2019年4月5日

私の親友のこと

(ジャーナリストの津田大介氏のツイッターアカウントへあてて)
今から私が一体なぜ男女差別はよくない、(女性差別も男性差別もよくない)、特に美術関係者についてそうであると考えるに至ったか書きますが、お忙しいでしょうから読む気なかったら無視してもらって構いません。
 私は福島県立磐城高等学校という一応進学校の端くれ(私が3年のとき途中で共学になりましたがずっと男子校でした)みたいなところで、みんなでジャンケンしたら僕が勝って美術部長というのをしていたとき、みな仲良かったんですが、同級生で、そのときジャンケンした中にある親友がいました。でその親友とは我々は悩み多き思春期でしたので悩みとか夢とか、死ぬほど長いあいだ語り合ったり一緒にカラオケいって熱唱したり、それぞれ絵を真っ暗になるまで部室で描いたり、面白いことをいいふざけていたりしていました。私達は電車通学で、あるとき帰りの電車で次に述べる様なことがありました。
 私らは遠い所から学校に通っていて1時間くらい電車に乗っています。その間、大抵勉強してたんですが、普段からふざけて色んなユーモアに満ちた話もしていたのでそのときも私はその親友の彼女について、詳細は伏せますけれど、オブラートに包んでいえば苗字を呼び捨てにするみたいなことをいいました。そうすると親友はいきなりぶちぎれてきまして、その親友も僕も先ず1回も怒ったことがないので今も、その時しか親友が怒った場面をみたことがありません。逆に私は親友に対し怒ったことがありません、語弊を恐れず高校生の感覚をいえば、私は当時そんなので怒るなんて「サルかな?」と思っていました。
 しかしのちにですね、親友の山奥にある実家にお泊まりしながら近所の清流で油彩画を描くという経験をしたとき、その親友の家は母上以外は全員男性で、兄弟みな男ばかりなわけです。私は姉とかいて父以外は女性だったので家庭環境が全然ちがっていて、親友の中では女性は希少価値がある存在であったと。それで一言でいうと、過剰なくらい女性尊重主義者の人物であったと。なにせ彼女の名前を呼ばれるだけでぶちぎれてきたくらいです。当人はもう忘れているかもしれませんが。
 そして我々は美大芸大を受験したが落ちました。ほぼ休みなく勉強しながら全力でやったのですが芸大の合格率は物凄く低い。
 私は受験に使っていた池袋のウィークリーマンションの一室で一晩泣き腫らしていたけど、仕方ないから親友と美術予備校に入って毎日絵を描き改めて美術の勉強を続けました。で私は1年以内に美大芸大のしくみが腐ってるということに気づいてしまい、絵は続けるが普通大学に行こうと進路を変えました。親友はその後、美大芸大試験を続けていたんですが、何度もおとされ3年だか4年だか忘れましたが(合格がほぼ運まかせの芸大受験生ならよくある)アルバイトを続けながら多浪していました。最後に油絵から彫刻に転向し、造形大に受かっていました。一方、僕はその間、建築の勉強をしていました。
 私が建築の専門学校にいて親友が美大に居た時、都内立川だかのハンバーガー店で昔みたいにユーモアに満ちた会話をしつつ現代美術をどう攻略していくか話し合い、イギリスのターナー賞の六本木ヒルズの展覧会いって僕はダミアンハーストにこれなら勝てるなと思ったんだけど親友は微妙そうな表情でした。
 その後、なぜか親友は突然失踪しました。美大は物凄く授業料が高いので奨学金を借り、また親友の実家は男子ばかり3人兄弟ですので実家に頼れず、アルバイトで生活費を賄いながらですので生活苦を抱えていたっぽかったのですが、あとで親友の実家にいった両親が聴くに女性と或る山奥で暮らしていると。しかもNHKの或る特集に親友が出てるのを見ました。親友の両親から聴いた電話番号に電話してみたら、親友の口から陶芸家のところへ弟子入りに行ったということを聴きました。子供が生まれたといっていました。私はそれでいいと思うよ、といいました。親友はありがとうございましたといいました。
 我々は高校3年になる時、進学コースを決める時、僕は人生に絶望していたのに死ぬつもりで絵を描くことで何とか人生に希望の光を感じたので、美術の道に進むと決心し、親友が美術部の後ろの方でうろうろしていたので「美術やるの?」と聴いたらやると。そこから長い間、挫折しながら前進してきた。
 ところでインターネットを開いてみたら「美術関係者は男女差別主義者だ」と書いてある。「美術関係者は絶滅すべきだ」と。これを書いている人(ああ有名なジャーナリストだ)がなぜこういうことを書くのかなと思い調べますね。そして私は思案する。あの親友が高校の僕にぶちぎれて、子供が生まれた。
 女性尊重主義としか言いようがない過度の女崇拝の念というか、女を神だと思ってる節があったようでもあるが、結果として僕との約束も破って駆け落ちみたいなことをし、どっか遠い山奥で子育てすることになった、絵描きから彫刻家、陶芸家へとお金になりそうな美術領域に転向するしかなかったあの親友。
 あの親友は「絶滅すべき」「男女差別主義者」だったのだろうか? もしそうなら、なぜ僕はこれほど悲しい憤り、声にならない嘆き、遣る瀬無い怒りとも呼べない呆れを感じるのだろう? 津田さんは私の親友を侮辱しているのだろうか。それとも何も知らないだけなのだろうか。しかし所詮美術だ。私にできるのは、美術批評という言論の自由の範囲にある公的な、まさに文化的な営みの中で、一体男女差別とはなんなのか、真の公平とは何なのか、そして美術家を志した我々とは何なのか、絶滅すべきなのかを、美術用語を使ってきちんと解読し、公論に付すことだろう、と私は思いました。
 勿論、私の親友が「絶滅すべき」「男女差別主義者」ではなかったのは明らかだと思いますが、日本語の特性上、冠詞がありませんから、美術関係者といっても全て、なのか、一般、なのか、個別、なのかよく分からない。津田さんは一般という枠組みで、私の親友の名誉は守ってくれるのだろうと思います。