日本社会の性がどれだけ狂っているかを最も端的に示すのは次の図だ。
明らかに「人類の異境」であり、一国だけ全く他の集団からずれている。それも、性行為の頻度も満足度も最低級な方への、普通からの極端なずれである。
日本人一般は普通信仰があるが性生活について真逆だ。
これをみると、日本人一般はどうやら世界一おくてな集団だ。尤も人類はネオテニー化したサルという見解もあるにはあるし、おくて化の副作用で加齢が目立たず、脳重が増え、性成熟が遅れた分、学習期間が伸びIQが比較的高くなっている可能性もあり、悪い傾向ともいいきれない。進化の一先端ともいえる。
裏を返すと他人の「性行為」が、社会規範に触れたという建前がえられさえすれば(これが建前にすぎないのは性産業従事者らが野放しで、大抵楽しく生きているのからもわかる)、なぜ袋叩きにする傾向があるかなら、主に2つありそうだ。
1つはいわゆるねたみで、自分の性的不満からきたやっかみだ。
特に不倫なる民法の離婚事由には入っているものの決して第三者に害なすものではない一夫一妻主義からの逸脱への強烈な不寛容は、思想信条の自由を尊重しない人々の悪魔的ねたみにみえなくもない。何せ放っておけば彼らの家庭生活が勝手に崩壊するだけだろうし、ある調査では脛に傷もつ者も相当数いる。
イエスが「自ら罪を犯した事がない者だけが、石つぶてを投げよ」と罪人をぼこぼこにしている民衆に言い放った罪悪観は、そこでは誰も持っていない。無反省で恥知らずなのはばれなければなんでもやっていいという日本的恥の文化流儀だからだろうが、やはり病的不寛容さが国連にもばれるだけの面はある。
もう1つの理由は、そもそも一夫一妻制なる明治あたりから徐々に導入されたキリスト教思想を、皇室を象徴として政府が法体系内に採用し、今では日帝時代にはまだ存在した「妾」概念の様な多少ゆるい婚外交渉を公に排除しているだけでなく、倫理次元でも自由恋愛至上主義が絶対化しているからだろう。
ロマンチックラブ・イデオロギーがお見合い婚を駆逐しきった為、古きよき婚姻方式はなくなり、代わりにマッチングアプリとか合コンとかで性欲を隠しながら下宿にかどわかした交尾相手と溺婚するみたいな風潮になってしまった。まあよかれあしかれ欧米化したんだろうが、婚前交渉もほぼ常識化した。こうなってくると日本人のより伝統的な秩序、要するにもっとゆるかった国民の9割を占めていた農民の性観念はぼろぼろになっており、夜這いしたら逮捕、奥ゆかしく待っていても王子など永遠に来ないと、男女とも欧米化に全然適応しきっていないのである。かつフェミニズムが厳罰つきで見張っている。
この様な過去と大分違う恋愛強者の弱肉強食環境で打ちひしがれている民衆の上に、さらにアダルトビデオなるものが流布しだした(はじめは親と同居していた石川あたりではやりだした、ラブホテルでの需要だったみたいだが)。東京では春画も同人誌とか名乗って復活し、性風俗もどんどん客をとった。すなわち恋愛強者(俗語でヤリチン・ヤリマンともいわれる)が寡占体制を敷き果てなき複数愛を楽しむ一方で、殆どの男女は相手と出会わない状態になった。メディアは美男美女のアイドルをばらまいて目を肥えさせ、並の容姿すら魅力マイナスにみせてしまう。当然、婚姻も減り少子化もどんどん加速する。
さらには民族精神の次元でも、村上春樹ら戦後アメリカかぶれの小説家などが複数愛の恋愛至上主義を理想化した幻想をばらまき、東京を拡散元として、中流の一夫一妻的なTHE普通の家庭を色あせたものにみせていた時期もあった。小泉・安倍政権はここに追い討ちをかけ、格差社会化で中流も雲の上にした。
