2019年8月3日

津田大介氏の「表現の不自由展・その後」大炎上を経て思ったこと

前、僕があいちトリエンナーレ2019について一人で分析してたら津田氏がエゴサか何かで返信してきたのでそれに応答してたら、彼のいう「ジェンダー平等」の定義を僕が聴いた辺りで津田氏が発狂して僕をブロックしてきた。
 で、その前後に津田氏のフォロワーらしき衆愚が大勢きて僕をひたすら罵倒した。彼らがどういうわけで僕を中傷しまくっていたのか知るため、津田氏に追従し僕を一方的に中傷する文脈で「いいね」しまくってた人たちを含め、ほぼ全員リストにして保存しておいた。
 いま、その人たちのリストの使い道ができたからみてみたら、数日前までさかのぼってもほぼ誰も津田氏を擁護してなかった。逆に津田氏を罵ってさえいた。完全に裏切り者たちだ。
 では一体なぜ彼らはあれほど津田氏擁護側で、単に男女比1:1が真の公平か考えていた僕を中傷しまくっていたのだろう?

 一言でいうと彼らはまさに僕が当時いっていた「あいトリモブ(あいちトリエンナーレ2019暴徒、衆愚)」で、津田氏の一見男女平等を実現するかの様な虚偽の炎上商法で煽られていた、思考力も節操もない愚民たちだったのだろう。
 当然だが社会的性差(ジェンダー)と性別は意味が違うし、応募数とずれていたら男女比で最終調整すると審査過程が不公平になる(優れた作品・作家が過小評価されたり劣った作品・作家が過剰評価されてしまう)。非常に初歩的な次元で論理がなりたっていない。

 今回は日帝の悪業をあげつらう慰安婦像や、昭和天皇の御影焼却写真、国旗損壊など別の点で津田氏は大炎上し謝罪においこまれたのだが、あいトリモブはなぜここぞとばかりにあの時みたいに彼を擁護して「いいね」連打とか、中傷をあたりかまわず連打しないのだろう?
 とてもよくおぼえているのだが、あいトリモブの1人は直接僕に返信してきて、「お前はアファーマティブアクションで遅れた美術界がやっと政治界においついてうれしくないのか」と、いわゆるドヤ顔で問うてきた。僕はとっても傍ら痛かったのだが頑張って返信し(当時は実験でそうするスタンスだった)、何しろ美術業界は大昔から女性作家が腐るほどいたのでそもそも女性差別なんてみたこともきいたこともない上に寧ろ業界自体女性だらけで女性中心社会に近いのが実感だからなのだが、女好きな親友の話で説得した。
僕が親友について書いたブログ記事「私の親友のこと」のURLを貼って、「これを読んだら私がなんで男女比1:1という逆差別が悲しいかわかりますよ」みたいに僕が言ったら、その男(だと思う多分)は一言もいわず逃げてしまった。まあ物凄く失礼というか不躾な野郎だと思った。
 この1人の喧嘩売ってきたやつの言動を全部記憶から掘り起こしてみても、その他のやつらの当時の個別言動を全部思い返してみても、一種の洗脳状態というか日本人に良くある「赤信号皆で渡れば怖くない」式の集団いじめ万歳的衆愚状態になっていたのは間違いないだろう。僕が一番嫌いな連中だ。一番嫌いな連中というのはいいすぎか。僕が本当に一番嫌いなのは「人の足を引っ張る」人間だ。集団いじめ大好き衆愚の方は日本人全般の本能といっていい次元で頻繁にみるから、これまた日本人の中にはよくいるができる人の足を引っ張る無能に比べればほぼ日本人全体の性質でしかない。

