2020年1月17日

茨城人は天皇のよう野蛮であってはならない

天皇は手先のヤクザに命じて、先住の日本人をあちこちで虐殺させていた。
 簡単にいえば大量の殺人罪であって、あらゆる人権はいうまでもなく、特に先住権をふみにじっていたのである。この点でも本来、現制度なら天皇は古代の時点で死刑になっていなければならなかった。死刑廃止でも終身刑だ。

 縄文系も弥生系も、あえて区別すればアイヌ系も、琉球も犠牲になっているし、現時点で国の単位でわかれているけども朝鮮半島の国々だって犠牲になっていた。
 要は暴力団が喧嘩うってまわってただけの話で、桜田組こと日本政府はそのヤクザっぷりが今も現役というわけだ。冤罪なんて平気なのである。
 記紀(『古事記』『日本書紀』)や各地の『風土記』などに、これらが書かれた奈良以前、中国から侵略してきてさほど間もない当時の自称天皇らがなにをしていたか、手先の暴力団員から一般の日本人へなにをさせていたかはわりときちんと記述が残っているので辿ればわかる話だけれど、本当に残虐非道だ。
 特に縄文系の日本人は砂原遺跡から12万年も平和文明を築いていた。その中には立派な芸術文化もあったのは土偶や、土器の装飾、のこされている壁画などみても当たり前だが理解できる。
 しかも稲作まであったのがわかってるわけで、青銅器・鉄器の作り方が大陸から伝わってなかっただけの話である。
 これに比べて弥生土器のほうみたら装飾が減って、美術的にみたらミニマル化されてるんだろうけど味気がない。
 なんでこうなったかといえば、弥生系の移民は殺人とか強盗とか村ごと撲殺して滅ぼすなど、戦争ばっかりやっていた。人倫面で縄文系よりはるかに野蛮といっていいだろう。治安が大変悪い。
 弥生遺跡からは撲殺された死体が沢山でてくるが縄文遺跡からはでてこない。犯罪率が大変高い集団が中国・朝鮮から入ってきて、噴火のあと人口が激減してあいていた西日本一帯に住み着きだした。そして彼らは蓄財の癖があって、コメを倉つくって貯め込みだしたのである。
 いわば原罪がここにある。
 今の人類の脳でも、ねたみを感じる線条体や前部帯状回の活動がみられるし(高橋英彦『妬みと他人の不幸を喜ぶ感情の神経基盤』)、非営利バイアスと呼ばれる金持ち憎しの感情があるともいわれる(Amit Bhattacharjeeらの"Anti-Profit Beliefs")。
 不公平が拡大すると強盗や、逆に弱者弾圧が起きる。
 天皇とは何者か。この種の不公平の一起源であり、やがて絶対的差別を自己神格化の教義でまわりのひとびとにおしつけまわるに至った、飛鳥・奈良時代に中国神話の神をなのりだした、奈良にいたヤクザの親玉の家だった。だから大久保利通や木戸孝允らが、天皇を「玉」と呼んでいたのは弥生的論理なのだ。

 はじめ、天皇は単に暴力をふるっていた。
 土器・石器しかもたない先住の平和日本人のところへ、中国・朝鮮からナラ弁(ナラとは朝鮮語で「国」)で上から目線で入ってきて、青銅器・鉄器でなんもしてない善良な人達を虐殺して回るんだから、実にろくでもない。今も奈良のヤクザはそんな行動してる。
 奈良人はあの閉鎖的な盆地にこもっているわけだし、開放的な土地に比べて世間がどうしても狭くなる。遣隋・遣唐使とかいって中国王朝に朝貢へ行った連中は、いつもの「出羽の守ぶり」で地元奈良人を見下していたろうが、これが行き過ぎたのが天皇と自称しだす成りすましごっこ、そして国内侵略だった。
 これに比べ、先に住んでいた日本人らは、海洋民族だった説もある。
 少なくとも仙台では江戸時代頃に、大分人の福沢をのせた咸臨丸がアメリカへ渡ってどんな勇気だと自伝で自慢する247年以上も前に、単独でスペインまで行ってローマ法王に謁見していた例もある。
 少なくとも中華思想などなかった。
 天皇ヤクザが各地でふるわせた暴力、虐殺例は枚挙に暇がないので日本史・考古学をちゃんと辿れば象徴もなにもあったもんではないと悟るであろう。殺人鬼の差別主義者が象徴って。しかも自分の中国人先祖が神だったと称している狂人、超絶中華思想の、奈良のどいなかの中国朝鮮系帰化人出羽の守である。
 これはなにも天皇家に悪口いいたくていっているのでは寸分もない。あたりまえだけれど単に、歴史・考古学的にわかっている事実を、その時代にいなかった第三者としてただ冷静に記述しているのである。

