学そのものだよね。絵肌の(括弧つきの)美を追求どすえと。光に当ててごらん、みえるよ! だから君にいわせれば「専門的」なんだろうが、じゃあリヒターの誰でもできそうな反復グレーペイントは「素人」なのか。おかしいだろ、理屈。

 ずぶ素人がリヒターのグレーペインティングみても、まぁ大体の人は別にきれいでもないと思うと思う。だってわざとそうしてあるからね、グチャグチャ反復作業してるだけ。それはミニマルな様式で、美学的意味を否定する作為で、彼の言い方ならアンフォルメルの実践だわ。でもさ、美は裏主題じゃんか?
 先ず西洋美術なる伝統的様式の体系の中に、ずっと一体なにを美しいと定義できようか、というプラトン的主題がある。もっと遡ると古代ギリシアの神像作家より前に、偶像崇拝禁じたユダヤ人とか出てくる、ヘブライズムを仮に系統的に除いても、そこでのエロス(愛の神)は美の追求の別名じゃないですか?
 文芸復興期にレオナルドらがそれをもう一回聖像作りに復帰させ、逆にオランダ世俗画では腹ペコ庶民の為にうまそうな食事とか描いてて、状況に呆れてたラファエル前派あたりがもう一回真面目な主題にもどしたわけでしょ。物語だの詩劇に題材借り、うまそうとか唯の快楽じゃなく神話の美を画こうよと。
 大陸でも相変わらずヴィーナス像描いていて、典雅な裸像が当時の王道だったわけじゃないですか? それを当時の人が醜い対象だとか、萌えだのキャンプだのカワイイ~だのいってました? 要はどれも美意識の議論でしょうが? でマネが娼婦と黒人給仕でええやろとかパリ悪徳の栄え画き、紳士が怒った。
 遊女の裸像みてるてめーらは、神話の美だと思ってるエロスが、所詮、裸の女への発情にすぎねーのがばればれだぜ、ウェーイっつって。若造マネの不良行為なんだか示威行動なんだかにブチギレた辺りから、やっちゃえやっちゃえって再度ドジョウ狙ってピカソら図々しいのが方々から集まってきたわけで?
 その後、ナチスで挫折した画家(ルサンチマンで一杯なところだけは君そっくりですが!)のヒトラーが命じ、西洋大陸から前衛を悉く追放していったわけでしょ。大体、英国経由したのもいたが米国へ移っていった。そしてグリーンバーグだ。抽象画の方が通俗ポップアートより、純粋で偉いんだといった。
 そんでだ、君が日本でいう、美は素人の概念ですよと。少なくとも(柄谷行人がいうみたいに、それも大文字のなになに式にモッタイブッタわりに特に深い意味がない、衒学借り物の言い方だと思うんだが)「括弧入れ」して、「(専門的)美」は素人のものとは違うんだよと。はい、嘘ね。君が嘘つきです。
 一体さ、今軽く叙述した西洋美術史の薄い概略のだ、どこの部分にさ、美学、美意識、感覚論など、美と絡んでない部分があったのか。
 神像わざと醜く作ったか。ソクラテスの像くらいじゃないの、あったとしても。彫刻家はできるだけよく造形しようとしただろうに。ヴィーナスもヘルメスも、醜そうか?

 リヒターがね、灰色、これは絵描きなら毎日パレットの終わりでよくみる全ての絵の具を混ぜるとできるくすんだ色味ネタなんだが、その一番、チューブからだせるものとしては経済価値が低いだろう色で、つまり無価値さを象徴する色で、しかも絵肌になにか具象化する作為もないぐちゃぐちゃなのを作ると。
 それは伝統的な西洋美術の美の主題を、できるだけ否定する仕草文脈なわけです。いうまでもないことではあります。もう冗長になってきたからやめるが、それは西洋におけるエロス、もしくは美の追求へ、もう終わってんだよ俺の歴史的作業は、何もかもやりつくされたんだよっていうポストモダン仕草なの。
 否定という形ではありますが、それでも美を追求する技(artでもarsでも、Kunstでもいいすが)を反定立として具体化させているのがグレーペインティングというのが、その少なくとも一解釈だろうと思うわけです。じゃあ、素人か絵描きがそれ見て綺麗ねっていったら嘘なのか。完璧におかしいだろ、理屈。
 君(某評論屋)がね、素人煙に巻き金もうけたいってんなら勝手にやればいい。或いは偉ぶりたいなら。あらぶりたいなら、ますらおぶりたいなら。勝手にやってりゃいいと思う。でも嘘ついてんの君でしょ。ガチプロの目は欺けないのよね。君みたいの。素人裸足(誤用の応用)は君。美って堕落じゃないよ。
 具体的にグレーペインティングでいうぞ、あの絵肌は俺の記憶に残ってる範囲なら例えば絵筆でぐちゃったり、ペインティングナイフでガチャガチャやったりしてた気がする。スーラージュみたく黒光りが表情作るよう考えられてない。が。それでいったら家の猫走りのモルタルも綺麗といえるからね? 美で。

