2020年2月18日

良心は偏見を戒める必要がある

「良心の内面化」、もっと通俗的な言い方をすれば、良心を習性にしてしまうこと。これが文明の中で本来の上品さ、うまれ又は育ちのよさといわれる種類の適性なのだが、もともと先住人の方がこの点で文明化していたのが考古学で明らかになる。
 渡来人らが鉄器・青銅器の武器で素朴な善人を虐殺した。
 この点で天皇の先祖は、今日の目でみれば大量殺人犯にして野蛮人に他ならず、皇室・宮内庁側の歴史観、或いは(記紀からはじまり『大日本史』に代表される様な)皇国史観と対立する。
 彼らは天皇を上品と言い繕うが、先住人虐殺だけでなく国民全体を納税奴隷化し続けてきたのが事実でしかない。
 NHKドラマ化された『アテルイ伝』のよう、天皇の侵略・虐殺被害を受けてきた先住史観に立って歴史の真相を見直せば、良心の内面化も皇国史観を相対化できなければならない。
 皇国史観の本質は帝国主義、植民地主義、神道原理主義、中華思想などの類型に他ならず、思想全体でみれば単なる部分である。
 全く同じ意味で、時代が下るほど、或いは中国・朝鮮・欧米などから渡来してきた故、遺伝子や文化素(ミーム)が優れているとする偏見は全くの過ちだ。先住人やその文化の方が優れている面があったのは、砂原遺跡から12万年平和だった縄文期を壊した弥生人遺跡から撲殺死体が出てくる点でも証明される。

 人の良心は、特定の権威権力におもねるものであってはならない。あまねく、全ての人々、或いは時に人を超えたあらゆる生命の利害をできるだけ代理しうるものでなければならない。いうまでもなく、自分やその血統に有利な立場をもちあげ、そこから遠い人々を貶めたり、不利な立場に置く偏見は邪である。