結局、社会環境の変化の中、日本人一般は色々な性的不満をためこむばかりか、混乱のあまり大勢はますます性に消極的になっていったらしい。エログロナンセンスが終わりジュリアナを挟んで、援助交際だのパパ活だの通俗風俗にも変遷はあったが、痴漢冤罪や非合意性交など性のリスクが高くなっている。
国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」によると、性経験をしていない人の割合は年次変化でみて男女で以下の様になっており、男性のばあい収入の低さと正の相関があることから、いわゆる格差社会下で出生リスクを避ける目的が背後にあって性や恋愛に消極化しているのがよみとれる。
性経験をしていない日本人男性の割合
性経験をしていない日本人女性の割合
すなわち、他人の性を袋叩きにするのは、おそらくだが、性・恋愛弱者(性愛消極主義者)らが、自己正当化したくてやっている可能性があるわけだ。自分の経験していない淫靡な行動をしている人はぜんぶ頭がおかしいのだ、と純情な中学生が考えるくらいの想像力しかない。しかしこれも建前で、現実に彼らはスマホでアダルト動画によって自己性教育しているかもしれない。それが大層ゆがんだ変態性欲ファンタジーでみちている、つくられた娯楽の一種とは気づかずに。こうして外国人らが日本人の奇形的性観念をみて「Hentai」なるウィキページをわざわざ作る羽目になるのだ。
自分が一番おどろくのは、自国、特に狂った東京で起きていることとはいえ、おそろしく品性下劣というほかない同人誌系の猥褻漫画が日本語圏ではツイッターでもばんばん流布されており(英米だと持ってるだけで逮捕され有罪判決うけた様なの)、そのどれもに数万イイネとかついてる奇怪な状況である。すなわち日本女が乱用しだした精神医学用語で「変態性欲」(本来の意味は性的逸脱、または性倒錯を指すのだが、単に相手の性欲を揶揄する文脈で誤用しはじめたやつがいたのだろう)、頭文字でいう「エッチ」なる言葉は圧倒的奇習化をもたらし、73万人もその猥褻漫画即売会にたかる今日の東京を作った。
注目に値するのは、男らだけ変態性欲なるものの熱狂者なのではなく、日本女の相当数もそうなのだ。ヤオイとかボーイズラブ(BL, Boy's love)、あるいはショタなど男性間の同性愛や少年性愛を描く漫画をこよなく愛するオタク女も大量発生している。あるアダルトサイトの閲覧統計では男性より寧ろ日本女側に痴漢願望もあるらしい。これらは勿論、東京(または大都会の)風俗の一種で、日本人全体からすればごく少数にとどまるにしても、地球人全体からみれば極めて特殊な性的少数者らの趣味趣向であり、寛大な目でみて当然、彼らの人権は尊重されるべきなのと同時に、寧ろ一部外国人らもそれらヘンタイ分野をマニアックに愛好していたりしなくもない。
ここでは詳細に穿って分析しないが、性風俗とかアダルトビデオという「公的には違法」(売春防止法など)とされているが、性産業従事者ら自身によってひたすら性の解放が追求されていると思われる一種のやくざな分野では、無論海外にも同等の世界はあるにしても、恐らく日本なり東京独特の変化もある。
つまるところ、この国では大多数の性愛弱者らと、ごく少数の性愛強者がおり、中間には本来、良識的な中流として一夫一妻主義の普通の家庭なるものがあったのに、それは小泉政権「非正規雇用法」の導入以後、徐々に下流化させられ、代償として恋愛リスクを避けながら性的逸脱に耽っているのであろう。
