2019年10月10日

天皇ヘイト事件から考察する謙虚な多文明論

知ったか俗物みたいなやつが天皇ヘイトアートを、ローマ法王ディスと同列に扱って「自由だろ」と煽ってきたから思ったんだが、北朝鮮だか韓国だかと戦争したい日本人右翼らからすると、むしろ愛知の天皇ヘイトアート煽って外国勢との宗教戦争状態に持ち込んだ方が、簡単に軍国化できるんじゃないの?
 その理屈からいうと、なんで右派一般が天皇ヘイトアートの行政展は許さんと言ってるのか、よくわからなくなった。もっと戦術的に考えられる右派がいないからなんだろうけども。その天皇ヘイトアート自由論の俗物みたいなやつは、巧く右派を挑発して、安倍政権の軍国化煽ってたと思うよ。
 日本人の9割はまだ、ツイッター民除いて天皇ヘイトアート展示を愛知県行政が現に再開したと知らずにいるわけでしょ。そしてその9割は明らかに天皇支持なんだから、幾ら国際展だろうが天皇の写真を踏み絵にしてあると知ったら、流石に反対に回ると思う。したがって煽ったほうが右派には有利では?
 ちなみに私個人は政治思想的には、右派でも左派でも中道でも無関心でもない、現時点で分類できない政治監視者だと思うけども。
 その俗物ぽい女は、「日本の戦前退行を憂う」といいながら、上から目線で特に学問的に正しいとも言い難い見解をのべつまくりつつ私を侮辱しまくりながら、天皇ヘイトは国際美術展では許されて当たり前云々といった。日本国と全国民統合の象徴を公に辱めていいんだというとは随分大胆な意見と思うが。
 ま僕は天皇ヘイト誰ヘイトだろうが、法で禁じる部分を除けば(例えば茨城ヘイト田舎ヘイトなんざ、東京都民一般はいうまでもなく日本人一般が日常的にやってくるのが経験的事実)、またか、あっそとも思うけども、憲法的に定義された日本国・全日本人vs外国アートかぶれを煽った方が、右派に有利では?

 なぜその俗物らしき女が、わざわざ返信までしてきて天皇ヘイトアートはローマ法王ディスと同じで、西洋美術は日本のそれの上位だみたいなどうみても差別的で事実ですらない侮辱を、私のアカウントにしてきたかもう少し分析してみる。
 先ずこの女は、日本国を軍国化したくないのである。
 なぜ日本を軍国化したくないかについてだが、第一に日本を外国にとって安全な、牙を削いだ状態にしたい。別の言い方にすると、ど偉い近代文明を作ったキリスト教圏の上位者様が(これ自体、西洋主義にすぎない)、植民地奴隷どもにしつけてやろうという、西洋人というか白人的な発想ではないかと思う。
 その女は他に、自分が天皇は人権がない超法規的存在(現憲法上、国民には基本的人権が付与されてるが天皇に付与するとの規定はなく、天皇は国と国民統合の象徴と定義されている上に、退位法を国民と政府に持ちかけ成立させてしまったので憲法に定める皇室典範に従う義務もないと示された)というと、大して正確でもない俄法律論を唱えつつ、私の知性を侮辱三昧してきた。法律以外の面でも、歴史や思想や、どうみても私より一般的知識も理解も、技術面での実践についてさえ浅い、美術に関する話題でさえである。で、私はそれらの陸でもない辱めに全部耐えきって、一体なぜ相手がこれほど高慢か考えた。
 その女は、一言でいうと日本人なるものを差別している。最初からこちらの方が劣っているという前提に立っているからこそ、上の様な問答無用の高慢さと、無恥ぶりを発揮する。そしてその差別の種類は、いわゆる西洋主義、特に西洋中心主義の様なものを背景として持っている様だと思われた。
 で、その西洋中心主義は、その女の中では単なる法律論、思想史、政治史などの一般教養全部に前提されており、更には恐るべき無知だが当の美術についてもあてはめられていた。どこの宇宙に生きているのか。琳派や五浦派の作品全部と、イタリアルネサンスだか印象派全部見比べ日本側が負けると思えない。これは全くひいき目抜きで、客観的に物の出来栄えをみてだ。
