2019年8月25日

カタカナ英語の蔓延は国内学者劣化の一証

無意味にカタカナ英語を織り交ぜ欧米出羽の森演じる奴が愚なのは絶対に疑いの余地がない。同じ風に英語内で無為の日本語を使い、米英人を煙に巻いてるのを想定すれば一発でわかる。
 この種のえせ知識人仕草は福沢諭吉ら欧米かぶれが一番の元凶だ。昔は難読漢字で類似行為をしていた教養俗物の末裔。
 英語は表意性をもってるので英単語で書けば語源から意味がなんとなく類推できる場合もあるのに、カタカナだと表意性が消失するので音だけきいても意味を理解できない。もし難読語を日本語化せず外来音のまま使いたいなら(そういう場面があるのもまれの筈だが)、英語なり原語自体を併記してほしい。
 GHQが常用漢字を制限するまで難読漢語は日本人を煙に巻くため頻用され、無意味な中国出羽の森で溢れていた。つまりは英語・漢語(今日の中文)にかぎらず、既に国語に類似表現や訳語がある段階で、わざわざ外来語でいいかえるのは、日本風の外来文化劣等感の裏返し、又は俗物根性としか言い様がない。
 戦後知識人はカタカナ英語使うのを恥としなくなった。それ以前は「カタカナ(外来語)にひれ伏す癖をやめさせたい」漱石の風で、和製漢語に訳していた筈が。もう中文訳語から間接輸入した方が早い。戦後知識人の言語能力、特にふさわしい訳語を選り抜く漢学力と古典知識の劣化に違いない。