 例えば、安藤忠雄ってのはコンクリートの絵肌をかなり丁寧に均しちゃう人。でも塔の家の東孝光とか、そもそものコルブだってサラバイ邸とか物凄く表面荒いわけよね。インドの当時の技術だけじゃなくてコルブはそこは気にしてなかっただけじゃなく、ラフな味で。そこきめ細かいのにしちゃうのは安藤だ。
 型枠嵌めてそれ使いまわす時、気を使って管理しないと絵肌がガサガサになって出てくる。しかもコンクリ自体の配合も固めにした方が出易い。わざと型枠に木の表情あるのを使ってコンクリの絵肌を意図して作るのもあるが、インドでのコルブレベルのは絵でいう偶然性の応用の一種ともいえるわけです。
 じゃあそれがさ、プロ(設計士と型枠コンクリ職人だなここでいえば)の目でみても、美で、素人がみてもなんらかの点で美、ってのもあるでしょ。猫ちゃんの足跡ついちゃったってプロはこれは失敗だっていうけど、素人はかわいいから残してっていうかもでしょ。絵肌の美って半ば主観的な代物なわけだ。
 では、君(某評論家)はいう、これは括弧入ってないからダメ。嘘ですと。頭おかしいじゃないかと思うんだよね。猫の足跡ついてる俺のうちのガレージの床があって、それは素人だからくそだとか。意味がわからない。コンクリの表面がどういう絵肌か、グレーペインティング自体が美だともいえるんだよな。
 じゃあ素人目でもプロ目でもこのコンクリ表面を上手に均してあってきれいですねえ、って場合。ソーク研究所みたいなのだわ。カーンの。そういうのが現にあるのに、「美」なんてプロは使いません、ってなんだよ?
 まあなにから何まで嘘ですわ、君(某評論ごっこ)がいった事。よく堂々と嘘つくよね。

 専門的訓練を受けた人、って言い方も意味がわからない。そんなもん存在しないに等しいじゃん、特に絵画界。お前はさ、どこまで近代絵画を馬鹿にすれば気が済むの。なんだよ専門的訓練って。呆れてきた。最初からだけど。
 前衛に専門的訓練なんて存在しないよ。新しい作業なんだからあるわけない。

 なんでね、俺がね、偶々、世間様だか俗世間のツイートをどれどれと辿っていてね、どっかの馬鹿評論家がね、偉そうに嘘ついてるのみつけたからって講義したかってね、スノビズムに嫌気が差すとか表面的な話じゃないから。これ。芸術を敷居が高い物みたいに言ってるお前が漫画の国に住んでんじゃん。
 要はだ、お前の存在は麻生太郎漫画王国とかいうテーマパークで、ぷげぷげらいってる馬鹿ぶった老人の間で、一人で「でも、俺っち西洋美術に詳しいんだよな」ってごく中途半端にいってる。俗物キャラは重々わかるけど、それ自体が笑えない自虐になってるに過ぎないの。超平面美学の檻の中の猿じゃんと。

 もしね、本当に批評的だクリティカルだというなら、「美」の主題を漫画・東西伝統絵画にみいだしてるのは間違いなんじゃないか、それが扱ってるのは美以外のものなんじゃないか、とか。美以外の主題から雑多なサブカル見直せば、伝統的なエロスは唯の神学だったんじゃないかとかいえばいいんだよ。
 通俗的な美、例えば春画や、マネ、あるいはラッセンのある種の市場的側面(キラキラしてるぅ~。宝石みたいに綺麗な海ね! 的な感動)の主題を全否定してる時点で、それはお前こそが素人上がりだろ。それらがアートじゃないわけないだろ。しかもマネにいたっては美術だし。専門知は特権じゃないの。

 こないださ、AKBが都美にきてブチギレてた東大教授いた。あいつもろくなやつじゃない。間違いなく、物凄く浅はか。だってクーンズがチッチョリーナとの交尾彫刻作って公開してんのにだぞ? どんだけ君のグリーンバーグ主義は教義化してんだお前の中だけで。美術館論のレベルが無能な将校なんだよ。
 まぁいいわ、近づかないから。
 今日は偶々さっき見たから、物凄く気分を害してこれを書いたが。東京圏というのか神奈川だろ、こいつも。南関東の美術業界の質は、もうダメだな。こんなのが跋扈してんだから、表に。だって誰が見ても間違ってるじゃん、素人の美は美じゃないよってなんだ? 会友か。