 ローマ法王をカッセルではぶっ倒したので、愛知では天皇絵踏みしちゃえばいいだろう、というのは、西洋主義を無視すれば成立し得ない論理なのだが、当人が違う並行世界に生きているので、対話していても内容が重ならない。

 大まかに言うと、
1.日本を軍事的に去勢し無力化したい
2.日本の下位(且つ主に西洋の上位)扱いを前提にしたい
という2つの理論的視座が、その女の曰う言動の端々にみられたわけだが、巨視的に見るとこれは国連常任理事国のうち、米英仏側のもっているアジア蔑視や植民地思想の焼き直しに思う。
 私はその女の言説を見聞きして、「いまだにこんなオリエンタリズムの色眼鏡で、素で日本・日本人差別してくる超後進的な人間が生きているのか」と或る種の文化衝撃を受けた。私が現実やネットで会ったり見かけた範囲に、そんな俗物らしきのは、ただの一人も居なかった。それで吐き気が止まらなかった。

 冷静に見直すと、その女らしきの個人が酷く低劣な人格の、鼻持ちならない俗物なだけで、当然ながら諸外国の人々なり、西洋であれ他の文明であれ、アジアの小国酋長みたいな旧現人神を侮辱的に扱うヘイトアートを擁護する目的で、現に生きているその島民を散々罵るのがいるなんて想像できなくて当然だ。ただ、ここには重要な気づきもある。それは旧連合国、現国連常任理事国らの偽善であり、特にその女が思わず我々の前に開陳してしまっていた、裏ではちゃっかり維持されている西洋中心主義の欺瞞である。彼らは日本を軍事的に無力化し、自分らは全く侵略三昧を繰り返しているが、悪意でそうなのだ。
 我々はそこに法律用語としての「悪意(事実を知りながら行う)」がないのではないかと、或る種の英仏信仰が、恐らく戦後教育による洗脳のせいだろうがあった様に思う。だがその俗物女らしきの(以下しばしば俗物女と略。ツイッターアカウントなので確定でない)は、思いっきり浅はかにもその種の悪意を、私にさらけ出してしまっていた。彼女は意図して差別していたのだ。

 要はこの悪意を明白に言語化すると、「英仏人が侵略するのは我々の勝手であり、西洋文化一般が諸国に優越し最も高度であって、米国はまあ除外するにしても、アジアの日本如きは軍事的に我々と互角するのは許されない。美術も猿まね三流。西洋流儀に従えないなら、黙ってろ蛮族」という考え方である。
 いうまでもないが、こんな差別的な西洋中心主義を、現時点で素で持ってるなんて人間は、はっきりいうと知性の面では大いに劣る部類であるから、歯牙にかける価値もないのだが、なぜ常任理事国にドイツや日本、イタリアを入れないかの根底にあるアングロサクソニズムは、たしかにこの要素を含んでいる。もっと正確にいうと、フランスでアングロサクソニズムは緩和されているだろうし(少なくとも社会的差別に関しては最も寛容な国の一つと思われる)、その種の偏見はアングロ・サクソン系の人達が近現代史を通じて無意識に伝承した、内部的利己性の原理でしかないのかもしれないが、国連に寄生している。
 そして私が深刻な問題を感じたのは、当の日本人の中にさえ、その種のアングロサクソニズムが伝染している節がある、という点だ。具体的な実名を挙げたらきりがないが、最も代表的なので皇族自身がそうだ。国税で東北大に進学したなら理解できるが、自分からエジンバラ大へ行く。皇族も頼りにならない。
 更に、この俗物女の差別的偏見には、日本人一般が天皇を通じて伝承してしまっている東京中華思想の焼き直しまでみられた。恐らく媒体偏見のせいだろうが、東京文化なりそこの学術水準が、国内の他のそれへ無条件に優越するなる偏見で、明らかに誤りを含む法律論・悪趣味な美術論を私へ強要していた。これも実に幼稚な理論的視座というか、ではNYで唱えられている誤謬はシカゴで否定できないのか、日のうちに移動したらどうなるのか、ロンドン大の学問が常にケンブリッジ大に優越するのかと、誤り自体が稚拙すぎ当人がどうやったら反省できるのか分からないので具体的に反論もしなかったが、実に酷い。