 一番酷い逸話の一つが、僕が今いるこの茨城県へ天皇手先のヤクザがきて、いきなり人殺しした例。
 天皇家はダークテトラドである。罪のない人を虐殺自慢してなんの罪悪感もおぼえないのはいつものことだが、なんもしていない日本人をいきなり拷問して大量に殺しまくって、それを隠そうとするならまだ安倍晋三レベルだけれども、天皇の場合、驚くことに自分で書き残させてウチは偉いだろといっている。
 ウソだと思うなら『常陸国風土記』よんだらいい。普通にそう書いてあるから。
 天皇家は日本人の先住権なんて一切認めてこなかった。代わりに、奈良だの京都だの東京だのから、全国民を徹底的に差別してきたのである。差別するだけでもろくでもない家だが、単に平和に暮らしてた人を進んで虐殺自慢。
 なお風土記っていわば奈良人が書いたのであって、天皇の手先が書いたものだから、現地人の記述ではない。飽くまで当時の奈良がわの見方である。ということは、もし本当にその種の虐殺をあちこちでやっていたとしても、奈良人がわは、その非道なる一方的虐殺を喜んでいたという事が歴史上の事実である。
 当時の奈良人は現地の事情について調べて書いたのだから、奈良がわに都合の悪い記述は残されていない。そのせいか風土記は殆どが残っていないのだ。行政文書の廃棄なんて今に始まったことではない。歴史抹消とかヒミコや古墳豪族、縄文・アイヌ・琉球・弥生の日本史が天皇に消されてるので明らかだ。

 倫理崩壊ですと?
 天皇は殺人教祖である。麻原彰晃が死刑になるなら天皇家なんて何億回死刑になってもおかしくないだけのことは、彼らが移民してきてからずっとやりつづけた家系だといって間違いない。逆に彼らの善行の例なんて日本史のどこにも出てこない。あるなら教えて欲しい。勉強するから。
 ちなみに、僕は皇室史を学ぶことにも大いに興味をもって相当、というか自分の費用がゆるす限界までやってきたので大体しりうるかぎりは知ってきたけども、一番ましな実例でカマドの逸話である。いわゆる仁徳天皇。なんと僕は現地視察までいった。国見山へ直接いって状況証拠集めた。どんな感じか見た。
 仁徳天皇が国見をしたと想定される山は、今も国見山として残ってるのも1個ある。あれが現物かは不明だが大体は似た様な状況にあったであろう。大和郡山市にあったと思う。実際のぼってみてみると、いわば木々の間から田んぼがみえるんだけれども、昔はどの程度木々があったかだが隙間から遠く見える。
 しかもその国見山なんて、山というより丘です。奈良によくある小さな丘みたいな山の上から、現地のヤクザの親玉が、収奪をしばらくやめろといったわけだ。飽くまで収奪をやめるとは言っていない。不作だからしぼりたくてもしぼれない。それでちょっと待ってからもう一度奴隷をしぼりとれといっただけ。
 僕は現地をみて驚いたというより、呆れましたね。こんなしょぼいところでヤクザな言動しただけなのに、あたかも神々しいみたいに書いてあるんだよ、記紀には。正直いわせていただければ奈良人は本当に、質が低い。公徳の質が低すぎる。
 僕のほうには水戸の徳川家がいた、落差物凄い。こっちが天だ。
 水戸の徳川家は為政者として、まあこういったら徳川さんちは怒るに違いないですが、仁徳天皇よりはるかに上でしょうね。だって義烈両公の事跡なんて農民の為にお堀とおしましたからはじまって殖産興業も侍が農民にまじって全力でやるわ、飢饉の為の倉も作るわ、それだけじゃなく梅植えて備えまでした。
 天皇が田植え真似だしたのは、僕がみたかぎり西山荘きたころからです。常陸太田で義公はご自身で田植えされてらっしゃった。だって農本主義くらい学んでたからね。そりゃそうでしょう、当時も一流の学者として。農民と同じ苦労をわかちあうため農人形作って毎朝お供えしましたまで烈公の代に進化した。
 天皇はね、田植えなんて歴史に残る限り全然やってなかった。だって奈良・京都人としてはずっと国民収奪してたんだもの。
 それが、西山荘きて、義公まねて皇居に田んぼ作った。昭和天皇の代だ。西山荘にきた唯一の天皇。
(1929年11月17日に西山荘きた。1927年6月田植えはじめた。時期は前後する)