これがなぜ性的寛容さがおそろしく低くなり、不倫した芸能人を朝敵みたくぶっ叩きまくって何の痛痒も感じない衆愚がじゃんじゃん湧いてわいてしょうがないかの訳で、彼らは性的に鬱屈し、欲求不満なのであろう。しかもその捌け口は偶像嗜癖じみたサブカルときているので、ますます少子化と奇癖が進む。
一般論として自分がこの上なく幸福な人は、他人の幸せも心から祝えるかもしれない。ねたみは脳内でいう前部帯状回の痛覚らしく、自分より有利な立場にいる相手の失敗でことわざに蜜の味ともいわれる痛快さを線条体で感じるという(高橋英彦「妬みと他人の不幸を喜ぶ感情の神経基盤」)。つまり、自分が相手と幸で同等以上なら、ねたみは感じづらくなる筈だ。
国連の幸福度調査などから解読すると、格差が小さい社会、特に貧富の差が小さい社会ほど、幸福感は高くなるらしい。これは脳のしくみからみて当然といえ、周りの家がみんな自分より幸せそうで裕福だったらそりゃあ辛い。だから孤独な高齢者で貧しいと自殺しやすい。高福祉だと皆がねたみづらいわけだ。
ところがどうだろう。日本は小泉・竹中コンビをうけつぐ安倍長期政権下で、相対貧困率(貧富差の目安)は主要先進国で米国の次と、ビリから2番目に位置する。第二次以後の安倍政権下で微妙に改善はしたが、大抵の他国より心痛が大きな社会なのは全く変わっていない。
「自己責任論」は世界一人助けしない(by世界寄付指数10版)日本人の国民性を表す、極めて冷たい社会の新道徳である。孤立無援者を眺めああならなくてよかったとほくそ笑み、アイン・ランドより利己的な合理的経済人を至高とかんがえ、お年玉ばらまきに殺到する。もらえなかったら罵倒する。サルより冷たい。こんな社会で労働組合に入り、やれみんなの為にデモだとアベヤメロいってもますます冷たい目でみられ、副業だ仮想通貨だと自分の金儲け自慢ブログに情報教材はりつけたほうが遥かに合理的なので、だれも他人を助けようとしない。ねたみの社会。だから学校いかなくてずるいと小学生もズタボロにする。
今は公的に不道徳とみなされた不倫だの強姦の部類だけをぶっ叩いているが、不幸の連鎖でねたみに駆られた民衆は、いずれあらゆる性を侮辱しはじめると予想できる。「リア充爆発しろ」系の用語がそれであり、全体の福祉を軽視した社会は益々住みづらくなるのだ。
親告罪の撤廃で性的不寛容は完成する。警察・検察は民衆の空気を読み、性行為したとみなされる人間を血祭りにあげはじめる。そればかりではない。ポルノをもっていたり、スマホにダウンロードしたり、性的要素が入ったサブカルを閲覧しているだけで逮捕と、どんどん民衆全体のルサンチマンが発狂度を高めていく筈だ。性の魔女狩りの様に。
最終的には解脱者としてのブッダ、あるいは去勢した宦官以外この国でいきのこれるものはないであろう。これは冗談ではない。尤も彼らも子供はうみだせないので一代ごとにへっていくか、試験管ベイビーすらねたまれ、存在を抹消されていくであろう。性の不寛容さはこの種の終焉を夢みる日本の理想だ。
他人が自由に恋愛を謳歌しているだけで徹底的にねたむ。それは日本人一般が病的ねたみ深さをもっているからというより、世界で最も性生活に恵まれずひたすら不幸だからであり、他人の色恋沙汰はみだらにして絶対にゆるせない事実なのである。恋愛強者らは悉く国外脱出し、代わりに仏教の理想郷がくる。
まあ論理的に将来予測するとどこからどこまでが冗談かわからない結論になってしまったが、わたしがあるフランス人女性にいわれたところでは「日本人は不幸が好きだもんね」らしい。バカンスがない、不倫ごときで切腹を申しつける、勤勉どころか過労死する。なるほどあの愛の国からはそうみえるだろう。