 多分だが、その俗物女らしきのは、媒体なり当人の趣味で、東京界隈の情報しか得られていないし、それを信奉してもいるので、国内の人口比で9割を占める大部分の一般的な日本を無条件に下位扱いする差別的偏見を常識と勘違いしている。いいかえれば東京中華思想そのものを無意識に修得してしまっているわけだ。
 例えば江戸時代頃の方言で、確か徳島辺りのと記憶しているが、ほぼ下品なと同義で「げさく(戯作)な」があり、要は江戸(東京)・大坂(大阪)の町人文化は、当時の一般人からみても陸でもないものだったのである。それは今も何も変わらない。都会が偉いと驕るのは、主に世間が狭い都会人当人なのだ。
 別の見方をすると、例えば平安文学って私は全般的に嫌いだし、極一部を除き下らないと思っているのだが、それは当時の宮内庁職員が明らかに世の中の殆どの部分を無視し、一般民衆をひたすら犠牲にしながら差別的かつ世襲身分制に安住した収奪の中、淫風に耽りつつ驕り高ぶりまくっていたからである。そしてこの平安文学が、平安期の日本の全てというか主要な部分を表現し記録し得ている、と俄日本学者は、ドナキン(ドナルド・キーン)レベルですら思っているので、実に傍ら痛い。国内の文化人類学的・民俗学的な反証思考が全くできない俗物、いや俗物ばかりか本居宣長や彼の後継者含む称文学者らがいる。彼らは雑魚だ。平将門とアテルイを彼らの目線から描いた文芸は一応あるが、藤原純友を描いた大河ドラマも含め、作り話でなく史実みても、平安期の山城国にいた公卿公家は、日本全体でみたら完全に例外で、しかも一般人と全く違う、贅沢三昧で世襲で人種・身分差別と民衆収奪に耽る、極端な淫行三昧をしていたわけだ。
 彼ら皇族や受領支配の売官政治腐敗を、政治改革で部分的に覆した有様を描いたのが、当時の宮廷で虚学化していた衒学馬乗り差別に嫌気がさし出家した僧侶による『平家物語』であり(『徒然草』の記述による)、それが東国武家政権につながっていくのが日本史の平安期の運動であり、中華思想批判なのだ。
 で。私はドナキン式に一部みられる、その種の俄日本学者と称している連中は、はっきりいうと人でなし位に卑しいと思っている。それは上述の記述からも明らかであろう。平安期の差別的社会を憂うどころかそこで犠牲になっていた全国の農民全般を侮辱している記述を褒めちぎるのだから始末に負えない。
 これを日本版でいうと、西洋の貴族社会、いわゆる王侯生活を描いた、西洋主義的偏見の塊をのみ見て、俄西洋ファンぶっている連中も、まあ種類が違うにせよ類似の部類であることは疑うべくもない。いつまでも西洋が王族の世界だと思って封建制のままであってほしいみたいな考えで共和政を語れるのか?

 まドナキンを代表選手というしかないけれども(最晩年は東日本大震災で東北カバー発言も見られたが、普通に常磐圏なんて地続きなんだから実に大雑把すぎるというか、関東も特に海側、普通に被災してるんだよね私含め)、中世文学読み他国分かった気になってるやつは、ディズニー的幻想をみているのだ。
 その俗物女らしきのは、その種の「中世文学かぶれ」の悪い版を、「サブカルかぶれ」といおうか、現代の情報版でやっているのが透けて見えた。殆どのマスコミ資本は都内に集中しているし、辛うじて関西なら京阪に集中しているので、そこが流す偏見を、俗物は鵜呑みにしてしまう。差別と嘘だらけなのに。
 その俗物女のたちの悪さは、この都内マスコミ情報からある程度隔離されている、首都圏(要は関東地方)の外の日本人らにも軽い版でみられるのだが、俗物記者とか俄日本かぶれとか日本学者なり日本文学研究者レベルになるともっとしつこく、浅ましい部類の固定観念へ転化している。パリ症候群みたいな。なので、或る意味、北関東的な立ち位置というか、首都圏の中で情報流通度は東京圏と全く変わらないにも拘わらず、そのもの自身でも利害の一体化した南関東的媚びではない第三者的な外部監査もできる位置でしか精確に認知できないのかもしれないが、東京症候群は凄く情けなく、馬鹿みたいに見えるのだ。