 結局、にわか右派が伝統が~とかいってるが、田植えなんて天皇の伝統ではない。
 この論理ってご都合主義なんだよ。薩長藩閥は、大久保や木戸が天皇を「玉」扱いしてたよう、裏では天皇機関説だった。表ではたててたが偽りだった。万世一系とかウソついて(女帝同士で継いでる)、偽伝統唱えだした。
 その伝統とやらも、神武以前まで遺伝学的に辿ったら、中国のはずれに住んでた東夷と出てくる。
 倭人、つまりおおよそ弥生人らは、呉の太伯の子孫と自称していた、と中国のほうの記録に残っている(『翰苑』、『晋書』「倭人伝」、『梁書』「倭伝」、『北史』「倭伝」など)

 倭人の末裔が自称天皇とすると、中国東部あたりから弥生人として宮崎経由で奈良に入ってきた移民だった。それが今度は奈良だの京都だの東京で中華ぶりだした。どこが伝統なのか。
 そんな伝統、中国の伝統だろうという話。
 天皇の都合で簡単に伝統なんて変えている。都合悪くなったら歴史抹消。
 実際、弥生人の遺伝系統はO1b2であって、文章上の記録に残った彼らの自称が正しければ、およそ弥生時代に中国東部から北東側へ移動した一派だったかもしれない。

 神武天皇は、今の言い方でいえば在日朝鮮人・在日中国人だったわけだ? 帰化人が日本の象徴に成りすました。
 そしてこの背乗りヤクザ(神武以後の天皇家)は、全国で先に住んでいた日本人たちを奴隷化しようと、全力でウソをつきだした。いわく自分の先祖は神であり、自分は中国神話の神格化された皇帝であり、日本を生み出した。意味がまったくわからないわけだが、こんなの関西人たちは素で信じ込んでいたのである。今も信じてる。
 確かに、もし天皇を採血して、それをこっそりだか当人に許可とってだか保存しておき、ゲノム解析にかけたら、D系統だった、という事実がでてきてしまうかもしれない。
 この場合、ますます日本神話はウソでしたとなる。だってアマテラスが中国・朝鮮系でも、神武は直接の先祖じゃないことになる。
 もし天皇の男系がハプロD、つまり縄文系と同じだったら、余計、天皇うそつきの話がややこしくなる。神武なんてのはどっか別の家系で、右派がいう万世一系の先祖は先住の日本人でしたとなると、どこで血統がいれかわったんだ? と神道学者がてんてこまいである。普通に中国朝鮮系のほうがまだ素直だ。

 こんだけ滅茶苦茶な論理、というか
「帰化した中国・朝鮮人移民(天皇)が日本人の象徴ですよ。わたくしたち天皇と称する中国・朝鮮人移民が日本を生み出したのですよ。だから日本人を虐殺して、税収奪してもいいんです」
とか、完全に論理破綻しているわけだが、それに実際、天皇信者は騙されている。
 こうしてみてくると、天皇と称する中国・朝鮮系の移民なことはまず絶対に疑いがない人々がほざいている伝統なんざ、必ずしも履行の義務がないことは明らかであろう。だってそれ先住の日本人の伝統を無理やり、暴力で弾圧してきた中国や朝鮮モドキのものでしょう? 歴史改竄勢力が歴代天皇一族なのだ。

 多文化主義ですと。異文化に寛容になりましょうと。その理屈だと、日本人虐殺収奪文化であるところの皇室文化も、まあろくなもんじゃないにしても、中国朝鮮まじりの奇形文化としては認められる。だが先住なり別系統の弥生系日本人からみて、差別と暴力の抑圧文化でしかない。邪悪な伝統なんて公害だ。
 これからますます移民はふえてくるでしょう。エントロピーは基本的に増大する(微視的には負のエントロピーの部分もありましょうが)。ということは、万世一系がどうとか呉の太伯だか朝鮮百済だかしらねえが、京都人だか奈良人だかしらねえが、人種差別の権化は迷惑だとなって当然ではなかろうか。
 にわか右派(京大卒の生物学系の某学者みたいなの)が、天皇は人種差別でいいんだ! 男系は神武につながるんだ! とかいってるが、それ中国人でしょうよ。なんで中国人のほうが日本人より偉いのか。帰化人に洗脳される意味がわからない。
 そんな稚拙な論理を使って関西人って洗脳できちゃうのだ。
 大体、天皇の先祖なんて虐殺暴力団のヤクザの極みであって、神話とかいう嘘を排除して事実としてあった1375年の全歴史を辿ってみてみたらいいけど、どこでも殺人しかしていない。一夫多妻で姦淫しまくるのはまだしも(これもフェミニストはなぜ怒らないのか)、普通に集団虐殺と収奪しかしないのだ。
 今だって勝手に徳川さんちに上がりこんで強盗はたらいているではないか? しかも150年間も。呼んでもない。あたりまえである。強盗団きてくだされなんていうアホ武士はいない。普通に西日本の果てのヤクザを連れて、強盗団にきている。江戸城へ篭城中である。