 少し詳しく分析すると、「集団いじめ大好き衆愚」いいかえれば「いじめ好き日本人全般」は、群れる為に群れる。彼らは善悪の観念を、少なくとも内面には一切もちあわせていない。単に彼らの周囲の多数派に本能で群れ、その中でどんな悪行にも加担して恥じない。恥や和の文化が悪い方面に出るわけだ。
 日本で暮らす限り子供のころ小学校の時点で既にこういう連中で埋まっていたし、その後も殆どの組織(但し進学校だった磐城高校を除く)で類似現象をみた。匿名・半匿名ネット空間だとほぼ100%その種のモブで埋まる。外国の人とネットでやりとりした限り、イギリスの人達を除いて正反対だったりした。なぜイギリス人だけ日本人みたく集団いじめを平気でやっていたか。たまたま自分がみただけか。それとも島国など閉鎖的環境が流動性の低い同一メンバー間で同調圧力を生み出すのか。まだはっきりとはしないが、京都人があの狭い盆地で凄まじい虐めを連日しているのもよくみたので閉鎖性が原因だろう。
 結局、あいトリモブもその種の集団いじめが目的で、当時、津田氏は善人ぶって「美術関係者は全員しぬべき」とかツイートして、直後に消したりして既に発狂していたので、煽られまくったいじめ衆愚の方は自分達の群れが大きいと勘違いしていたに違いない。だがいまや公権力が彼らの逆に出たので、しかも「日本人全員が」とか「日本人なら」とか、主語のカバーする数を多くいう名古屋市長とか右翼、神道信者、愛国者らの言動で到底、数で勝ち目はないとみて、もはや一言も擁護の声を発さなくなったのだろう。いつものこと、卑怯の極みなのだ、日本人衆愚は。
 以前も書いたけど荒野行動というゲームで、日本サーバーと国際サーバー(実質、中国人サーバー)でやり比べるとすぐわかるが、日本人は負けそうになったら仲間を捨ててすぐ逃げる。卑怯極まりない。中国人はそこまで逃げず、最後まで戦って逆転してきたりする。虐め好きの日本人の習性と符合する。
 新渡戸『武士道』で侍は卑怯を憎むとか、弱いもの虐めを蔑むと書いてありますよね。けどこれはお侍さんの中でも人格的に偉い人がそうだったのであって、いわゆる貴族道徳だ。日本人の一般民衆がこれの正反対の卑怯極まりない下衆集団だったからこそ、貴族は正反対の徳目を重んじたということもできる。新渡戸はお侍さんは名誉を重んずると書く。けど日本人一般大衆ってこれの真逆、匿名でありとあらゆる犯罪をやる。自分がばれないとみたら罪悪感をもちあわせず、大抵キリスト教とかイスラム教みたいな宗教心も一切ないから、恥も外聞もなくなる。群れて悪業の限りを尽くす。かつ群れてれば恥もなくす。
 例えば中国を儒教の国だといってる人とか物凄く浅く、現実の中国人って道教の方が好きだろうし儒教は官学としても法家より人気なかったわけで。寧ろ儒教も日本での武士道くらい理想化された「現実の中国人庶民の正反対の人格者像」を並べたものといっていいだろう。君子が少ないから儒教が生まれた。台湾の元総統・李登輝氏『「武士道」解題』を読んでみるとまさにこれと同じ理屈で、日本人なるものを新渡戸のいう理想的侍と重ねてある。そして現実の日本人がそれとずれてるから直せという。江戸時代だって町人は大概が下衆の極みだったのだが。急に侍かつ人格者という超希なのになるはずがない。
 現にいまもそうではないか? 津田氏をあれだけ擁護し、全く無関係の僕をやたらめったら集団で攻撃し、僕を中傷するツイートを「いいね」連打しまくって僕の通知欄をよごしまくっていたあの日本人虐め大好き衆愚さん達がいま何をしているか。なんとエロマンガをリツイートしてらっしゃった。
 江戸町人のげすっぷりから何一つとして進歩がないといわざるをえない。現時点でも尊敬できる点など何もないというほかない集団ドゲス行動をしておきながら侍ぶるとは傍ら痛い。いや侍ぶってもないだろうからまだいいが。ビジネスマンと横文字で称して商人ぶってんだろうが。身の程を知って頂きたい。
 なお侍って今で言えば公務員だから、その公務員が偉いかといえばいまだに非常に調子に乗っていると思う。官尊民卑で。特に僕がびっくりしたのは東京で見た公務員だ。あの凄まじい横柄さ。中身空っぽの旗本崩れが空威張りする無様といったらない。門閥制度は親の仇と福沢が言ってた時代から不動の虚勢。特にひどいのが国家公務員で、給料が地方公務員より大分安いせいで空威張りが5万倍くらい激しい。地方公務員(私の父もだが)ですら武家公家皇族から伝来した某気風で横柄なのに、国家公務員のそれはいまだに身分意識そのものだ。皇室廃止も当然した方がいいが、公務もどんどん民間委託した方がいい。