 ここでいう東京症候群なるものは、東京が無条件に日本一優れている理想郷で他の日本文化(人口比の9割なのだが)はそれに一等劣るという偏見を、なんのてらいもなく前提条件として信じて他人にも平気でおしつけてくる精神的態度と現実が真逆と気づかぬよう挫折を避けたがる自己欺瞞の悪あがきを指す。

 結局、その俗物女らしきのは、
1.日本の軍事的無力化を目的にした多数政治のおしつけ
2.西洋中心主義を前提にした日本美術蔑視
3.東京中華思想を鵜呑みにした日本国文化の多様性否定
とか、色々とまあよくも考えつくなというほどの下卑た差別的偏見の持ち主だった様に自分には感じられたのだ。
 これらのそれぞれについて、どれもとても問題のある差別だから一々考究していくと論文が長くなる。ここでは1に絞っていうと、その俗物女らしきのの精神的態度というのは、日本国民一般の政治的良識を信じておらず、軍事的に国連常任理事国と対等にさせたらどうせ暴走だみたいな文明差別が入っている。
 これは単刀直入にいって米英仏側の完全な自己欺瞞にすぎない。なにせ彼らは植民地主義だの人種差別で全地球を荒らしまくった末に、日本に覆された負い目を抱えているので、日本を悪者にしないと国連での上位者ごっこと良識ぶった虚構が成立しなくなってしまう。現時点の中東侵略目的でも都合が悪い。
 他方、日本国政治の民度というか出来栄えは、確かに小沢一郎氏が亡くなってしまったらもう救いがないんじゃないかというほど、欧米一般の議会政治の有様からはかけ離れている。まあ巨視的にみてだが、北朝鮮とほぼ同じ民度といっていいであろうし、特に安倍政権のそれは大体、完全に一緒と思う。
 すなわち、その俗物女の危惧は、半分は完全に嘘で米英仏のこれまでも今もやってきている人道的罪悪を覆い隠す傲慢な虚偽の弁で、日帝の世界史的意義を悪意で辱める政治的良心の欠如という意味では知性の風上にも置けないが、半分は現日本の政治民度の分析という点である程度、真を穿っていなくもない。

 では我々、現に日本国民として生きている人間が多少なりとも知性を持ち合わせていれば、その俗物女の述べた1つめの差別から何を学ぶべきか?
 それは第一に、彼らは日本政府が軍事的に同等の存在となるのを恐れているのは確かゆえ、政治的にマキャベリズムで見てこれは必須なのだろうということだ。
 中国と日本という2つの軍事的脅威が極東に並び立つのは、欧米列強(言い方が古いですが)からすると、アジアの覇権を決定づける一つの要因になるだろうから、EU全体含め、イスラエル含め、日本を米国傘下に置いておいてやれという悪意は、当然あって然るべきだし現にあるであろう。そんなら、日本を米軍属国状態から離脱させ、先進国軍として真っ当に独立保てる程度に軍事強化を進めましょう(必ずしも戦前退行の全体主義軍隊教育なんか、ツイッター民みたいなのが良かれ悪しかれうじゃうじゃいれば、ならないとは思いますがね)、という、安倍的でない自衛隊強化論は必須かと思う。
 はっきりここで言わせていただくと、嘗ては戦国の世界だったこの島民が、原爆おちてビビりまくった末に、原発事故経て、もうおっかない戦はこりごりだーよと、『ゼルダの伝説夢を見る島』のおっちゃんみたいになるかというと、ならない。いざという時はやりますぜと、普通に自衛隊強化でいいと思う。
 安倍的でないとは、良心的兵役拒否権は、普通に憲法でも各法でもいいけど書き込む必要があるということ。しかも全体主義とか神道絡めず、普通に自分の国は自分で守りましょうね、かといって核兵器までもつかなら北欧と同じで核共有(いざ保有国に貸してもらう)でやりすごし、もっと先端兵器開発でOK。普通に考えて核兵器なんて使い物にならない次元の色々なもっと強烈な兵器あるし(あんましらんが米軍ならMOABだの、炭疽菌だのドローン遠隔自動爆撃機だの)、普通に核なんて大量破壊兵器の建前みたいなもんでもっとやばいのは見逃されている。そっちなら開発してもようござんすかって話なんだよね。