 京都市長門川氏は皇族くれという。
 なんで皇族ほしいのか、僕はつらつら調べた。結果、いばりたいからである。京都市はえらいんだと。本当は首都なんだといいたいらしい。京都人はいつもそういっている。東京は首都じゃないと。馬鹿じゃないのかなこの人達と思って眺めているのだけれども、中世都市が北海道より人口いないのである。
 首都は天皇が住んでるから首都なのではない。英語でキャピタルシティ。要は人口が最大の都市であって、しいていえば政府があったら政治都市といえるくらいである。
 京都なんて大坂より人口いなかったでしょ。江戸より人口少なかった。もっと遡ると奈良期は山だった。つまり中世に移民ふえた盆地だ。
 そこは天皇が確かに平安期に移住して、しばらく住んでいたが、いわば下宿である。だってもともと奈良が地元なんだもん。もっと遡ったら中国であり朝鮮だけれども。桓武天皇の母方は朝鮮人ですし、神武も中国から宮崎に入ってきたと記紀に書いてありますから。だって天皇って中国神話の名前ですから。
 下宿を引き払いましたと。別になんの疑問もない。
 じゃあなんで京都市長はガタガタ皇族よこせとか政府よこせとかいうのか。答えとしては、東京をまた平安期みたいに見下したいんですよね。たかだか商業都市だろうと。大阪みたいなもんだろうと。下品なエビスだろうと。
 東京人はそれに気づかない。
 東京人なんてほんと全国各地の田舎者を集めた町である。雑多で、そりゃ京都も大阪もそうだが、東京はその規模が格段に大きい田舎者群集となっているので品位もへったくれもない。天皇だって奈良のドイナカからでてきた。
 で京都人みたく陰謀たくらむワル知恵もなく観光できていいやとかいっている。
 このいなかものをあつめると逆にハイノリマウンティング合戦が生じるのは、皆さんご存知の通り。俺こそが都会人だ! 俺がかっけーといいながら、あっちの田舎はダサい、こっちの田舎はダサいと中華思想をまきちらす。天皇がまさにそのダサダサ奈良人の末路なわけで、都会人なんて下衆の極みである。
 12万年も前からここに住んでましたと。武蔵国のできるずっと前から多摩にいましたと。そういう人が、じゃあその論理でいったら本物の都会人となるかといえば、江戸の崩れた23区民は東京市外だから~とかいって、先住の東京人を差別していやがるのである。『万葉集』に多摩人しかでてこないのだが。
 京都市の洛中こと上京区あたりの人なんてもっとひどい。同じ京都市内を差別してるのだから。崇仁地区なんて在日朝鮮人を住まわせていた部落差別の対象だとかとんでもない人権侵害をいっていたかと思ったら、今度はそこへ東京人をまねきいれて文化庁だといって、いい気味だとか陰湿な差別を重ねている。
 東京人はこんな「京都市民」の文脈や事情をしらないので、京都観光できてよかったな~とかいって、被差別地域の再開発の場所からでてきて真夏にあちこち観光している。完全に見下されているのに気づかない。でもそのあたりが東京人の限界ともいえる。京都文化の悪い意味でのリアルを知らないのである。
 天皇もヤクザなんだが、その手先やってる東京人のあけすけな差別意識とか、京都人の根暗な差別意識をみていると、天皇から悪い面を学び取った後釜は悲惨だなというしかない。
 わたしは是非ともそうなりたくない。
 以前は水戸へ皇居を移そうと構想したがこれはやめた。悪影響を勘案しての事である。

 茨城県は天皇に人権侵害された名義をわざわざ、明治政府から実質的におしつけられたのだから(だって水戸城が政庁だったのに茨城町に移転させられましたからね)、今後ともこの名義についてよくよく考え、天皇や明治政府を反面教師にすべきであろう。中華思想や閥族政治など絶対にまねてはいけない。
 またこの点で京都市も反例だ。だって自分の都合で皇族よこせ、文化庁よこせとか本当に卑しい。自称首都になりたいばっかりに日本全体を犠牲にして恥じないのである。遠回りの秋田県知事だけが迷惑なのではない。新幹線やリニアルートねじまげ奈良県知事にまで迷惑かけて、上品ぶっていやがるのである。
 水戸学みたら天皇を首チョンパして復讐しろとのフランス革命的蛮行は道理に反してしまう。この点いくら県外の野蛮人がなに言ってこようが義烈興山の功徳を慮って、平和革命を志向すべきであろう。
 今後、必然に共和政に移行すると思うが、それでも茨城人は天皇のよう野蛮であってはならない。