 何がいいたいか。私は津田氏とかいう人にツイッター上でいきなりエゴサで絡まれ、彼のフォロワーモブから集団いじめ受けた。大変むかついたのでリスト化し追跡してたら、主君のはず津田氏が大炎上で謝罪中にエロマンガをリツイート、逆に津田氏を罵ってやがったのである。これが現実の日本人でござる。
 ゴータマ・シッダールタことお釈迦様がいいました。
「同調してくる愚者より、非難してくれる賢者のほうがすぐれている」(多分『ダンマパダ』)
イエスマンだけ集めてフォロワー152万だかいても、主君の炎上中にエロマンガリツイートしてるたわけた下衆なんか味方にしても即死である。
 ほか、津田氏のお仲間はみなさんニコ動生放送とかゲンロンでおなじみの面々ご存知でしょう。私は彼らとしばし関わりつつ一歩引いてみているらしき茂木健一郎氏をウォッチしてきた。彼はブロックに懐疑的だったからだ。が茂木氏は友人には友人の理由があるから全部うけいれるのが友みたいにいっていた。要するにだ、いざというときに助けにならない上に、普段から自分が何か致命的な間違いを犯していても、忠告してくれない友人なんざ、そんなのは親友でも朋友でもありえない。善友では当然ない。孟子曰く朋友は善を責める、つまりはアリストテレス中庸論みたくお互いに善徳を高めあう仲といってるのだ。
 一体、恐らく最も親しいであろう東氏は今回の大炎上より前から津田氏に、尊王論とか性差論とかの面から彼の失敗を見通して忠告してたろうか? 僕がみてたかぎり東氏は津田氏のラジオで京アニにアニオタにしては軽めの追悼してたくらいで、自分はハイカルチャー住民だからみたいにいってももう無駄だ。
 結局だ。人は誰を友に択ぶかでもはや人生自体が変わるといって間違いないのだ。朱に交われば赤くなる。人は親しむ者に似る。津田氏が小太りになった理由を決めあぐんでいるツイートはこの数日で5000個くらいみたが、親友みてたらあのくらいが普通って感覚にもなるべさ。別に揶揄の意味ではない。僕は津田氏が100%善意の僕をブロックした時点で、ああもうこの人こういう人なんだと思った。直接ツイッター上で対話する前まで利口っぽくみえていたんだけど、性差の定義について冷静に議論しましょうよ? っていったらぶち切れるとか意味が全くわからないし、知性以前の話だと思った。
 社会学用語としてのgenderは或る社会の持っている性別役割についての文化的偏見のことだとしても、英語としてのgenderは一般語彙だから性別差の意味でも使えなくはない。
「なんであえてジェンダーという言葉をセックスという生物的な性別差に使われる語じゃなく使ってるの?」
ってごく普通の質問だ。
 その後も津田氏を僕は観察した。彼は大学時代全然勉強してなかったとか、大学自体勉強せず受かったみたいなことをいっていた。ツイッターラバーとして人気になってからの展開も大体みてきていた。遂に「官位打ち」にされたといってた右派論客がいたが、最近のテレビ文化人なんてほぼそんなのだろう。テレビ文化人だけでなくネット芸人も全く同じだ。われわれが感じている違和感は一言でいえば学歴差別を箔付けに利用してる恥知らずの馬鹿どもが賢者ぶって世間を睥睨しつつ金を貪る東京論壇の醜悪さなのだ。そこに実体があればまだましだが何もない。空虚な仲間内での褒めあい、利益の盥回しだけだ。
 この学歴差別の本体が何かといえば、後光効果を悪用した、学閥による利益寡占である。まあよくもそこまで堕落したといえる振る舞いしかしていない。僕はそういう現象を以前から知っているからアカデミズム自体を軽蔑し、高校入った時点で完全独自路線いこうとしてたしそのとおりに生きてきたのだが。
 嘗て福沢は門閥を身分差別の根源とみなしていたが、われわれの時代はその名残に加え学閥による差別まで加わっているから二重にたちが悪い。津田氏だけでなく東京論壇をとりまく全性質がこのみにくい差別主義の権化である。だから僕は最初から近づいてなかった(君子なので)が、今後も近づかない。
 今回は津田氏の方から絡んできたので、親切な僕は普通に返信していた。実に誠実かつ紳士的に。そしたら彼が初歩的な社会学用語で発狂し、なぜか結果として集団虐めフォロワーモブを焚きつけてきて、その数ヵ月後いまみたいになった。

 実にたちが悪い東京論壇、いや論壇だけでなくマスコミや都内ネット業者にも一切関わらないに越したことはないと改めて思った事件だった。僕が住んでた時点で既に東京文化は退廃の極みにあったし、今後も絶対に直らないだろうと思ったので僕は東京を捨てた。希望はそこには何もない。潰れるだけだ。