 私がいいたいのは、先端兵器の開発に力を入れる方は見逃されてるわけだから、そっちの需要も今後ともあり続けるだろうし、例えば現時点なら米軍でも中国軍でもいいが、自衛隊以外の人達の軍需に、どの程度開発側として参加できるか公に議論した方がいいんじゃねえかってことなのだ。買うだけじゃなく。
 ま、ボク個人としては、戦争みたいな野蛮なことはなるだけしないに越したことはないのであるから、先端兵器開発を進んでやれとは全然思わないけども、少なくとも部品の供給というか開発ノウハウを持っているくらいじゃないと、今後とも軍事的圧力でとうもろこし買わされて日本先住民死ぬってことだ。
 将来的な目標としては、米中軍に匹敵か、最低でも互角以上にならないと、明らかにこの両国に色々な圧力かけられ潰される。したがって自衛隊単独で、最低でもこのどちらかを敵に回しても自国を守りきれる以上の軍事力が必須なのは事実かと思う。米軍に頼っている限り安倍的売国政治に陥るからである。
 で。自衛隊は、私の意見としては前から言ってるが、専守防衛で国防警察扱いにし、中立医療部隊を特別部隊として別個に作って、国内外の災害と戦争に派遣して、敵国味方国とか区別せず、人命救助に殉じるのが模範的な日本的道のりだといいたい。これは米中軍は決してできないであろう。覇権争いだから。例えば真珠湾攻撃とか明らかに米軍・米政府に時間ずらし知らんぷりなど含む罠で昭和天皇ら含む首脳陣が一杯食らわされた例だし、盧溝橋事件も石原莞爾らの策謀でなんだろうけど自衛隊自身が暴走しちゃった例だからダメなのだが、全面的に専守防衛該当と見分けられる事態だけ大量破壊兵器も可とする。例えば、中国軍が具体的に侵攻し沖縄に上陸してきましたとか、米軍有志が策謀働き韓国軍との軍事衝突を演出してるとかの事態になったとする。このうち前者は普通に北京政府に3日以内に遠隔操作で大量破壊兵器で空爆可能にしておけば抑止力があるかもだし、策謀な場合は使用不可にしないといけない。
 この部分で、いわゆるネット右翼とか、一般的な右派は、両者を見分けられないから、簡単な軍事衝突が起きたくらいでもう発狂し凶気でモアブ落とせというだろう。でもそれを無視できる法的制度をきちんと事前に決めないといけないし、非常事態宣言でこれが無効化されるのも避けないといけないんですね。

 要するに、その俗物女らしきのは日本人の一部というか私の知的水準を見誤っているというか、IQでみたらわかるよう日本人だの極東アジア人は世界一高い方と言われるし、普通に英語圏にある程度出入りできてる知性なら(ま学部以上ならできるでしょう)、遜色ある筈もない。俄日本学者は馬鹿なのである。かといって、我々というか私が、俗物全体に比べ全面的に優れているというつもりはダニクル効果前提に全くないが、少なくとも、俗物にせよ誰にせよ差別的偏見をまきちらしている輩をみたら、大抵は難しいが相手の分析によって、上述の様な、相手に都合が悪くこちらにいい点を見つけ出せるということだ。
 今回の場合は、その俗物にとって日本が軍事的脅威として再び世界史に再登壇してくると都合が悪い(必ずしもとうもろこしとモンサント漬けおしつけられる、その俗物には下位扱いの日本の為ではなく)、と考えているらしいことは、分析するまでもなかったかもしれませんが明らかにあるわけです。なぜなら日本国を国連政治でも多国籍政治でもいいが、それを前提にした文化的下位扱いの差別的偏見でもいいが、オリエンタリズムでカワイイカワイイ奇妙な芸者富士山のアニオタAV空間として見下しつつ愛玩できる状態にしておきたいからであって、それはTHE東京京都文化ではあるが日本の9割ではないんだよね。
 裏返せば、THE東京文化なりTHE京都文化なりは、その俗物女の一般論的態度みたら明らかな様、奇妙な東洋の奇形として珍玩されてはいても、正直、西洋美術に比べてアジア人の異国情緒あふれる異物として、オリエンタリズム色眼鏡で見下されている。それは日本国内でも都会文化へあるにはあるのだが。例えば、太った東京人の男性が秋葉原だか東京ビッグサイトでチェックシャツ着て光の棒ふってたら「うわあ出たあ」と思って、日本人だって見ますよね。あるいは京都いって芸者歩いてたら「きた」と思います、日本人でも。これをもっと奇形視してる目線が俗物には、強化版で一般的にあるんだよね。
 現代オリエンタリズムの内部要素として、東京京都オタク文化と、それ以前の祇園芸者カルチャーみたいな中世の名残は、明らかに包含されている。そしてこの珍奇視の落差は、その俗物女が「日本単位」にもちあわせてしまっているものなのだが、実際の東京人全般、京都人全般すらオタクでも芸者でもない。もっというと、日本国内どの地域でも凡そ9割に、そんな典型的オタクや芸妓とみなせる人達は生きていないし、彼らは元々全日本文化の多様性でみても少数派なのは確かだが、残念ながら、外国では珍しい要素だというだけで、その部分だけズームされ取り上げられるから東京京都文化が日本の全てに見える。
 で、もっと残酷で卑しい点だが、オリエンタリズムの珍奇視は、武士文化とかアイヌ文化とか、少なからず雄々しいとみなせる部類の日本文化を完全に無視していることで、現実の異民族を俗物一般にとって脅威とならないよう巧妙に無力化しつつ、愛玩動物扱いしようとの倫理的悪意が、明らかにみいだせる。この日本人全体の女性化と去勢に、例えば東京政府が椎名林檎を五輪の主役に仕立てる様な、フェミニズムを橋として経由した自己オリエンタリズム化は加担しているといってもいいだろうし、俗物受けしたからクールだと日本政府こと東京の国家公務員がほざいている京アニ傾向も、全く以てそうなんだよね。つまりは、その俗物女は、日本人男性を皆殺しにし、代わりに日本女をポカホンタス視し、先住民虐殺を文化面での恣意的差別によって行おうという様なもんで、当人の無意識で行っている残虐無慈悲な侮辱の実態は、ただの植民地侵略主義を別の偽装した形に変換したものでしかない。だから邪悪で悪質だ。
 正直、ドナルド・キーンもその種のオリエンタリストだったと私は思う。彼は平安京で国税流用し、不倫、近親相姦など含め淫行三昧していた今の言い方でいうとチャラ男を美化し、それ以前の皇族による殺戮ゲームだの鎌倉期以後の武士の世界を完全に軽視していた。理由は米軍側に脅威にならないからだ。その種の用意周到な日本人雄性の軍事的去勢が行き着く果てまでいったのが、おおよそ京アニ礼賛にみられる民族まるごと完全女性視の礼賛なのだが、普通にさ、定型的で平凡な男子は『ドラゴンボール』『ワンピース』に夢中にはなるけど『けいおん!』『ハルヒ』にはならんでしょ。それをなかったことにする。ここでいう定型性というのは、ジェンダー論からいうそれというより、雄性形質をいっている。まあ微視的に言うとテストステロンレベルかもしれないが、けいおんでもハルヒでもいいが、戦闘要素もなければエロスも中途半端で、男性的本能は興奮しないわけでしょ。オリエンタリストは全く信用ならない。
 勿の論、私は米国的マッチョイズムみたいなのを礼賛したいといっているのではない。個人的に三島由紀夫の筋肉美自慢みたいのも作風も好きじゃない、かといって軽薄チャラ男の村上春樹の作風も諸経緯で嫌いになったのだが、だからってモギケンの礼賛する知性主義もどきみたいなんもなんか違うなと思う。例えばデリダと浅田彰が対談してた時、浅田がチビ猿みたいな格好で足くみ、デリダに高踏的な態度で見下されないようビクビク話してて、これは色んな意味で酷いなと思った。デリダが偉いという意味でなく、そういうフランス的京都的スノッブ空間が。だから知性主義の俗物根性も相当あるなと思っている。
 僕が、個人的にいいなと思ったのは、実は韓国人男性の一部の態度で、いわゆる今流行のKPOP的軽薄な整形男の方ではなく、伝統的な両班ぽい米国留学生と接した時だ。まあ現実の韓国人男性は、貴人側ならどっちかといえばそっちタイプも居ると思う。日本でいうと文官の方の侍の精神的態度に近い。そういう人は、上品な方で、きちんと勉強していて、かといって知性を誇って一般市民を見下しているといった感じも、自分が接した範囲ではあんまりない感じにみえた。なぜかなら、何らかの理由で謙虚だったからなんだが、儒学的な文化背景かもしれないし、米国の影響かもしれないが詳細はわからない。

 要するに、その自分を散々に侮辱してきた俗物女は、東洋人男性を小馬鹿にしているのだが、それは軍事的に去勢されていると思い込んでいるのが第一で(ところがどっこい生き残り武士道精神みたいの茨城北部人って育ちの中でガチで叩き込まれていたりする)、第二には知的水準低いと思いこんでいるのだ。言わなくても茨城知ってりゃ明らかかもしれないが、旧水戸藩圏の文化って、首都圏の中にはあるけど、東京文化と全く違う。東京が軟派としたら茨城側は硬派で、これは江戸の将軍家と水戸の徳川家の気質の差まで遡れるだろうし、いわゆる俗に江戸っ子と、こっちでいう水戸っぽは大きく全く違うのだ。
 だからこっちの人間を(敢えていうなら茨城人なり水戸人を)、私もだけども、実際に東京に出入りしていたとしても、一緒くたにチャラ男扱いで軽侮してると、普通に痛い目みるわけだ。これは文化が違いすぎるからである。実際この様に、侮辱されたら徹底的に相手を研究して仕返ししようとするんだから。

 結局だ、なぜ私がこれほどその俗物女らしきのに受けた侮辱の数々を、詳細に分析し、相手の弱点や偏見の核心を掘り起こし戦略的に復讐しようとしているかというと、日本人なり東洋人男性をわけなく侮辱して只で済むと思ってる外道を許し難いのと同時に、本質的には文明差別への権力闘争の背景がある。
 そもそもこの地域で起きたのが尊攘論であり、それを理論的梃入れとしながら水戸人が全国に啓蒙活動し、桜田門外の変で具体的に行動開始し、天狗党の乱、大政奉還、無血開城で完結した明治維新だったわけだが、その俗物女らしきのはその時以来の大事件を起こしたといっても過言ではないと私は思うのだ。
 これは自分史であると同時に日本史の史実として、ある俗物女らしきのによる「天皇ヘイト事件」と仮に名付けておこう。そして天皇への憎悪表現礼賛に加え、オリエンタリズムぽい東洋人蔑視の数々を、私の知性だの政治体制だの含めて散々にやられた。これは私の精神にかなりの巨大な危機感をもたらした。なぜそこに危機があるかというと、先ずその俗物女は天皇ヘイトをアートだと言い繕い、日本の象徴なんざローマ法王程度の輩なんだから踏みにじってもいいだろというのである。まあ間接的に日本人全体を侮辱しているし、根底には日本文明を西洋未満の地位とみなす、文明差別があるわけです。
 孫子の兵法には「精鋭に攻撃すべからず」とあるが、私はま知性の点では日本の精鋭の第一人者と自負しなくもない。色んな理由はあるが、世界史へ確実に影響与えるという意味では常任理事国撤廃論とか、国連税による国際格差調整論とか、アジア連合結成を提出してますからね。日本国程度動かすと思う。
 少なくとも、とりあえず目標地点としては、そういう天皇ヘイトして汲々とする外道の俗物らしきのが、公に目につく範囲では一人残らず駆逐される所まで進む必要はありますね。それは日帝式侵略戦争のやり口ではなく、天皇を国体から切り離す技でも、日本文明の地位を具体的に西洋より上にするでもいいが。もしです、本当に日本文明の地位が、公として西洋全般のそれより上と、世界史でも国連でもいいが認められた暁には、我々としては飽くまでも謙虚さという、東京人や京都人一般が永久にもちあわせえないかもしれない所の、我々が伝承している文化的気質を、世界の場で発揮し、飽くまで他文明を尊重する星にしたい。